斉頼塚内部

 古墳と古代製鉄遺跡
 マキノ町には、たくさんの古墳と古代製鉄の遺跡が残されています。
 高島郡内では、現在500基以上の古墳が確認されていますが、そのうちの半分の約250基がマキノ町北西部の山麓地帯に分布し、北牧野、西牧野、石庭、辻、森西などに古墳群として残っています。
 マキノ町の古墳の多くは、古墳時代後期に集中的につくられ、そのほとんどが横穴式の石室をもつ比較的規模の小さい円墳です。
 代表的なものとして、西牧野に「斉頼塚」とよばれる古墳があります。この古墳には、石棚が設けられている点が全国的にもたいへん珍しいということです。
 また、平成12年に北牧野の古墳2基を発掘調査しましたが、そのうち2号墳では、須恵器類約25点や鉄刀などたくさんの副葬品がほとんど当時のままの状態で出土し、なかでも鉄刀が奥壁に立てかけたような状態で出土したことは、たいへん貴重な発見となりました。

金銅製単龍環頭

 さて、弥生時代に日本に伝わった鉄器は古墳時代になってよく利用されるようになりましたが、鉄器をもつことは強大な政治権力を手に入れることにつながり、鉄はたいへん貴重なものでした。その貴重な鉄を生産した製鉄所がマキノ町にもあったことを示す遺跡や、地名、文書などが残っています。
 遺跡の調査から、マキノ町内は6世紀頃(古墳時代)から10世紀ころ(平安時代)までにつくられた製鉄所の跡が11ヶ所みつかっています。そのうち5ヶ所が北牧野に集中していますが、北牧野周辺にはこのほかに、製鉄に必要な炭を焼いたと思われる「くちなし谷炭窯遺跡」や、鉄鉱石を掘り出した跡もみつかっています。
 海津神社内に小野神社がありますが、これは製鉄技術に優れた小野氏の一族が当地に移り住んだことを示すものと思われます。小野氏は志賀町の和迩(小野)付近を本拠とし、小野妹子(遣隋使)、小野篁(歌人)、小野道風(書家)ら歴史上有名な人たちを輩出した豪族です。

古代製鉄作業想像図