①村井御前社 (むらいごぜんしゃ)
  御祭神 置目老媼命
  祭礼日 3月8日

老媼は沙沙貴山君の祖、韓袋宿禰の妹。第23代顕宗天皇がご即位(485年)の後、蒲生野へ狩りに来られ殺害された御父市邊押盤皇子の葬処を探しお尋ねになられた時、置目という者がその場所を申し奉り、天皇は来田綿の蚊屋野に行幸され、御骨を掘り出し改めてお祀りされた。この置目はその功績により宮中に召しかかえられた。その後、宮中を辞する時、日野渓の地を賜りこの地に閑居した。逝去の後、里人等尊敬して祠を建てて祀った。現在の綿向神社の森を古くは「置目の森」とも称し、村井御前は綿向大明神の地主の神といわれている
  ②八幡宮 (はちまんぐう)
  御祭神 応神天皇 ・ 仲哀天皇 ・ 神功皇后
  祭礼日 8月15日

勧請年代不詳。承元3年(1209)の火災で炎上して後、数百年間仮殿であったのを、寛文5年(1665)仮殿に鎮祭するのを恐れ畏み、神主・里人と計り社殿を修造する。 今の社殿は天保3年(1832)西大路藩主市橋公により修造されたものである。
  ③榊御前社 (さかきのごぜんしゃ)
  御祭神 匂々廼馳命
  祭礼日 1月16日

御祭神は樹霊をつかさどる神である。勧請年代は不詳であるが本社の御遷座以前に鎮座してあって、承元3年(1209)の大火災の後は岩石を以て祀っていたといわれている。その後社地が消失することを恐れて宝永4年(1707)社殿が再建された。今の社殿は台風被害に依り昭和44年に他社より譲り受けて据えたものである。
 
  ④社日社 (しゃにちしゃ)
  御祭神 天照皇大神 ・ 豊受大神 ・ 保食大神 ・ 草野姫大神 ・ 産土大神
  祭礼日 3月・9月社日の日:春分秋分に近い戊
(つちのえ)の日

古くに中国より伝えられた土地の守護神を祀る信仰であり、春の農事始めにあたって天より田の神を迎えて祭り、秋の収穫にあたって地の神を祭る。一般に春秋の社日の日には鍬を使用することを忌み、仕事を休み土をいじらないなどと伝えられている。古くからの信仰であるが、当社のように厳重に祀り伝えているところは稀になってきている。 
  ⑤猿田彦之神 (さるたひこのかみ)
  御祭神 猿田彦大神


杉の大木を神霊の依り代として祀っている御神木で、土の神ひいては屋敷神・地主神として信仰されている。 
  ⑥安平稲荷神社 (あんぺいいなりじんじゃ)
  御祭神 稲倉魂命
  祭礼日 2月初午の日

文化4年(1807)2月7日甲賀郡岩室村の住人勘兵衛というものが願主となり勧請し造営する。文化10年(1813)、天保4年(1836)にそれぞれ社殿修造。現在の建物は昭和17年に稲荷講により建造されたものであるが、既にこの講は消滅している。 
  ⑦富士浅間神社 (ふじせんげんじんじゃ)
  御祭神 木花咲耶姫命
  祭礼日 7月27日

明和5年(1767)6月に勧請し造営する。文政5年(1822)3月16日修造。嘉永6年(1853)7月29日、西大路の住人山中正吉氏の信仰に依り社殿を修造し、今に伝えている。 
    (向って左)竈之社 (かまどのやしろ)
  御祭神 火結命 ・ 奥津彦命 ・ 奥津姫命
  祭礼日 4月8日

古くより綿向末社八社の中にあり、勧請年代は不詳。承元3年(1209)の大火の際に炎上して後は榊を立てて社の印にしたと伝える。以来幾度か造営して今に至る。 
(中央)玉椿神社 (たまつばきじんじゃ)
  御祭神 山部連羽咋
  祭礼日 4月1日

欽明天皇6年(545)夏4月、綿向山に雪降り、里人等不思議に思う。この時、蒲生稲置三麿と山部連羽咋が山麓で狩をしていたが、雪上に猪の足跡があるのを怪しみて足跡をたどり、遂に頂上まで登り着いたとき綿向の神の降臨をみた。依ってこの旨を奏聞し奉り初めて山頂に社を建てた。この功により後に神として祀った。昔、日精進村に祠があったものを貞観元年(859)紀武人雄子という人、大宮社地に遷し稲置三麿神社と共に末社とする。文政5年(1822)3月16日、慶応元年(1865)2月6日、西大路藩市橋家より社殿修造。その後再建され祀り伝える。 
(向って右)稲置三麿神社 (いなぎのみまろじんじゃ)
  御祭神 蒲生稲置三麿
  祭礼日 4月1日

御由緒については玉椿神社に同じ。
承元・大永・永禄・文禄と4回の火災に遭うと言えども、その時々に社殿を修造して祀り伝える。 
  ⑪池之社 (いけのやしろ) ・ 出雲神社 (いずもじんじゃ)
  御祭神 市杵島姫命 ・ 瑞津姫命 ・ 田心姫命 ・ 大己貴神
  祭礼日 11月1日

文化2年(1805)里人しばしば旱魃に苦しんでいたので、時の神主と諮り五穀豊穣を祈り、併せて防火の守護神として初めて社殿を造営する。
大己貴神を祀る出雲神社は弘治年中(1555頃)寺井宗心という者が敬い祀っていたのを、明治41年(1908)8月当神社に合祀する。 
  ⑫琴平神社 (ことひらじんじゃ)
  御祭神 大物主神荒魂
  祭礼日 10月10日

西大路士族奥田俊蔵宅にあったものを、慶応元年(1865)境内に遷し祀る。 
  ⑬神明神社 (しんめいじんじゃ)
  御祭神 天照大御神荒魂
  祭礼日 4月16日

寛政7年(1795)2月11日村井本町の住民、信仰に依って勧請する。その後、嘉永4年(1858)3月、明治10年(1877)1月に再造営される。当初は村井安村に鎮座のところ、明治42年(1909)2月に綿向神社境内の琴平神社に合祀し、その後昭和6年(1931)4月に村井本町下組に依って現在の地に社殿を造営、平成7年に社殿を再建し祀り伝える。 
  ⑭天満宮 (てんまんぐう)
  御祭神 菅原道真公
  祭礼日 2月25日

蒲生氏が中野城(一説には音羽城)にいた頃には城内の鎮守であったが、天正12年(1584)氏郷公が勢州松ヶ島へ国替えの砌、当境内に遷された。明和年中(1765頃)社殿造営。文政5年(1822)3月、明治24年(1891)修造。この頃はまだ本殿東側の榊御前社と八幡宮との間に社殿があったが、後に現在のところに遷された。 
  ⑮玉影神社(祖霊社)  (たまかげじんじゃ)
  御祭神 小舎人紀重方 ・ 紀實方 ・ 紀實信 はじめ 代々の宮司の御霊
      氏子内の英霊 ・ 当社への功績者の御霊
  祭礼日 12月5日

明和年中(1765頃)神主丹後守社保信が初めて神主家(社家)の祖である小舎人紀重方、その二親である實方・實信を境内に勧請する。その後、祖霊社として当社に功あった人、又氏子の希望者を合祀する。更に氏子の中で明治以降、戊申・西南の役、日清・日露戦争、シベリア出兵等々の戦争を始め、第一次大戦より大東亜戦争に至るまで、国家の為に殉じられた英霊を合祀する。
  ⑯蛭子神社 (えびすじんじゃ)
  御祭神 事代主命 ・ 蛭子命
  祭礼日 11月末頃

何時頃から祀られていたかは詳らかではないが、西大路に鎮座の社を明治41年(1908)9月、信徒総代と当神社総代と諮って当末社池之社に遷し合祀する。その後、氏子内の商工業者の崇敬篤く、昭和10年(1935)旧日野商工会によって社殿を造営奉斎し今に至る。 
  ⑰大将軍神社 (たいしょうぐんじんじゃ)
  御祭神 大将軍神
  祭礼日 11月28日

創祀年月は不詳であるが、宮司社家の宅を森の西方の太田家屋敷跡から境内(現在の社務所の地)へ移した寛文5年(1665)以後、屋敷の方除けの神として鬼門の方角に祀った。延享3年(1746)『綿向末社大将軍社』の棟札が現存し、その後数回修造されたことが見える。昭和3年(1928)社務所建設の為、宮司社家は境外地(現在の地)へ移されたが、そのままの地に祀り伝える。 
  ⑱【境外末社】大嵩神社 (おおだけじんじゃ)
  鎮座地 綿向山頂
  御祭神 天穂日命
  祭礼日 4月20日

綿向山の頂上に祀る綿向神社の奥宮である。社伝によると、『神武天皇4年山川の神祇を奉祀あった時、彦健忍雄心命が天穂日命の神霊を出雲国より供奉して綿向山に鎮め祀る』とあり、この蒲生野また日野渓に住み拓いた氏族が綿向山を神の山と仰ぎ、祖神を祀ったものと思われる。欽明天皇6年(545)蒲生稲置三麿・山部連羽咋の両人に託宣があり、奏聞を経て初めて社殿を造営する。(境内社⑨稲置三麿神社を参照)
以後20年毎に地元の榧の木を用いて社殿を建て替える式年遷宮が仕えられ、平成28年には第75回目の遷宮が完遂された。 
  ⑲【境外末社】佐久奈度神社 (さくなどじんじゃ)
  鎮座地 綿向山麓
  御祭神 瀬織津姫命
  祭礼日 4月20日

創祀年代は不詳。この社は祓いの神を祀っており、神体山である綿向山に登拝する際、身を清め祓いをするところである。現在も4月20日の大嵩神社の祭礼登拝する時、ここで祓いの神事を行っている。この社殿も大嵩神社の式年遷宮の時に建て替えられる。 
  ⑳【境外末社】笠懸神社 (かさかけじんじゃ)
  鎮座地 綿向神社参道
  御祭神 彦健忍雄心命
  祭礼日 9月16日

創祀年代は不詳であるが、現存の元亀2年(1571)の棟札に見えることから、民家が建つより遙か以前、松林の参道に鎮座していた社であり、江戸期以前の棟札には「石組明神」或いは「石組神社」と呼ばれていたことが見られる。「笠懸神社」と呼ばれるのは、5月5日参道馬場において流鏑馬が行われ、その的となる笠を懸けたところから由来するとも、宮入りのため笠を懸けたからとも云われている。

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