蘇州の紹介 |
蘇州は中華人民共和国の江蘇省南部に位置し、だいたい南京と上海の中間にある。 人口は約700万人。 蘇州は大変古い町で、約2500年の歴史をもつ古都である。北京から浙江省杭州までの大運河(注1)と太湖から流れる大小の湖や川に囲まれている。蘇州市内には今も水路がはりめぐらされ、美しい水都である。 蘇州は春秋時代の末期には呉の国の都となり、以来この地方の中心都市として発展してきた。そして明代になると蘇州の町中はもちろん、郊外の村においても糸つむぎや絹織物の生産が盛んになり、中国最大の織物の町として大きな賑わいを見せるようになった。蘇州は絹織物のほかに、木綿や綿織物などの紡績業が盛んであった。特に綿布のつや出しの多くは蘇州で行われた。長江から蘇州を経て杭州までは大運河が通じている。蘇州や松江で作られた絹織物や綿織物は大運河によって北方、黄河流域や都の北京まで送られた。だから蘇州には、こうした運輸に携わる業者や労働者がたくさん住んでいた。 13世紀にここを訪れたマルコ=ポーロ(注2)は「東方見聞録」で蘇州の美しさを“東洋のベニス”と称えた。このほかに中国では、他の景勝地も含めて“生まれるなら蘇州、住むなら杭州、食べるなら広州、死ぬなら柳州”と言われているとか...。中国では水不足が深刻だが、この地域の水資源が豊富で農産物がよくそだち、漁業も盛んなことから“魚米の郷”と呼ばれた。たくさんの恵みが与えられているこの地で、蘇州の商人は裕福になった。宋、元、明、清の各時代に庭園や建造物が町中に建てられ、訪れる人を飽きさせない。このように多くの庭園があることから、毎年多くの日本人が観光に訪れている。中でも虎丘の斜塔(中国のピサの斜塔と言われている。)や寒山寺は有名。毎年年末になると、張継の楓橋夜泊(ふうきょうやはく)の詩(注3)に魅せられた多くの日本人観光客が寒山寺の除夜の鐘ツアーで訪れる。ちなみに、このお寺の除夜の鐘を聞くと10年若返ると言われている。 このように蘇州は古き良き時代を売り物とした観光や織物中心の町かと思えば、現在は全く違った別の顔がある。いま“世界の工場”と呼び声高い中国を象徴するようなハイテク工業団地−“蘇州新区”である。 蘇州は中国最大の商業都市・上海市から西へ約80km、車でわずか一時間半の距離にあり、人口も700万人を抱える江蘇省No.1の経済都市。借地代は上海の浦東地区の1/4。人件費も浦東の2/3〜1/2。 それに税制上の優遇措置“二免六減半(二年は企業所得税が免税、あとの六年は半額の意味。)”、加えて蘇州は行政権限を持ち、進出に関わる申告手続きは10日以内に完了OK。 その上、外国人向け住宅団地、ゴルフ場、ショッピングセンター、学校、娯楽施設と揃っており、従来の中国のイメージを完全に払拭。このことから現在は日本企業の進出ラッシュに沸いており、年間経済成長率が平均約50%以上で、中国の数ある開発区の中でもトップクラスを誇る。現在同区に進出している外資系企業は約500社。日本企業の主だったものだけでも、松下電工、ソニー、富士通、エプソン、INAX、住友銀行、島津製作所、キャノン、村田製作所、三井化学...と堂々たる日本企業が名を連ねる。今は日本企業だけでなく、欧米企業にも人気が高い開発区になった。 このほかにも、この蘇州新区には蘇州楽園がある。これは東方のディズニーランドをめざして1997年にオープンした中国一規模の大きいテーマパーク。 この蘇州楽園は、 歓楽世界(Happy World−−−遊園地) 水上世界(Water World−−−ウォーター・パーク) のふたつのテーマにわかれている。 (注1) 大運河 遠く首都の北京から浙江省杭州までの総延長約1,800km仁保呼ぶ大水道。(尚、同じ運河でも地中海と紅海をつなぐスエズ運河は195km。) 元代(紀元1271年〜1368年)〜清代(紀元1616年〜1912年)までは地方の年貢米の上納に用いられた運河で人口水道としては世界第一。万里の長城とともに二大土木事業と言われている。 隋の時代(紀元589年〜618年)、楊堅(文帝、位581年〜604年)は華北と江南を結ぶ大運河に着手し、煬帝(ようだい、位604年〜618年)の時完成し、政治・経済・軍事上の大動脈として重要な役割を持つようになった。 元の時代(紀元1271年〜1368年)には、江南の豊かな物資を北方に輸送するために大運河を整備し、杭州から長江・淮河(わいが)・黄河を結び天津に達する水路が完成した。 明の時代(紀元1368年〜1644年)になると、元時代の水路を改修するとともに、長江と黄河の間に直通水路を開いた。こうして完成したのが現代に残る大運河である。 20世紀初めに汽船・鉄道の時代に入り、運河としての機能は一応終わった。だが解放後に改修され、3,000トンクラスの汽船が運航出来る箇所もできた。農業用水にも盛んに使われている。 (注2) マルコ=ポーロ イタリアのヴェネツィアの商人の息子。 1271年、当時17歳であったマルコ=ポーロは父につれられて中国に向かい、1274年以来、大都で元朝皇帝フビライの宮廷につかえた。彼は17年間中国に滞在し、その間に中国各地を旅行したが、元朝からイル=ハン国に嫁ぐ王女の案内役として、海路、イル=ハン国を経て、1295年ヴェネツィアに帰った。その後、彼はヴェネツィアとジェノヴァとの戦争に参加して捕らえられ、ジェノヴァの獄中で物語作家に自分の見聞録を筆記させた。その旅行記が“東方見聞録”で、中国をはじめ、アジア諸地域の詳しい事情をヨーロッパに紹介したものとして名高い。 (注3) 張継の楓橋夜泊 張継 : 唐時代(紀元618年〜907年)の詩人。山西省出身。進士(科挙に合格した者)で、この詩は旅の途中で詠んだもの。 月落烏啼霜満天 月落ち烏(からす)啼(な)いて霜天に満つ 江楓漁火対愁眠 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対す 姑蘇城外寒山寺 姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ) 夜半鐘声到客船 夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る 月が西の山に沈み、からすが啼いて、霜は天に満ちて真っ白である。川沿いの楓の葉と、ちらちらと漁り火が旅の夜の寝付かれぬ眼にうつる。一体いまは何刻であろうかと思っている所へ、姑蘇の町外れの寒山寺から夜半を告げる鐘の音が、ゴーンと自分の寝ている船に響いてきた。 |
参考文献 世界の歴史(改訂版) 1985年 山川出版社 (高校時代の教科書) 新訂 世界史図表 1985年 第一学習社 (高校時代の資料) 中国史を語る 1990年 山川出版社 (中国史勉強用の本) コンパクト 中国 1989年 株式会社セルネート出版 (同上) 中日大辞典 1988年 大修館書店 (愛用の中国語辞典) 週間ダイヤモンド 2001年11/3特大号 (株)ダイヤモンド (店主情報源) |
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