雑記7

病んでいる私


 
長い間病んでいると元の自分が分からなくなります それ程時間がかかり
ません 例えばうつ病のかたが1年以上回復しないと、元気な頃と比べてど
うですかと質問すると、自分がどうだったか、何が自分か分からなくなった
と言います 2年も経つと家族のかたも同じようなことを言います
無理もないと思います
特に元々の自分と微妙なズレがある状態と悪い状態を繰り返していると、発
病前の自分と明らかな違いがあるわけではないところで過ごしているので、
元々の自分と病んでいる自分の境界線が曖昧になります 
 しかしこれは長い時間を置いたからだけではなくて、初診時でもあります 
病前性格を聞いているのに、だらしがないとか、非社交的であると答えます
が、実際には生真面目だったり、気を使いすぎるがお人よしであったりしま
す 
こうしたことは自分という感覚が如何に曖昧なものかを物語りますが、病ん
でいる期間が長いと更に困ったことになります
何かとマイナス思考になり、自分の基準が下がります つまり自信が無く、
何かあると自分が崩れるのではないかと常に不安がつきまといます
将来のことを考えると不安なので考えないようにする傾向が強くなり、引き
こもりがちになったり、人に頼りがちになります

元気な私と病んでいる私の二極分解
こうした時に、ともすればあるべき私と病んでいる私が二極化して分解しそ
うになることが多いようです
病みさえしなければもっと良い生き方ができたのにという時には病んでいる
私を忘れ、病んだせいで人生が滅茶苦茶になったと思う時には、元気な自分
を忘れて朽ちていく私というイメージに陥ります
言い方を変えると、一気に元気な私になるか、病んだ世界に沈んでいるかと
いう両極の私に分解されます 元気な私が曖昧になると、現実的な姿が曖昧
な理想的な私のイメージが肥大します 一方で現実の私は、病んだ希望の無
い駄目な私である 
この両極の間を揺れるので、今の私が定まりません 
病んでいますが、それ程捨てたものではないのに つまり両極の極ではなく
病んでいる相の間で生きているのに、その相をはみ出した世界があるかのよ
うに、健康か病んでいるかという両極の相があるかのように幻想しています
病んでいる私を否定すればするほど、まっさらの健康な理想的な私を漠然と
イメージして、何かあると実際に生きている相を突き抜けて、針が全く逆の
病み<闇)の真っ只中の私に振れます
もっと時間が経つと、病んでいる私が地で、時々元気な私が遠くに漠然と居
ることに気づきます
こうした両極は後から出てきたものではなくて、発病後に不安焦燥感に駆ら
れて一気に治癒を目指したかたに極端に認められるところから、長い間病ん
でいると、元来ある弱点が先鋭化してくるのかと思います
こうした型にはまりつつあるかたは、病んでいる私にもまだ元気な私が残っ
ていることを見出して、今の生の相の中で少しでも上相を目指して欲しいと
思います そうすると目標が出てくるはずであり頑張りも効くはずです 
私のイメージが悪すぎるために何処に私が居るのかが分からなくなってしま
うことが、頑張りを効かなくしている原因の一つではないかと思うかたが居
ます
病相が揺れ動いているかたには、こうした考えは持ちにくいと思われます 
しかしその揺れのレベルをもう一段上げることはできると考えて欲しいもの
です
これは気の持ちようで治るとか、病は気のせいだという世間の人が考えるよ
うな単純なことではありません 頑張っては挫折した過去を持つかたには大
変なことですが、頑張る目標が高すぎなければ可能なことはあります
寝込んでいるかたには、少しは起きる生気的エネルギーがあるのに、全く元
気な私を幻想しているので、逆に病んでいる私に支配されているかたが多く
居ます
勿体ないと思います

治療関係
こうした幻想が治療関係にも反映することがあります 慢性化した病から脱
け出す方策に尽きて転院してくるかたが多く居ます
その中には元気な私を取り戻したいと願うかたが多いのは当然です
しかし私がそんな魔術を持ち合わせているわけではありません
中には療養の仕方に問題があることが見出されて改善することがあります
適当な薬物が効いて改善するかたもあります また転院したという契機が作
用して、こちらは何もしないのに改善することもあります
これらは私の元から転院していくかたにも起こることで、特別なことではあ
りません 大事なのは一気に治ることを目指すのではなく、コツコツと小さ
な改善策を医師と伴に見出して積み上げていくことです 
医師が何とかしてくれるだろうと考えるかたは、魔術を持った医師を幻想し
ているので、残念ながら期待はずれになります
そうした時に元気な私と病んでいる私の二極化が治療者との間でも起こるこ
とがあります 私を元気な私に導いてくれる理想的な治療者と、私を絶望の
淵に陥れる腐った治療者に分解します 
当然ながらこれは患者さんの心の中で蠢いている幻想です 

まあまあです
「最近どうですか?」という問いかけに「まあまあです」と答えるようになれ
ば治療は成功です この成功は治療者と患者さんが共有するものですが、や
はり患者さんの努力の賜物なのでしょう 治療者はその道程にお伴したに過
ぎません

さて私はというと 最後は まあまあの人生だったなと感じて逝きたい

※まあまあ=good enough=ほぼ適度な、ほど良い、ほどほどの
※慢性疾患の殆どは患者さん本人の自覚と努力が大事です 医師はアドバイ
 ザーです 糖尿病や高血圧を考えると分かります 生活リズム、食事、過
 剰なストレスがかからない工夫等毎日の精進が結果に結びつきます メン
 タルな病も同じです 薬は大事ですが治療の一部でしょう
 ピッタリとは行かないでしょうが