世代交代、という言葉を実感せざるを得ない展開となった今期の大会。現在トータルポイントでトップに立つカール・リヒター・フォン・ランドル。次いで17歳の新条直輝。史上最年少ドライバーにして、14歳の風見ハヤト。ハヤトばかりがしきりと史上最年少と呼ばれているが、ランドルも同年齢だ。サイバーに関しては素人だったハヤトとランドル、他のカテゴリーで経験を積んできた新条。揃ってサイバーは今期デビューだ。現在トップ争いをしつつ走るランドルと新条、そして奇跡を起こすドライバー、と呼ばれているハヤトは、旧マシンのハンデを、コース4分の3にあたるポイント浦和まで、タイヤ無交換その他全て無補給、という離れ業で克服し、マシンチェンジによって、15位スタートにも関わらず、すぐ後ろまで順位を上げて来ている。
今まで裏での賭けレースを主体にしてきて、表舞台へ出た事などない加賀を、サイバーフォーミュラというカテゴリーで走ってみたい、と思わせたのは、これからどう化けるかわからない若手が、今期にこぞって出てきた面白さも、一因だった。。
汚いやり口など当たり前で、命すらもゲームの駒にしか過ぎないような、裏レースの世界で生きて来た加賀にとって、表舞台の制約の多さや、馴れ合いとしか思えない雰囲気は馴染めないものだったが、テクニック以外でのマシンの潰し合いなどではなく、あくまでもサイバーシステムとマシン、ドライバーの技術によって勝敗が決まる…表舞台では当然だが…のは久しぶりの事で、選ばれたドライバー達と競う事に、これ以上ない悦びを感じていた。
第10回ワールドグランプリ。最終戦、日本グランプリ決勝。ニセコからスタートしたレースは、現在富士樹海スーパーオフロードコースへと、その舞台を移している。
目の前のバトルに挑み、トップを狙う。優勝だとか、賞金だとか、この時の加賀の頭には、なかった。力を持つドライバー相手に、極限のスピードの中、勝負を賭ける。いつだって、待っているのは、この、ゾクゾクする瞬間、だ。
荒削りだが、優秀なサイバーシステム…今世紀最大の天才、風見広之の生んだアスラーダ…を良きパートナーとし、走る度に成長が目に見えてわかる、ハヤト。天才の名を欲しいままにし、参戦初戦でポールトゥウィン、というシューマッハ以来の離れ業をやってのけた、ランドル。浮き沈みが激しく、鳴り物入りでデビューした割りには地味な扱いを受けながらも、着実に何かを掴んでいるであろう、新条。
表舞台へ来る事がなければ、戦う事などなかっただろう。今まで裏舞台で生きて来たとはいえ、加賀にも表舞台で戦っていた時期がある。ひたすらその頂点を目指して、がむしゃらに走っていた。ポイントの上で、熾烈な優勝争いを繰り広げている3人が、それに重なる。だが、感傷に浸っている暇など、今はない。
4位を走る加賀の目の前には、ベテラン、ピタリア・ロペが走る。いくら荒っぽいコースとはいえ、クラッシュレースの比ではない。いける。かわした。かわされたロペは、そのままコースアウト、リタイア。これで、3位。目の前には、2位の新条、1位のランドル。ロペのリタイアに気を取られたらしいフランツ・ハイネルの一瞬の隙を突いて、ハヤトが前に出る。加賀の、すぐ後ろ。見覚えのある車体が、迫って来る。
「来たな、ハヤト…ゾクゾクするぜぇ…3人のワールドチャンプ候補と、張り合えるなんてね…ッ」
ミラーに映る影が、大きさを増してくる。たまらない、高揚感。
「精一杯ぶつかって来い、ハヤト!」
レースに手を抜いた事は、ない。だが、ハヤトと本気で勝負できるチャンスは、なかった。ここで、その、新型のマシンで、ここまで戦って来た力の全てで、挑んで来い。こっちだって、伊達にレースで食ってるわけじゃあ、ない。妙な義理を感じて遠慮するなら、お門違いだ。
「行くぞッ!」
ハヤトが仕掛けようとした動きを読んで、すかさず動く。ブロックする必要もなく、引き離す。その速さに、ハヤトが驚く。待つつもりなど、あるはずもない。そのまま、前を走る2台との距離を詰める。
どうやって、仕掛けるか。どこを突いて、どこで抜くか。コンマ以下の速さを競いながら、考えなければいけない。負ける気など、しない。負けるつもりなど、毛頭ない。プレッシャーなら、先を走る方が、大きいはずだ。
ここまで来れば、射程距離だ。まずは、新条。口元が、笑いの形に歪むのを、止められない。
「聞こえて?加賀君」
仕掛ける寸前、インカム越しの今日子…アオイフォーミュラ及びZIPのオーナーの声が、聞こえる。邪魔だが、無視するわけにもいかない。
「ばーっちりっ、聞こえてますよぉっ」
ここはさっさと言いたい事を言わせて、バトルに集中させてもらわねぇとなあ…などと思いながら、これからの展開にわくわくする気持ちを抑えきれない声で、返す。
「いいこと?あなたの着順は問いません…その代わり、必ず新条直輝を、抑えなさい」
「え…」
何を言ってるんだ、この女。
新条はアオイフォーミュラ、加賀はアオイZIPフォーミュラ、資金源とオーナーを同じくする、「兄弟チーム」だ。新条への喝入れの為の当て馬、というポジションに、自分が居る事は、知っている。アオイの戦略がどうであれ、今日子自身の気持ちとして、自ら育て上げた新条をより強くする為だ、という事ぐらいは、すぐに解った。それでも良かった。妙なしがらみ…義理人情と言われるそれ…に縛られて、動きが取れなくなるよりは、金次第でどうとでも動く、という加賀が自ら作り上げた印象そのままを利用して、話を進める今日子は、正直やりやすかった。
加賀の加入によって、実質上、2軍扱いをされ、一時期は荒んでいた新条も立ち直りを見せ、アオイのファーストドライバーとしての意地を、見せるようになった。その新条が、トップを争っているこの場面で、新条を潰せ、と言わんばかりのオーダーだった。
「あの子は…私のプライドを傷付けてくれたわ。あなたが新条に負けるという事は、この私が負ける、という事でも、あるわ。特別ボーナスを出します。いいわね。必ず、勝ちなさい」
どういう理屈だ、そりゃ。
呆気に取られて、怒りも湧いてこなかった。
確かに相手が金を出せば、それに見合う結果を残して来たし、結果を積み重ねる事によって、加賀を胡散臭げに見ていたクルー達からの信頼も…少なくとも、レースに於いては…短期間で得る事が出来た。草レースとは比べ物にならない、金と時間、人の手をかけられた、レースマシン。それらのマシンの為だけに、選ばれ、整備されるコース。草レースとは格段にレベルの違う、レーサー達。
第7戦からの途中出場にも関わらず、着実にポイントを重ねた加賀の現在のポイントは16。ハヤト34、新条35。第6戦から出場のランドルが21。この最終戦で加賀が1位になり、最高ポイント9を獲得した所で、加賀の逆転優勝はなく、場合によっては、かろうじてランドルに勝てる、といった得点だ。ハヤトと1点差で優勝を争っている新条を援護しろ、というのならば、まだ話はわかる。
だが、オーダーはあくまでも、新条を抑える事のみで、その為ならば、順位は問わないと言う。どこまでも『勝つ』事しか考えていないはずの、今日子の『新条に傷つけられたプライド』は、チームの勝利や、育てて来たドライバー以上に、守らなければいけないものなのか。
んなわけ、ねぇよなあ…。
色々なものを得ると同時に失いながら、ここまで戦ってきた、全ての人の期待や希望を背負って、狭苦しい空間にただ独り身を置いて、狂気のスピードの中、最終決戦の場を走っているレーサー達。プライドも、意地も、命も、持つものすべてを、誰よりも速く走る、それだけに賭けて。
その中に、自分が居る。ゾクゾクする瞬間を、味わっていたはずだった。こんなレースは久しぶりで、自分がどこまで通用するのか、限界に近い所で試すチャンスなど、望んで得られるものではない。それを、どんなにお高いものかは知らないが、『オーナーのプライド』を守る為に、放棄など、できるわけがない。
このまま走りたかった。勝負を賭けて、ただ、誰よりも速くチェッカーを受ける為にだけ。
面倒な事を排除する為に、金を全面に押し出して物事を進めて来た結果が、これか。金さえ出せば、どんな要求にも応える…それはあくまで、レースがらみでの事であって、個人の事情などを介在させない為の、手段だったはずだ。使い方を、間違えたのか。
「金じゃあ、ねぇのさ…」
走り続けるのなら、オーダー通りにしなければいけないだろう。所詮、雇われの身だ。だけど、この勝負を、邪魔されたくないのと同じように、自分が邪魔したくも、なかった。
「やぁっぱ俺には向いてねぇのかなあ…しがらみ背負って、走る、ってぇのは…よぉ…ッ!」
コーナー手前でブーストをかける。素人目にもわかる、不自然なオーバースピード。このままコーナーを曲がれるわけなど、ない。遠くなって行く、3台のマシン。あの中で、走りたかった。すぐに、消せる気持ちではない。
「ちっくしょおぉぉぉッ!!」
ガードレールを突き破り、数度回転したものの、大破する事なく着地したマシンの上部を開いて、立ち上がる。メットを脱いで、目の前を去っていく3台へ向かって、Vサインを送る。自分は大丈夫だ、という事、そして、心置きなく勝負をしてくれ、という願いを、伝える為に。
「よお!」
故意にリタイアを演じ、それによって損傷したマシンの回収を済ませ、そのまま去ろうとした加賀だったが、結局モーターホームへ戻った。去るのなら、後始末はきちんとしておかないと、後々面倒な事になる。いつもの調子で、悪びれた様子もなく現れた加賀に、イラついた様子を隠さない今日子が言う。
「あんな事をするレーサーだっとはね。失望したわ、加賀君」
加賀のリタイアが故意である事は、レースが終了する頃には、チーム内外で囁かれていて、真相を探ろうとするプレス連中も含め、遠巻きにふたりの様子を伺っている。
「向こうで話しましょう」
レーシングスーツから、私服へ着替え、モーターホーム内の今日子の部屋と出向いた加賀の前に、差し出された数枚の紙。
「これにサインをしてちょうだい。そうすれば、今日の事は水に流します」
「なんだ?」
「今後、私の指示にはすべて従うという誓約文。もう1枚は、来期(らいシーズン)の仮契約書よ」
…冗談、キツいぜ、女王様はよ。
「気のりしねぇなあ」
「なんですって?!」
「束縛されンのは、まっぴらなんでね」
「わざと負けるような真似をしてッ!罰金も取らずに契約しようと言っているのよ!!」
あくまでも、契約違反をしたのは加賀であり、自身は何も悪くはない、という態度。何が加賀にそういう行動を取らせたのかも、気付いていないのだろう。
「あんたには悪ィと思ってるよ、今日の事はな。ケドさ。やっぱり俺は俺の『走り』がしたいワケ!だからこれにゃあ、サインできねぇ。わかった?」
あくまで明るい口調を崩さずに言いながら、取り出したライターで紙を燃やす。しおらしく反省する事もなく、悪いと言いながらも本気かどうかも怪しい加賀の態度に、思わず今日子が怒鳴る。
「レーサー失格ね、あなたは!クビよ!出て行って!!」
「はいはい、女王様」
加賀の返事にいっそうヒステリックになった今日子に向かって、出て行こうとした足を止める。
「なあ、今日子さんよォ…レーサーってのは、所詮1人じゃ走れねぇ…。レースの結果がどうあれ、ピットに帰ってきて、スタッフに『お疲れさま』って言われる時、1人じゃあないんだって、思えるのさ」
「…なっ…何が言いたいの?!」
ヒステリックな女に、言うだけ無駄かねぇ…と思った加賀は、そこで話を切り上げる。
「くだらねぇ事だ。まっ!あんたには、わかんねーよ」
これ以上の被害を被らないうちに退散、と、早々と部屋を後にする加賀と入れ違いに、入賞報告の為に新条が来る。
「やめといた方がいいぜ…今は」
とにかく何につけても巡り合わせが悪い新条に、一言声をかけて、着替える為に部屋へ向かう。クビになったとはいえ、まだアオイZIPのレーサーとして義務付けられている F.I.C.C.Y 主催のパーティ出席が残っている。とにかくこれでこの世界とは縁を切る事になるだろうが、だからといって走る事をやめるわけでは、ない。とんでもない出会いから、ここまで、何かにつけて自分を兄のように慕ってくれていた、今大会の小さなチャンピオンを祝って、そしてその事を…自分が走らなくなるわけではない、という事を、知らせてやらなければ、いけない。
パーティ会場では案の定、加賀がそのままふらり、と消えると思っていたらしいハヤトが、振っているしっぽが見えそうな勢いで、加賀のもとに来る。
同じ会場では、人の輪から離れた所にひとり立つ、今日子が居た。それを目ざとく見つけたのは、ジャッキー・グーデリアンだ。口説くチャンス!といそいそと近寄る。
「ハァ〜イv今日子。楽しんでる?」
振り向いた今日子は無言でグーデリアンを見つめているが、決して色気のある誘いなどではなく、単に酔っ払っているらしかった。ほんのりと赤く染まった顔で、突然グーデリアンに指を突きつけ、叫ぶ。
「決めた!!あなたよ!あなた来年アオイZIPで走りなさい!!」
「ハァ?!んん〜〜…来年はもう、決まっちまってるんだけど…」
グーデリアンの脳裏には、青筋を立てたフランツ・ハイネルの姿が浮かんだが、グーデリアンも少し酔いが回っているせいで、目先の欲望に向かうまで、0.5秒しか、かからなかった。
「わかったよ。今日子がそう言うのなら、なんとかするぜ」
浮かれるグーデリアンを余所に、今日子は賑やかな会場を見つめていて、その先にはスゴウのあすかや、みきが居た。
「昔は私も、あの娘たちのように夢を見ていたのにね…。いつか私達も勝ってやる…という、熱い夢。勝てなくても次はきっと、いつかは、きっと…。それがオーナーになったら、そんなものどこかへ吹っ飛んじゃった」
「OK!ミーが夢を見させてやるぜ」
しみじみと呟いた今日子に、ここが押し所!とばかりに格好をつけてみせたグーデリアンだが、最終戦前の新条や、先程の加賀の言葉を思い出していた今日子には、聞こえていない。
そうね…新条君や、加賀君の言うとおりかも、しれない…
『這っていた赤ん坊も、いつかは自分の足で歩きますよ』
『まっ!あんたには、わかんねーよ』
でも、青臭くて甘っちょろい夢だけでは、通用しない世界だって、あるわ。
夢を追う者が居る裏側で、現実を動かさなければいけない者も居る。
私が見なければいけないのは、現実………勝つ事だけを考えなくては、やっていけないのよ。その為なら、何だって切り捨てられるわ…!!
夢だけを見ていては、経営は成り立たない。そして、資金を得る為には、結果が全てだ。失敗したけど、頑張りました、などと、そんなものは通用しない。どんな過程を経ているとしても、成功と失敗の評価は、結果を示す事でしか、される事はない。今日子がオーナーとして身を置くようになったビジネスは、そういう世界だ。
「オーナーか…とんだ憎まれ役よね…」
「今日子!」
今ならイケル!寂しげな横顔を見せた今日子へ、俺の胸へ飛び込んで来い!とばかりに、両腕を広げたグーデリアンが今日子を呼ぶ。だが、今日子がグーデリアンの胸へ飛び込む事は、なかった。
「そう!私はアオイフォーミュラのオーナーよっ!悩んでなんか、いられないわ!!」
酔いの醒めていない状態の今日子は、唐突に叫ぶと、グーデリアンに向き直り、優雅に一礼する。
「じゃ、グーデリアンさん、失礼するわ!」
「そんなぁ〜。ちっ!ありゃ〜落とせると思ったんだがな〜」
今日子の後姿へ未練たらしく目を向けていたグーデリアンの背後に、この様子を見ていたらしいハイネルが近づき、来期契約の事で嫌味を吐き続け、グーデリアンが慌てて機嫌を取ったりする、相変わらずな一幕もあった。
グーデリアンと別れ、会場内へ戻った今日子は、少し酔いも醒め、落ち着きが戻って来ていた。総合2位という成績を残した新条を連れて、挨拶回りに忙しく動き、それも一段落着いた時に、新条が言いにくそうに、今日子の顔を伺っていた。
「あの…オーナー…」
「どうしたの?新条君」
「あの、俺…その…オーナーには、感謝しています。サイバーの世界を知ったのも、ここに、こうして居られるのも、オーナーが、色々考えてくれたおかげだと、思います。それなのに、なんか、色々言ってしまって…なんて言えばいいのか…その、すみませんでした」
最終戦前の事を、言っているのだろうか。それとも、今までの事を?
確かに新条を見つけ出し、育てて来たのは今日子だ。だが、それも本人の努力あっての事だ。こうしてここに居るのも、総合2位になったのも、チームの想いを、力を乗せて、そうして新条自身が戦ってきたからこそ、だ。
「…あなたの、力よ。新条君。あなたが戦って、あなたが掴んだ勝利ですもの。いい、走りをするように、なったと思うわ」
今日子の言葉に、新条が驚いた顔を見せる。それ以上に驚いているのは、今日子自身だった。
勝つ事を考えなければ、それだけを考えなければ、やっていけない。大切なドライバーが育つように、何としてでも勝つように、それだけを考えて、指示して来た。自分が実際に、変わりにマシンを操って勝負するわけにも、いかない。もどかしさから、良かれ、と思ってして来た様々な事が、ドライバーやクルー達との軋轢を生んでいる事ぐらいは、解っていた。
それでも、オーナーとしての立場からしか、物を言う事ができない。ドライバーやクルーの気持ちも解らないわけではない。けれども、それに溺れてしまっては、経営者など、務まらない。ビジネス経験が豊富な人物にも難しい、人を使い、上から全体を見渡し、過不足なく動かしていく立場は、若干18歳の今日子にとって荷の重いものではあったが、アオイの後継者として、それに対する不満など言ってはいられなかった。
女である、というだけでも、いらない気を使うし、使われる。その上、アオイグループの会長の孫娘で、現社長の娘という立場。気を抜けば、それ見た事か、と揚げ足を取られる。そしてそれは、そのまま父や祖父への評価へ繋がる。必要以上に、気を張ってしまうのは、仕方がない。だが、そんな今日子を見抜ける人物は、そう、多くはなかった。
私が何とかしなければ。そう思って行動し、結果が思わしくなければ、私がこれだけしたのに、と歯がゆい思いをした。だけど、こうして結果が出て、その結果を出したドライバー自身の口から感謝の言葉を聞いた時、今日子はそんな自分の思いなどは頭になく、素直に、相手を讃えていた。自分の思いが無駄ではなかったのだ、という安堵より何より、ただただ、相手に対する感謝だけが、今日子の胸にあった。
「ありがとうございます、オーナー。来期は、優勝します」
驚いて、一瞬言葉の出なかったらしい新条が、笑顔で礼を述べる。
「そうね。ぜひ、そうしてもらいたいものだわ。しっかりね、新条君」
照れ隠しもあって、いつもの口調で言う今日子に、『もちろんです』と答える新条と離れ、テラスへ向かう。今期の最年少チャンピオン、風見ハヤト。その彼と話している、加賀の姿を見つけたからだ。加賀へ感謝の言葉を贈るハヤトと、それを受け止めつつ、来期、サイバーを走る気はない、と言い切る加賀。
「レースをやめるっつってるわけじゃねえ!熱い走りは、どこだってできんだ!!」
言うなり、持っていたシャンパンの栓を抜き、撒き散らす。
どこでだって、走る事は出来る。それは、嘘ではないだろう。だが、その時にしか、できない勝負が、できない『走り』が、あるはずだ。
落ち着いてみればさすがに、今日子にも解った。最終戦でのオーダーが、私情以外の何物でもなかった、という事。自分のプライドと、アオイに関係など、ない。本当に、プライドを傷つけられたのは、自分ではない。
今更、謝罪の言葉を言った所で、どうにもならないだろう。けれど今、伝えておきたい言葉が、今日子の中には、あった。ふたりに近づいて、声をかける。
「加賀君…ひとつ、言い忘れてた事があります」
振り向いた加賀に、精一杯の気持ちを込めて。
「お疲れ様でした…いい『走り』だったわ」
普段からは想像できない穏やかさで微笑みながら告げる今日子に、ふたりが驚いて固まる。それも、気にならなかった。
加賀は、そんな今日子へ嫌味を言うでもなく、からかうでもなく、にぱり、と笑う。この女王様が、なんだってまあ…。えらく、素直だったりすんのな。などと、心の中で思いつつ、礼を言う。
「サンキュー、オーナー」
裏の世界で生きて来たせいなのか、本来の性格によるものか、人の機微に敏い加賀は、それ以上の事は言わない。そういう部分に救われた形になった今日子だったが、チームの運営上、責任の所在は、はっきりとさせないといけない。渋る加賀を本社へ呼び、関係者の前で正式な謝罪をする手はずを整えた。
重役もチーム関係者も、今日子の未熟さを責め、それでもその年齢と経験の浅い事が考慮され、オーナー業務は続行する事になった。加賀へ対しては同情的な意見が寄せられ、プレスも何とか記事にしようと追いかけてはみたものの、済んだ事、として本人が何も語らないのだから、記事になりようも、なかった。
富士岡サーキット。ここは、アオイのホームコースだ。第11回グランプリも、5戦目を目前に控え、コースでは5戦目から投入予定のニューマシンの調整が続いている。関係者以外は立ち入り禁止の場所へ、当然のように入って見学している加賀の姿があった。
気付いた今日子が、声をかける。
「うちの自信作、エクスペリオンよ。どう?」
「いーねェ〜。ありゃエンジンも新型だろ?噂のAW−15ってヤツ…」
挨拶もそこそこに、交わす会話はマシンの事だ。今期の加賀はインディを走っていて、その為に必要なエンジンやタイヤなどの供給先を探す為に、馴染みのアオイへ顔を出していたのだった。
国内最大シェアを誇るアオイには、すべての部門が揃っている。噂になっている新型エンジンも、もちろん気になっている。使えるようなら、欲しいと思うし、そうでなくても、試してみたい、と思う。加賀はマシンのデザイン…もっぱら、自分の為のものに限られては、いたが…もすれば、メカニックとしての腕もなかなかで、走る事同様、新しいパーツなどにも、目がない事を、今日子は知っている。微かな笑いを堪えて、聞いてみる。
「やめなければ良かったと思ってる?」
「ぜーんぜんっ!!」
即答されても、腹も立たない。
それは、最終戦以降、加賀と今日子が連絡を取り合う機会が増え、お互いの気質や行動がわかってきているせいも、あるだろう。
「フフッ…あなたらしいわね。あなたにはあなたの走りがあるのなら、私には、私のやり方があるわ。見てらっしゃい、後半戦は、勝つわよ!!」
「あーあ。新条には、同情しちまうね、ホント!」
今期、第4戦までを終えて、新条が表彰台を逃したのは、第2戦だけで、それでも順位としては4位。他3戦も表彰台に上っているが、良くて2位どまりだ。去年に比べれば、安定した走りを見せている。それでも、今日子の言う『勝つ』は、優勝する事、つまり1位を取る事で、それには今ひとつ、及ばない。マシンでカバーできる部分は、徹底的にカバーできるように、その為に休む間を惜しんで、こうしてサーキットへ詰めている。
今日子を正直、疎ましく思っていたクルーも多かったが、加賀との一件や、年間10戦のレースを、去年の参戦から約1年半、一緒に戦う中で、チームの事を第一に考えている事、決してチームの人間の前で弱音を吐かない事、ヒステリックになるのは、思い入れのあまりだという事に気付いた今では、会長の孫、社長の娘、アオイの後継者、というのを抜きにして、今日子を慕うようになって来ている。
『アオイの女王様』と内外から、主に揶揄の意味を込めて付けられたあだ名を、アオイのクルーに限っては、親しみを込めて使う程だ。
久しぶりにアオイへ顔を出した加賀は、今日子を取り巻くチームの雰囲気が、ずいぶんと柔らかいものになったように、感じていた。今日子のまとう雰囲気は、まだ頑なな部分が抜けてはいないけれども、それでも去年に比べれば、優しくなったように思う。
チームの雰囲気も良く、ドライバーである新条の調子も良い。ニューマシンの仕上がりも、見ている限りでは順調そうだ。盛り上らない方が、おかしい。チーム全体に、気合が入っているのが、わかる。
誰も、自分以外の気持ちを、完全に理解などできない。だけど、見ているものを同じくして、それに向かって進む事は、できる。周囲にそうさせる何か、を、新条だけではなく、今日子が持ち始めた事を、加賀は感じていた。
「カタチは違っても、目指す所はただひとつ、ってか」
「何?」
加賀の呟きはマシンの音に掻き消されて、今日子には聞こえなかった。
「いーや、こっちの話!」
すぐにマシンへと見入る今日子を横目で見る。
勝つ事だけしか考えてねぇ、なんも知らねぇお嬢さんかと思ってりゃ…。
今日子は、生まれ育った環境から逃げる事なく、これかもその立場に立ち、このチームのオーナーであり続けるのだろう。自分は、どのカテゴリーだろうが、自分の為に、走り続けるのだろう。それぞれに、戦い方も、戦う場所も、違う。だけど、目指すものは、向かう先は、同じなのだ。
勝利へ!
「形容詞30題」より『 10.したしい 』です。このアンソロジーはサンライズ監修、という事で、本編にあっても違和感のない各キャラのエピソードが収録されております。なのに、この設定を使うと、ダブルワンラストでの、スゴウのピット前で今日子と顔を合わせた時の加賀の態度…心底嫌そうな、しょっぱなの顔、と辻褄が合わない…おのれサンライズ。監修するならするで、きちんとして下さい。サンライズが噛んでいるから、オフィシャルみたいなものじゃあ、ないのかしら。TV放映当時は、今日子も好きだけど加賀至上ですから、最終戦のあのやり取りを、上手く消化できませんでした。今日子の年齢と、経験値を考えると、ああいうのもアリなのか、と思えたのは、ずいぶん経ってからです。このSSが、読んだ方にどのような印象を与えるのかは、わかりませんが、加賀×今日子では、ありません。加賀が今日子にラブっているように、見えなくも、ないような気が致しますが。恋と愛は違うの。愛は何も、恋愛だけじゃ、ないの。情だって、何も友情だけでは、ないでしょう。そのあたりを、もっと上手く書けると良いのですけれども。ふたりとも、容赦ない性格に見えて、とても脆くて甘い部分が、似ていると思います。だから、解り合える部分も大きいのでは、ないかと。だけど、それは恋愛には、ならない。少なくとも、ワタクシの中では。加賀は今日子のようなタイプを甘やかすのが上手だと思いますが、最終的には自分の夢だの何だの、とにかくオノレの自由の為に独りを選ぶだろう、と解釈しております。だけど、変に情に厚いというか、しがらみを捨てきれずに足掻いて、深みにハマるタイプ。(笑)自由を選ぶのであれば、孤独は引き受けて当然ですので、最終的には、何もかもを切り捨てる覚悟は、あるでしょう。その程度の覚悟もなく『自由に生きる』などとほざくようなキャラに、惚れた覚えなど、ございません。