何もかもに、むしゃくしゃしていた。
加賀の父親が個人で経営している総合病院は、父親の腕もあり、地元ではそこそこに知られていた。
医者の息子は医者になって当然。幼い頃から父親をはじめとする周囲に期待され、そのように教育され、疑問を持つ事もなく過ごしてきたのは、小学生までの事だった。
母親は、元々身体が丈夫な方では、なかった。加賀を産んだ事が大きな負担となったのか、加賀が物心付いた時には入退院を繰り返していたし、中学へ上がる頃には病室から出る事も、なくなっていた。
そんな頃、父親の浮気を知った。
父親と相手の関係は、加賀の産前から続いていたらしい事も。
つまり、父親は世間体と経済的な背景の為にだけ、母親と婚姻関係を持った、という事らしかった。
母親の苦しむ様子…病気だけのそれではないもの…を知り、それに対して自分が出来る事もなく、父親への反抗の為にやさぐれてみても自分がバカを見るだけだ、という事が解る程度には、加賀は愚かではなかった。
表だって解り易く反抗を見せる事はなかったが、だからと言って、このまま黙って父親の望むように生きていくつもりも、なかった。だが、その為の方法を見つけるには、加賀はまだ、幼かった。
「城太郎。お前、もうすぐ誕生日だろう。何か欲しい物があるなら、言いなさい」
加賀の14歳の誕生日を数日後に控えたある日、普段は愛人との浮気にうつつを抜かして加賀の事など顧みない状態であった父親が、気紛れに父親らしい事をしようとしたらしく、そんな事を言った。
言いたい事は、たくさんあった。
母親を放っておいて浮気なんかしてんじゃねぇ、だとか、自分に期待だけを掛けて放置してんじゃねぇ、だとか、そういった、諸々の事を。
ただ、そういった私生活を除いては…仕事に関してのみ言えば、常に最新の技術や理論の勉学を怠る事はなく、患者やその家族からの信頼も篤いのが、父親の性質の悪さだった。父親の浮気は半ば公然のもので、それに眉をひそめる者もそれなりに居たが、仕事に賭ける熱心さ…情熱、と言ってもいいもの、に関しては、皆一様に認めざるを得ないものだった為に、口をつぐむのが常だった。
加賀にしてもそれは同じで、社会的な面だけを見たならば、絵に描いたように立派な人物、である父親に、何か言ったところで自分がたしなめられるのが落ちだ、という事ぐらいは、理解できた。それだけに、苛立ちは募る。
黙ったままの加賀をどう思ったのか、 父親は溜め息をひとつつくと、1枚のカードを加賀に手渡した。
「これをお前に渡しておくから、好きな物を買うといい。お前の名義に、なっている」
動かない加賀の手を取り、カードを掴ませると父親はそのまま、部屋を後にした。
要らない、と返す事も出来なかった。
何をするにも、金があるに越した事はない。
親の金で何かを手に入れたところで、自分の力ではない事ぐらいは理解していたけれども、それでも、14歳の子供が、自分の力で…まともな手段で…手にするにはそれ相応の時間がかかる金額が入っているであろうカードを、手放す事もない。金以外で、自分に対する責務を果たそうとしない親からならば、尚更。そう思った加賀は、そのままそれを、受け取った。
どれぐらいの金額がそのカードで使えるのかを確認した加賀は、父親が自分に対して金銭的に不自由さえさせなければ、たかが14歳の子供、自分の思い通りに言う事を聞くだろうと思っているであろう事しか、感じる事が出来なかった。
考えた結果、加賀はその金で、バイクを買った。
とにかくこの、むしゃくしゃした気分をトバせるとしたら、未知のスピードの中に身を置いてみるのも、いいかもしれない。
何をすれば、自分の中にある何もかもが解消するのか、そんなもの、全く解らない。ただ、偶然目にしたレース番組に感じた直感のまま、加賀はそれを、手にしたのだった。
父親は、加賀のバイクを目にしても何も言わなかった。何も問題を起こす事なく学校にさえ通っていれば良い、自分の浮気に関して口を出す事がなければ良い、といったところなのか、或いは無関心なのか。
ひとりで走りに行く事以外に、加賀の日常に変化はなかった。
帰宅し、母を見舞い、食事を済ませると出かける準備をする。父親が家に居る事などほとんどない今の状態は、加賀にとっても都合が良かった。
走り屋、と呼ばれるグループが居る事は知っていた。公道を、制限速度内で走る程度で、むしゃくしゃしたものが解消されるとは思えない。だからといって所謂暴走族、と呼ばれる集団に入るのも何か違うと思った。サーキットの走行会に参加するのも、違う気がする。レースに出るには、まだ力が足りない。
走り方を、誰かに教えてもらおうという気は、なかった。
学校の友人には、バイクを買った事すら話していない。
レースに近い事が出来る場所。行き着いたのが、走り屋の世界だった。だが、グループに属する気はなかった。上下関係にはじまって、様々なしがらみに捕らわれる事が目に見えていたからだ。
ひとりで走る加賀に声をかけてくる者もいたが、加賀には煩いだけだった。
とにかく走る事で、何かが吹っ切れたら良かった。
自分達のテリトリーに突然現れて挨拶のひとつもなく、声をかけてみれば邪険にされる。それでも他人が認めるテクニックを持っているならばまだ、周囲の反応も違っただろう。だが、加賀は見るからに幼い上に、無茶苦茶に走っている様子からは初心者である事が明白だった。良い感情を持たれる要素など、何ひとつない。
当然、態度が悪い、気に入らない、と言われて殴られる事が増えた。殴る方も妙なところで律儀と言うのか、問題を起こす事は拙いと解っているからか、バイクを操る手足に傷を作るような真似はしなかった。
加賀が走り始めてから、3週間程が経っていた。
何度同じような目にあっても加賀の態度が変わる事はなく、絡まれるのも日常になりつつあった。
変わらなかったのは、加賀の走りも同じだった。
最初から自己流で、何がどう悪いのか正しいのか、それすら解らない。ただがむしゃらに走っているだけなのだから、当然だ。
むしゃくしゃした気分が晴れるどころか、速くなれない苛立ちが、新たに加わる始末だった。
そんな加賀の前に現れたのが、英二だった。
「感心するぜ。よくコケねぇもんだな、アレで」
いつものように殴りに来たなら殴れ、用がないなら消えろ、と吼えた加賀に、英二は笑った。
「ひとつだけ、教えておいてやる。何をフッ飛ばそうとしているのか知らねぇが、本当にフッ飛ばしてェんなら、もっと腕を磨く事だ」
「……ンだとォ…!!」
自分の抱えているものを見透かされ、怒りのようなものが湧き上がる。
「おめぇみてぇにガタガタ走ってたんじゃ、余計にイライラするだけだよ」
「うるせェこの野郎!偉そうな口ききやがって!」
子供じみている、と思っても、言い返さずにはいられなかった。
「言えるだけの腕を持ってるから、言うのさ。じゃあな、坊主。コケる時は、人を巻き込むんじゃねぇぞ」
悔しかった。気に入らなかった。だが、英二の言葉が嘘ではない事は、直ぐに知る事になった。
英二は、相変わらずひとりで走る加賀の前に気紛れに現れては、加賀を煽って走る事が多くなっていた。
意地もあって追いかけるが、テールランプを拝む事すら、出来なかった。
……どうしてあんな風に走れる…?どうして奴に追いつけない…?!
夢中になって追いかける事を繰り返すうち、知らずにテクニックを身に付けていた。
2ヶ月も経つ頃には英二とバトルすらしている加賀を、初心者扱いする者はもう、居なかった。
スピードの中に身を置くと、むしゃくしゃした気分が晴れるようになっていた。
走る事に楽しさは、あった。家の事も将来の事も日常の些細な何もかもも、その時だけは忘れる事が出来た。だが、加賀にとっての走り、というものは、まだその程度のものでしか、なかった。
英二が買ったサイバーホイールに乗せられたのは、加賀がバイクに夢中になって1年も経たない頃だった。
車体が紫で、英二のチームであるレッドジャガーのエンブレムが付いたそれに乗るのは、抵抗があった。言葉で抵抗してみたものの、英二がそこまで……まさか、四輪に乗るようになるとは思っていなかった……惚れ込んだマシンへの興味の方が勝った。
音に、驚いた。次に、そのスピードに。
通常のフォーミュラワンで300〜400キロのスピードが出る。サイバーホイールなら、500〜600キロが出る。それを操るドライバーは化け物みたいなものだが、自分もその化け物になりたい。英二は加賀に、そう語った。それが自分の夢だと。
「……夢?」
「ああ。おめぇにもあるだろ?いつかこんな事したいとか、こんな風になりたいとか」
当然のように聞いてくる英二に、答える事が出来なかった。
漠然と医者にならなければいけないんだろう、という程度にしか、自分の未来を描く事が出来ずにいたからだ。
スピードの世界で生きていこうとは、夢にも思っていなかった。
加賀が英二と出会って1年が経った頃、英二がサイバーホイールのレースにデビューした。
英二の出るレースを初めて観戦した加賀は、衝撃を受けた。
あれだけ速い英二が、全く走れていない。そうとしか、見えなかった。
隣で観戦していた春希が、英二が遅いわけではなく周りが速いのだ、新人にしては英二はよくやっている方だ、と言うのを、呆然としたまま聞いていた。
アマチュアの世界でいくら速くても、プロとは違う。
英二がいつも言っていた言葉が、肌で解った気がした。
それから間もなく、加賀は英二の後を追うように、サイバーホイールのレースを始めた。
加賀は、15歳になっていた。
無茶苦茶ぶりは初めてバイクに乗った時と同じだったが、直ぐに英二と同じレースでトップを争うようになっていた。
加賀が2位に入賞したレースで、初めて『ゼロの領域』を感じた。わけのわからないその感覚の事を英二に話すと、自分も同じものを知っていると言った英二は、凄い奴だな、と笑っていた。
レース中に、他の全てのマシンの動きが見える。まるで神にでもなったような全能感を与える、その感覚。それがどんな作用を自分達に及ぼすのか、全く解ってはいなかった。
自分達がどれだけ消耗しているのか、そしてその消耗が、手にしたその感覚の所為だとは気付く事もないままにレースを続けていた。『ゼロの領域』の恐ろしさに加賀が気付いたのは、英二を失ってからだった。
結婚を考えていた恋人と、その腹に子を残したまま、英二は逝った。
英二のマシン…加賀が初めてサイバーホイールを体験した紫のプロトジャガーは、そのまま加賀に残された形見となった。
事故以来、何も考えられず、何も出来ない状態で部屋に篭っていた加賀に対して、学校へ行くようにとだけ告げた父親は、レース参戦や事故にすら、関心はないようだった。
失意のままに日々を過ごすうちに、母親が亡くなった。
英二を失い、母親を失った自分に、残された場所はないような気がした。
加賀にはもう、医者になって父親の後を継ぐ、という漠然とした将来への気持ちはなくなっていた。
加賀にとって大きな、大事なものを失ってしまったスピードの世界は、同時に加賀に様々なものを与えていた。
加賀の今までの人生の中で、最大の出来事である英二の事故。一番近くに居ながら、何も出来なかった自分。後悔や自責の念は、断ち切れる事がない。
なのに、その世界から離れる事も、考えられない。
魅せられていた。
まだ、未練がある。夢、というものかもしれない。
自分でもまだ説明のつかないそれを手にするには、スピードの世界で生きるしかないように思えた。
父親は、高校は国外へ留学させようと考えていたらしい。元々自分への関心が薄い人だ、今自分が姿を消したところで世間体もあり、おおっぴらに探すような真似もしないだろう。
14の誕生日に手渡された加賀名義のカードには、毎月の生活に必要以上の金額が入っていた。当座は、これで凌げる筈だ。
レースには、金がかかる。それより以前に、日々の生活にも。大嫌いな父親の金であっても、今の加賀には必要なものに代わりない。いずれ、耳を揃えて返してやる。後は、行く先だ。
自分の気性に合っていそうだと思った事、自分に必要以上の干渉をしないだろうという事。行く先をアメリカに決めた理由は、その程度のものだった。
渡航前日、今まで降ろしたままだった髪を立ち上げ、染めた。幼く見えると言われる日本人で、実際にまだ子供でしかない自分には、ハッタリが必要だと思った。降ろされたままの前髪で隠れていた、額の傷があらわになっている。
あの事故で得た、傷だった。
治す気になれず、そのまま残った傷。
「……この髪でこの傷で、あのマシン、だ。ま、派手っちゃあ、派手だな」
鏡を見てひとり、そうごちる。
母親のピアスと英二のマシン。形見となったそれらと共に、加賀は日本を後にした。
渡航して直ぐに、その派手ないでたちを理由に仕掛けられたバトルがきっかけで、賞金レースの事を知った。
バトルを仕掛けてきた輩を伝に訊ねたファクトリー…町工場、と呼んだ方がしっくり来るが…で、レースに必要なメカニックを揃える事が出来た。
ドライバーのドーピング以外は、車体の改造でも走行中の妨害でも、殆どの制限がない。賞金レースとは、そういうものだった。車体の潰し合いになる事は普通であって、その中でいかに速く走るかを競う。
賞金は主催者によって用意されるが、観戦している者の賭け方によっても倍率が変わる。
初めて出場した賞金レースで、正規のレースでは有り得ないやり方に驚いたのも最初だけで、それでも上位入賞を果たした加賀が手にした賞金は、加賀がノーマークだった事もあり、倍率は予想以上のものだった。
日本国内でならばともかく、アメリカ…しかも裏と呼ばれる世界では、全くの無名である加賀にとって、賞金レースのこのシステムは、様々な費用を稼ぐ為の格好の手段となった。
派手な外見は一度見たら忘れるのは難しい。そして、加賀のレースはバイクに乗り始めた時の無茶苦茶さと、サイバーホイールレースで磨かれたテクニックの両方を存分に使ったやり方で、見た者が忘れがたいものへと、なっていった。参戦した他のレーサーにとってもそれは同じで、潰そうとする度に自分が潰され、賞金を不意にする。
他人を潰しても自分が潰される事のないレースの強さから、いつも他人の血だけを流しているイメージが広まった。
加賀が手にした賞金は、日々の生活と次のレース、そして父親へ叩き返す為のものであり、その為に外からは吝嗇としか映らない行動を取る事も多かった。
峠を走っていた頃のように絡まれる事も、多々あった。その度に潰し、潰せなかった相手には、次の機会を狙って倍にして返す。レースが出来なくなるような怪我だけは避けたかった為、金で解決出来る事ならば全て、金で解決するようにもなった。その為にも、金はいくらあっても困る事はない。
1年が経つ頃には、賞金レースでも私生活でも、加賀の事を知る者が多くなっていた。
いつしか裏の世界では、そんな加賀に二つ名が付けられていた。
BLEED加賀。
血を流す。金を搾り取る。
ロクでもない意味を持つそれが本名よりも広く知られるようになるにつれ、加賀自身も好んでその名を名乗るようになった。
生活の為に賞金レースに出る事を繰り返す日々は、それなりには、充実していた。
そんな中でふと思い出す、日本を発つ前に手にしたいと思っていた夢、のようなものはまだ、何も解らないままだった。
「何かを本当にフッ飛ばしたかったら、腕を磨け…って言ってたよな、あいつは」
どんな形であれ走る事で、走り続ける事でしか、欲しかった答えのようなものが手に入らないのかもしれない。
スピードの世界で生きる。
決めたのは、それだけ、だった。
「形容詞30題」より『11.かたい』です。加賀ちゃんお誕生日おめでとう!あなたと出逢って軽く10年以上の月日が流れているのに、愛しい気持ちは増すばかり。なんて罪な男なのかしら。<あたまのかわいそうな子だと思って流しておいて下さい。誕生日を祝うSSとしてはどうか、という内容だと思いますが「城太郎」が「ブリード」になった時を書いてみたかったのでした。これをこのお題に持ってきたのは、英二の事故からサイバー参戦、ハヤトとの勝負でケリが着くまでの長い間、彼を包んでいたというのか覆っていたというのか…殻のようなもの、のイメージです。説明しないといけないSSなんて…っ。<いつもの事ですね。精進せねば。