「なんのつもりだ、糞奴隷」
いつものように葉柱が呼び出しをくらって出かけた泥門の、ヒル魔の居場所である部室。他の部員はとっくに帰っていて、ヒル魔ひとりが残っていた。珍しくもない、いつもの光景。
呼び出しをくらう度に、律儀に出かける自分とその理由に気付いて、ありえねぇ!と思い込もうとしたけれども、それは消える事なく葉柱の意識を奪っていたから、冷静な状態では、なかった。
自分の都合などおかまいなしに呼びつける携帯の音に、どんな顔して会えばいいのかもわからないまま、平静を装って、バイクを走らせた。葉柱の思いなど考えもしないであろうヒル魔は、顔を出すなりいつもの調子で行く先だけを告げ、何故だかわからないけれどもそれに苛立った葉柱の腕に、組敷かれる形で見上げている。
「俺の質問に答えろ、糞奴隷」
こういう状況になっても、ヒル魔の態度は変わる事がなかった。
「俺にわかるか、そんなもん」
何がどう繋がって、こんな行動に出ているのか、自分の中の感情を認めたくはない葉柱には、他に答えようが、なかった。
500万のカタに、奴隷になった。葉柱にとって、それは正直、はした金に等しい。一介の高校生としては大金であるけれども、都議員の息子ということから、税金対策やら脱税対策から選挙関連まで、架空名義のものも含めて、7桁程度の金なら自由にできる立場にあった。そういう環境が普通だったから、特にひけらかす事もなく、だから誰も知らない。そういう立場にいる事は周知の事実だったし、金で解決できる事なら金で、力で解決できる事なら親の権力も含めた力で、今まではそうしてカタをつけてきた。
なのに、その金を叩きつける事もできずに、ヒル魔の言うままに奴隷になっている。今回も、そうすれば良いだけの話のはずだ。それをしない理由など、考えたくもなかったから、苛立ちだけを抱えていた。
「で?どうしよう、ってんだ、てめぇは」
不思議なぐらいに抵抗のないヒル魔に、戸惑いを覚える。奇妙に肉付きの薄い身体は、それでも葉柱と変わりはない力を持っているはずだ。噛みつくなり蹴り倒すなり、本気で抵抗されれば、組敷いたままでいられるはずが、なかった。
「なんか知らねぇけど、イラついてんだよ。こんだけてめぇの言うなりになってやってんだ、500万なんざ、チャラになってるだろうが。いつまでんな状態を続けさせるつもりでいやがる。調子に乗るのも、いいかげんにしろよ?」
「それでてめぇが調子に乗って反抗してみたわけか?糞奴隷。金を払えば済むところを、奴隷になる事にしたのはてめぇだろ?よっぽど頭使うか、ヤバい事でもしねぇ限り、コーコーセーが500万、そう簡単に稼げるもんじゃねぇしな。コーコーセーレベルで500万相当まで、言う通りに動けばいいんだよ。奴隷、ってのは私有物の労働力だ、って事、理解できてるか?糞長い手足に持ってかれて、ノーミソに細胞回ってきてねぇのか?ノーミソ足りねぇから、ノータリンって、まんまとはいえよく言ったもんだよな。奴隷があんまりバカだと所有者も苦労するんだ、その程度は理解しろよ?」
不敵な顔で、たたみ掛けてくるヒル魔に、腹が立つのに言い返す事もできない。苛立ちに任せてヒル魔を押さえ付けたものの、自分が今、どうしたいかすら、わからない。ヒル魔相手に自分の意思など通らないのは、嫌という程思い知らされて来たせいで奴隷根性が染みついてしまったのか、ひたすら『命令』という名の言葉を待っている自分に気付いてしまった。今まで周りに命令を下して来たのは自分だったのに、ヒル魔を相手にした時は、そんな自分は欠片もない。
葉柱の置かれた環境、そして葉柱自身の力によって、周りには常に人が集う。だが、それらは全て対等な関係などでは、なかった。刃向かう者には制裁を。従う者に何かがあれば、相応の報復を。そうして常に上にいたから、人の顔色を伺う事などなく、さしたる不自由もなく過ごして来た。悪友、と呼ぶような関係を持つ事もなく、呼び捨てにされるという事すらもなく、それが葉柱にとっての普通、だった。
携帯の音を、必要以上に気にするようになったのは、いつからだっただろうか。唐突な呼び出しと要求に悪態をつける限りついてみたところで、いいようにあしらわれて、それでも心底嫌なわけではない事に気付いたのは。携帯を切った瞬間には、エンジンをかけている。コンマ1秒でも指定の時間に遅れたら、どんな要求を上乗せされるかわかったものじゃない。愛車と引き換えの取引に、仕方がなく従っていたはずの『命令』を下す、電話越しの声。ひっきりなしに呼び出されると腹が立つのに、携帯が鳴らない日が続くと気に掛かる。初めの頃は呼び出される事がなければ清々とした気分でいられたのに、それが日常として定着した今では、単に忙しいだけだろう、とか、呼び出す程の用もないのだろう、と思うし、ヒル魔に限って『何かあった』なんて思えないのに、電話すらできない状況・・事故だの病気だの・・に陥っているのか、と、落ち着かない。だからと言って葉柱から連絡を取るような関係でもない。
変わりばえしない日常を過ごしながら、いつも意識の片隅に貼り付いたまま、無性に気にしている。顔を見て、安心する自分がいる。会いたい、と思っている自分を認めたくはなくて、どうしてこうも会いたいのか、などと考えて行き着いた答えは、葉柱にとってはありえない、としか思えないものだった。
「おい糞奴隷。何とか答えろ。いつまで、こうしてるつもりだ」
命令を下す事はあっても、葉柱に選択肢を与えた事などないヒル魔が、葉柱の意志を訊ねる。制止も拒否もない事が、葉柱を戸惑わせていた。
「・・てめぇがやめろ、ってんなら、やめる」
いつものように、有無を言わさずに命令すれば良い。そうすればあっさりと、押さえ付けている腕を離す事ができる。
「なんだよ、そりゃ。てめぇが何をしようとしてんのか、わからねぇのにどう、とも言えねぇだろうが。頭悪ィのな。今更か」
「俺は奴隷、だからな。てめぇが言うとおりに動くしか、ねぇんだろ?いつも通り、命令すりゃあいいだけじゃねぇか」
言ってて情けないけれども、動けないのだから仕方がない。命令の言葉があれば、何も考えずに動けば良いだけの話だ。自分の感情など、考えずに済む。
「じゃあ、望み通りに命令してやる」
ヒル魔の命令が、今の葉柱には救いになるはず、だった。
「したいように、してみせろよ。糞奴隷」
与えられた命令は、葉柱に『選ばせる』為のもので、何の救いにもならない。自分がどうしたいのかもわからないというのに、何をどう選べと言うのか。バカにされるのは癪にさわるが、仕方なく思ったままを、口にする。
「どうしたいかなんざ、俺にもわからねぇ、ってさっきから言ってんだろ」
「だったら今、考えろ。中途半端な反抗なら、最初からするな。こーゆー状況で、てめぇがどうしたいのか、なんてもん俺が知るか。てめぇで考えろ。報復だの制裁だのは、その後、だ」
面白がっているだけだ、コイツは。そう思おうとしたものの、いつもの人の悪い笑みもなく、淡々とした表情のヒル魔を見ていると、そうではないかもしれない、と思えて混乱する。
それきりヒル魔は黙って、ただ、葉柱を見ている。
捕らわれたのが、愛車だけではない事ぐらいの自覚はあっても、認めるには抵抗がある葉柱にとっては、やりきれない沈黙。自分の言葉、あるいは行動をヒル魔が待つ事などなかったのだから、いきなり考えろ、と言われたところでどうしようも、ない。
自分がヒル魔に対して持つ感情が、レンアイと呼ばれるものだとしか思い当たらない頭の悪さを、呪いたくなる。いくら否定してみても、それ以外に説明のしようがない気持ちを、今、ここで認めたところで、どうすれば良いのか、わからない。好みの女がいれば、迷わず口説いてきたし、修羅場と呼ばれるものも、それなりに経験はしている。女に不自由する事はなかったし、自分が男に惚れるという可能性なんてものは、考えもしなかった。今、ここで認めたところで、何になるというのか。ヒル魔に自分の感情を、受け入れてもらいたいのか拒絶されたいのか、それすらも、わからない。それでも、自分でこの感情を認めるのか認めないのか、それを告げるのか告げないのか、選ばなければいけない。それが今、葉柱に与えられた『命令』だからだ。
自分で、どうしたいのかを考えろ。したいように、してみせろ。そう『命令』を下したヒル魔の言葉は、葉柱に逃げる事を許さない響きを持って届いていた。
何もなかったかのように、腕を離す事は簡単なはずなのに、引っ掛かったままの感情に邪魔されて、動けないでいるのは自分だ。これをレンアイだと認めて、流されてしまえばラクになれるとは思えなかった。何しろ、相手はヒル魔だ。捕らわれたまま、命令を待つだけなら、良かった。感情のまま、ヒル魔を組み敷いた腕は、うっすらと痺れを帯びて来ている。ヒル魔にしても同じだろうに、何を言うでもなく、葉柱の行動を待っている。
自覚した感情を伝えたとしたら、ヒル魔はどんな反応を返すのだろうか。嘲笑われるか、バカにされるか。その程度で済むなら、それでも良いかもしれない。笑って、冗談にしてしまえば良い。本気で気持ち悪がられて、拒絶されて、関係が絶たれるよりは。
ああ、そうだ。自分にとってのはした金を叩き返さないのは、それをした時点で何の関係もない、ただの他人に戻るのが嫌だからだ。あまたいる奴隷のひとりでも何でも、どこかで繋がりを持っていたい、と願っているからだ。今更奴隷ではなく友達になりたい、などとは思わない。恋人、になるなど、想像もつかない。
考えろ。
自分が何を望んで、どうしたいのか。
望みもわからずに、選ぶ事など何もない。
追い詰められた気分で、必死になって考えて出した答えは自分がヒル魔に惚れている、という気持ちの再確認でしかなくて、それを認める事にしたのなら、後はどうなろうがそれを受け止めれば良いだけの話だ。葉柱が置かれて来た世界では、どのような形であれ、覚悟と呼ばれるものを持つ事ができなければ潰されるだけだ。たぶん、ヒル魔相手でも同じ事だろう。
ヒル魔を組み敷いていた腕を掴んで、引き寄せる。
葉柱の腕は振り払われる事もなく、そのまま片手を背中へ回す。葉柱の腕が長いせいか、ヒル魔の体格のせいか、微かにできた隙間を埋めるように、少しだけ力を込めて抱きしめた。
腕の中のヒル魔は抵抗する事なく、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「糞奴隷。てめぇのしたかった事ってのは、こーゆー事か?」
「俺にも信じられなかったけどよ。てめぇに、惚れてんだ。だからって、恋人になりてぇとか女みてぇに抱きてぇとか、そんなんわかんねぇし。どうしたいか、考えたけどよ。こんくらいしか、思いつかねぇんだよ」
いつもと変わらない口調を装っても、背中に回された腕が僅かに震えを見せていて、隙間をなくした身体からは速くなる一方の鼓動が、そのままヒル魔へ伝わってくる。葉柱の腕に抱かれているせいで、葉柱には伺えないヒル魔の顔に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「上出来だ、糞奴隷」
引き寄せられたままの形になっていた片腕に置かれている葉柱の腕を、力を込めて掴む。一瞬、小さく走った痛みに、抱きしめていた腕を離した葉柱から身をかわす。文句を言おうとした葉柱の、ヒル魔に掴まれたままの腕。その指先にひとつ、落とされた口づけ。身動きを忘れた葉柱に向かって、ヒル魔はにやり、と笑った。
「俺に惚れてるんなら、これから先も、せいぜい喜んで俺の為に働く事だな、糞奴隷」
「…そういう奴だよな、てめぇは」
「てめぇの好きな『命令』だぜ?嬉しいだろ?」
「涙が出るほどな」
必死になって考えた行動の結果が、いつもと変わらない結末を迎えて、落胆とも安堵ともつかない気持ちを抱えたままの葉柱に、ヒル魔の行動の意味など深く考える余裕などなかった。
バイクを回してくる、と先に部室を出て行く葉柱の後姿に、ヒル魔は口元を緩くつり上げる。
「ほんと、何も気付いてねぇでやんの。まあ、これから面白くなりそうだけどな」
口づけた指先。
葉柱の運命は、不敵な笑みを浮かべる悪魔の手の中に。
「形容詞30題」より『 15.ぬるい 』です。奴隷、の意味を何となく手持ちの辞書で見たところ、一般的な『持主の私有物として労働に使われる』という意味と、『ある物事を至上の物と考え、それを守ろうとして行動する存在の意』(例:好奇心のー)が掲載されておりまして。「ルイったら、そういう意味でのヒル魔の奴隷なわけね?むしろ騎士?カメレオンナイツ?」と爆笑していたら『用例:身分は奴隷であったが、心はまさに貴族そのものであった』という。わ、笑い死に。「んもう、ヒル魔さんてば、姫!そうね、騎士もいれば王子もいて、僧侶も家庭教師も小間使いも奴隷もいるわよねぇ、姫ならねぇ」と納得した次第でございます。ルイは漢っぷりが良くて義理がたくて、慕われやすい良い子だと思います。見ていてとても、可愛らしい。あまりに可愛らしいので、ヒル魔さんと並ぶと周りに咲き誇る白百合が見える程です。この人達は、書いてて妙に恥ずかしい・・。ルイヒルQを使わせていただいておきながら、ルイヒルが1本もないのはいかんだろう、とオノレに言い聞かせて書いてみましたが、乙女ちっくな漫画でも、まず見当たらないぜ(c)某アイドル、な展開にしか、ならない。どこまでもお笑いしか書けない自分を再認識致しました。タイトルのC、は花と色の名前の頭文字。花言葉を葉柱へ捧ぐわ・・。ものすごくぬるい話なので、このお題。