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石灯籠群 (近江日野商人奉納)

境内には形の異なる大小多くの石灯籠がある。最古のものは、鎌倉時代の様式を伝え、重要美術品にも指定された非常に価値あるものである。御本殿前に据えられた石灯籠は、元禄11年(1698)日野出身で上州で商いをしていた商人中で奉納したものであり、また御手洗川岸にある大灯籠は文化9年(1812)に建立されたが、地震で倒壊した為、文政2年(1819)に123名の篤志者によって再建されている。このほかにも日野商人などの名が刻まれたものが沢山あり、日野商人の信仰の歴史を見ることができる。
  石灯籠 (国指定重要美術品)

鎌倉時代

当神社の最古の現存品とも云うべきものが、この石灯籠である。年代は刻まれていないが、鎌倉時代の様式をよく残している。
  千両松

江戸時代の後期、日野商人の豪商の中で、伊豆の三島で醸造業を営んでいた辻惣兵衛は、儲けたお金を故郷の日野に持ち帰る為に、度々と三島と日野の間を行き来していたが、この頃街道を大金を持って往来することは、山賊などの危険にさらされ、至難のわざであった。そこで惣兵衛は考えた末、この大金を松の盆栽の鉢の中に隠し、故郷日野の本宅に無事帰ることができた。これは氏神様である綿向大神のご加護のお蔭と感謝し、神社の境内にこの五葉松の木を植えた。現在も境内にその木が残っており、『千両松』と呼んでいる
。 
  祭礼大絵馬

絵馬殿に掲げられた多くの絵馬の中に、畳4枚分程とひときわ大きな絵馬には、天正年間の祭礼のお渡りの様子が細やかに描かれている。 蒲生氏郷公が生まれられたお祝いとして殊に盛大に行われた祭礼を、後の世の文化9年(1812)に日野の代表的か画家である谷田輔長が描いたものである。奉納者は全国にその名をはせた日野の豪商中井家であり、この絵馬を奉納せんが為に、絵馬殿を寄進したと伝えられている。このほか境内にある拝殿・馬舎・水舎など中井家の建立である。 
若松の杜

日野に生まれた戦国の武将 蒲生氏郷公は後の天正18年(1590)に会津黒川城主となった時、縁起をかついだ氏郷公は黒川の名前を変えようと考え、故郷日野町で蒲生氏の氏神と崇めた綿向神社参道の「若松の杜」からその名をとり、「会津若松」と改称した。古文書によれば、江戸時代中期の明和年間に松が枯れ、伐り除かれてその後人家が建ったようであるが、「会津若松」の呼び名は今も用いられ、その名ごりを残している。 

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