雑記2

心の値段


精神療法について

 今精神療法で問題になっているのは学問・技術以前の問題です
随分前に
国連から派遣されたクラーク博士の日本の精神医療の報告書には、日本
の精神医療は薬物療法に傾きすぎである、地域の視点が無くて症状に対して薬物
を投与することで済ましているという厳しい指摘がなされました つまり精神療法
もしなければ、患者・家族の生活を観ずに薬物で症状を抑えるだけの治療をして
いるという批判です
クラーク博士は、日本以外では地域や医療行政に精神科医がもっと関心を示して
行動していると指摘しています
精神療法と言うと如何にも診察室の中だけで実施するというイメージが専門家に
もあります しかし環境を整えることも大事なことが多いのです
例えば軽症うつ病は休養できる環境が必要です それなしにインテンシブな精神
療法と薬の組み合わせだけでは良くなりません また生活環境を知らずに休養が
大事であると言ってもできないことがあります
ある離婚問題を契機にうつ病になった若い婦人は、結婚と同時に彼女の部屋は倉
庫になってしまい休む場所がありません しかしそのことを迷惑をかけていると自
責的になっているので親に言えません
ここでは家族を巻き込んだ治療が必要です
患者さん皆に精神分析のようなこころの深い場の治療が必要なわけではありませ

自然治癒力を阻害しないことが治癒に結びつく病の方が多いのです
そうして初めて離婚の問題に向き合えるのです その後は人生の問題としてもう
少し深いレベルの話題になるかもしれません

精神療法が成り立つ背景がお粗末
 
ただ大きな問題があります それは医者の多忙さです ゆっくり相談に乗ること
をクリニックのアイデンティティにしようと考えていますが、二つの要因で限界
があります
その一つは
精神科医の不足です
新患には一人に予診も含めて1時間以上かけますが、再来患者に割く時間と合わ
せると、私一人では限界があるので心理士にもパートで来てもらっています
はじめだけ聞いてくれるが後は、という不満が少なくなるようにです それでも3
人の中年の婦人は面接時間が少ない、アポイントが自分の都合に合わないとすぐ
に中断しました 皆他のクリニックでは話を聞いてもらえないという不満を持っ
ていました
駆け出しの私のクリニックでも同じということです 暇なはじめだけ時間を使って
後は簡単にというやり方をしたくないという私の方の態度にも因があるのですが、
元来の意味での新患数を想定すると1時間以上にわたって人生を語りたい方皆の
要請に応えることが困難であることは理解いただけるでしょう
これは医師が悪いのでしょうか
多くはそうではありません 患者さん一人一人に満足な時間が取れないのです
ましてや人生の問題につきあえる時間はありません できたとしても患者さんを
選択することになります

もう一つの要因は医療行政にあります 
精神・心の治療をあまりにも安く見積も
っている
ので、諸経費を考えるとある程度の患者数を裁かないと経済的にやって
いけません これは病院でも同じです
アメリカでは精神医療費が医療費のトップになったと聞きますが、日本では政府
が医療費の切り詰めに躍起です 一体精神・こころが重視されるのは何時のことな
のでしょう

多忙すぎる医師
学問的には精神療法の技法が大流行ですが、巷の医師にとってどれだけ使えるの
か そうした環境があるのかが問題です
ある患者さんは高名な心身症の治療家を他府県まで訪れ、何時間も待ってようや
く診察になったが、論文に書いているような治療を希望したところ、そんな時間
は無いと断られたと嘆いていました
長い時間をかければ良いというものではないが、せめて話したいことをじっくり
聞いてて欲しい、うまく喋れないので考慮して欲しい、もっと病気について説明
して欲しいという患者さんは少なくないのです

量から質へ
こうした問題を解決するには、
行政がこころの値段を上げることが必要です
それには国民が考え直すことが肝要です
そして私たち医師自身が、数をこなすことに慣れっこになっている医療に疑問を
抱いて見直し、声を上げることが大事でしょう
日本人はともすれば多くの時間を働く者は偉い、多くの患者をこなせる医師は偉
いと量を重視する傾向にあります そこからは精神療法の文化は生まれないでしょ