豪炎寺は自分の身体が餌になる価値があるなどと、思った事はなかった。
サッカーを中心に送って来た生活は妹の事故によって一時的に中断したものの、雷門中学校へ転校してから後は、それまで以上にサッカー中心に生活を送る事になったし、進路のひとつとして医師として生きる事を考えた事もあったが、結局選んだのはサッカー選手としての自分で、日本代表のエースストライカーと呼ばれながら選手生活を送る事になったし、選手生命を考えると将来的な見通しも必要だとは思いながらも、目の前の課題をクリアする事に必死で、それが嫌ではなかった。
報道での扱われ方で華やかだと思われがちな選手生活も、大半はトレーニングと試合に費やされるもので、母の死後から何事にも過剰に期待しない、という方向性で培われて来た性格がそう簡単に方向転換出来るわけでもなく、良くも悪くも派手なスクープとも縁がないままの選手生活を送っていた。
例えば円堂と夏朱の結婚や染岡や鬼道がイタリアリーグに移籍する事は大きく報道されたし、主に女性関係でいつも週刊誌やスポーツ紙を賑わす選手もそれなりにいたけれども、豪炎寺には無縁だった。どこまでも優等生的で面白みがない、という声もあれば、ストイックで良い、という声もあり、面白おかしく同性愛疑惑が噂になったりする事があっても、当の豪炎寺が無関心すぎて反応がないものだから、それもすぐに治まった。
豪炎寺からはスキャンダルやスクープが取れない、というのが定説となりつつあったし、それが逆に記者魂とやらを刺激するのか常に張り付く気配はあったものの、淡々とした日常を送る豪炎寺には関心のない事だった。
そんな豪炎寺が、表舞台から突然、姿を消した。
フィフスセクターの事を知った豪炎寺は、フィフスの中枢へ入るべく千宮路の元へと赴き、そのまま組織に所属する事にしたからだ。
しかし、表向きにはそういった情報は出される事はなかった。
失踪騒ぎになる事を避けたかったのは、豪炎寺も千宮路も同じだった。引退するにしても、適当な理由がない。豪炎寺にも、まだ引退する意思はなかった。療養の為、という理由なら、傷病名や今後の見通しをプレス向けに作る必要がある。傷病や家庭の事情、にしてしまえば、家族への取材攻勢の対策も考えなければならない。
千宮路にとって、国内に留まってプレイし続ける豪炎寺が組織の思想に従い、忠実な僕(しもべ)になるという事は広報的にも影響力としても魅力があったが、突然現れた豪炎寺の真意を測りかねた。
結果、時折不調を訴えていた豪炎寺が検査を受け、傷病が発覚した。詳しい事は解らない。復帰に関しても現時点で何も言えない。見通しが立たない為に、所属チームとの契約更新をせずに海外の専門医の下で治療に専念する、という筋書きで組織広報がフィフスセクターとは無関係を装った代理人を立てた会見を開き、豪炎寺はその姿と名前を、千宮路に望まれるままに、変えた。
突然の会見はそれなりの騒ぎを起こし、豪炎寺の元にも友人知人からの連絡が入った。世間的な騒ぎは組織が抑え、豪炎寺自身は返信する事なく、豪炎寺の真意を知る家族も用意されたシナリオ通りの対応をするうちに日本代表を始め、次世代の選手が育って来た事もあり、豪炎寺の名前が大々的に扱われる事は、なくなった。
当初、スキャンダルやスクープとは無縁だった豪炎寺の弱味を取り引き材料として、豪炎寺の真意を探ろうとした千宮路だったが、豪炎寺を崩す程の材料になり得るものが見つからなかった。
家族を盾に取ろうにも、その家族が豪炎寺と共にフィフスセクターを支持する姿勢を見せているのだから、それ以上どうしようもない。
組織命令に従って、潰せと指示されれば学校を潰す事に躊躇いを見せなかった。
シードを呼ばれる選手の育成方法や、その為の施設を見せた時も、顔色を変えなかった。
自分に抱かれろという命令にさえ。
千宮路がそれを命じた時、豪炎寺がどんな表情を見せるのか。興味と言えば、それだけだった。
どこまでも組織に、つまりはそれを率いる自分に従うというのなら、どこまでの要求を飲み込むのか。
千宮路にとっては屈辱としか思えない命令を、豪炎寺は受け入れた。
あまりにも普通に「解りました」と一言返した豪炎寺が、その後動きを見せない。流石にこれは受け入れられないか、と「どうしたんですか、イシドさん」と千宮路が問えば、返って来た答えが「私はこういった経験がないので、どうして良いかが解らない。指示を頂けないでしょうか」だった。
千宮路自身は、幼い頃にそういった経験があった。好きで、したわけではない。サッカーがしたくてたまらず、それが出来る状況ではなく、出来心で盗んだサッカーボール。罪に問われて入れられた留置所。守ってくれる存在もなく、助けの声は届く事はなく、看守に身体が押し付けられた床の冷たさと、這いつくばらされたままの姿勢で痛みに固い床を引っかいた時に欠けた爪。思い出したくもない、過去だ。国家権力を信じない、という思いはその時からのものだ。
その屈辱は、忘れられない。それを他人に与えようと思った事などなく、興味本位で口にしてみただけの命令に返された言葉に内心は動揺していたが、自分達の力関係上、それを見せるわけには、いかなかった。
豪炎寺を自分の傍らに呼び、唇にキスを落とす。自分が想像する程の、嫌悪感はなかった。
「…そのまま…目を閉じて…口を、開けなさい」
無言のまま、瞳を閉ざして薄っすらと唇を開く豪炎寺に、千宮路は深く、口付ける。
愛しい相手でもなければ、明確な悪意によって貶めたい相手でもない。興味本位。そんな、まるでセックスがどんなものか想像だけで我慢出来ずにどうにか試そうとする年代のような、相手の事など何も考えずにこの先の行為にだけ、意識が持っていかれるような感覚の中で、豪炎寺の口腔内を弄る。
こういった経験がない、と言った豪炎寺の言葉は、同性に抱かれる、という経験がないというだけの意味であって、キスぐらいは(それ以上でも)経験がある筈だ。それなのに、千宮路にされるがままで、応える様子がなかった。
「…っ、は…」
「…イシドさん…貴方は、抱かれるだけではなく、抱く方の経験もないんですか」
唇を開放した途端に微かな声と息を吐いた豪炎寺に問うた千宮路の言葉は、揶揄するものではなく、純粋な疑問から出たものだった。
「…どのような反応がフィフスセクターへの忠誠を示すものなのか、解りかねたので」
身体の反応すら、命じられた通りにすると言わんばかりの豪炎寺の返答だった。
「私が命令した通りに反応出来るんですか、貴方は。それとも命令がなければ、反応すら出来ない?」
千宮路の声に、僅かな苛立ちが混じる。
嫌悪する意思と相反する身体。単純な生理現象だと思ってみても、消し去る事の出来ない記憶。脳裏に蘇る幼い頃の体験と、目の前の豪炎寺の態度が、千宮路の神経を逆撫でる。
「…私は、私の忠誠を信じて貰えるなら、出来うる限りの事をしたいと思っています。ですから…貴方の満足のいくやり方を指示してくれるなら、私でも少しは応えられる事があるのではないかと、思ったまでです。…気に障ったのでしたら、申し訳ありません」
嘘を言っているようには見えないというのに、どこまでが本当なのか、何も見えない。千宮路にとって、豪炎寺は初めてその姿を眼前にした時から、そういった違和感を感じる存在だった。
それでも、これまでの短い期間で見せた豪炎寺の言動は組織への忠誠を示して有り余るものであったし、成果もあったのだ。信じない理由がなんとなく、では理由にもならない。だからと言って、信じるとも言い切れない。敵と味方を嗅ぎ分ける能力には自信がある。そうでなければ、自分ひとりすら守れない日々があったからだ。
だというのに、目の前の男の真意が読めない。敵か味方か、判断が下せない。
信じるに値するのかどうかを試した結果、ことごとく成果を見せた男だというのに。
だからだろうか、こんな馬鹿げた命令を下したのは。
身体は正直で身体までは嘘を付けない、などという事を、千宮路は信じていない。自分がそうだったからだ。殺しきれない声が一端外に出た後、閉じる事が出来なかった口は酸素を求め続けただけだというのに、悲鳴は嬌声にも聞える音だった。犯されて精を放ったものの、気持ち良いなどと、とてもではないが思えなかった。
「まあ、いいでしょう…貴方が私の命令を聞くとおっしゃるのでしたら、遠慮なく。そうですね…貴方の思うように、返してくれれば良いですよ。気に入らなければ、その都度命令すれば済む話ですから」
答えようとした豪炎寺の顎を捕らえて唇を塞ぐと、先ほどは閉じられていた唇が命令を待たずに開き、豪炎寺の方から舌を侵入させて来た。自分がされていた事を辿っているのかのように千宮路の口腔内で動く豪炎寺の舌を絡め取る。
やがて粘着質な水音が響き出した時には、豪炎寺の腕は千宮路のスーツの背中に皺を作っていた。
千宮路は舌での戯れを止める事なく、豪炎寺の着衣の上から、包まれた身体を確かめるかのように触れる。唇を塞がれたまま、声も出せずに千宮路に縋りつくような格好になっている豪炎寺に逃げ場などなく、絡ませた舌が時折、逃げるような動きを見せた。
「逃げても、構わないんですよ?イシドさん」
千宮路が身体に触れる手を止めずに、唇だけを解放してやった豪炎寺に視線を合わせる。
息苦しさからか、赤く染まり、薄い膜を張った目元をゆるゆると開いた豪炎寺は、不思議そうな顔をした。
「…逃げる…?…私は貴方に捕らわれに来た、僕(しもべ)なのに…?」
逃げる事など露ほど考えた事もない。なのに何故、そんな事を言うのか不思議でたまらない。そんな、表情だった。
実際、豪炎寺は不思議でたまらなかった。
逃げても良い、と言いながら、片手で自分の腰を抱いた形でもう片方の手は着衣の上から触れる事を止めないままの千宮路から、どうやって逃げろというのだろう。自分の腕は千宮路の背に回されたままだ。それが、気に入らないのか。
それともこの状態から逃げろ、という命令なのだろうか。そう思った豪炎寺は、そのままを口にした。
「…それは、私に逃げろ、という命令、でしょうか」
「先ほど私が触れた時に、舌が逃げたように思ったのでね。…言ったでしょう?貴方の思うように、返してくれれば良い、と。嫌ならば、逃げる、という選択もある、という事です」
「………貴方の手が、気持ちよかっただけです」
少しの間、考えるように目を閉じた豪炎寺が返した言葉は、千宮路を絶句させた。
「私の思うように、という命令でしたね。ですから、思ったままを言ったまでです。…感じた…と、言えば良いのでしょうか?触れられて、気持ちよいのに舌を絡めたままでは声も出せない。反射的な反応は、自分でもどうする事も出来ません。それを逃げたいからだ、と思われたのなら、心外です」
普段から、言葉は多くない豪炎寺がよどみなく連ねる言葉は、聞いている千宮路の方が妙な羞恥を覚える程の率直さだった。
「…それなら、思うままに声を出せば良いでしょう。声を殺したければ、それで構いません。貴方の思うように、すれば良い」
豪炎寺の口からひっきりなしに上がる嬌声は、千宮路を戸惑わせた。
羞恥心というものが、ないのだろうか。
命令、というだけで、こんな事をここまで受け入れられるものだろうか。
これまで隠し通していただけで、こういった事を望んでいたのではないのか、この男は。
そんな事すら思わせる、豪炎寺の痴態だった。
声を出す事に耐え切れずに噛み殺すような様子など、微塵もない。千宮路の命じるままの形を取り、指を、舌を、千宮路自身を受け入れる。痛みを感じれば痛みを、快感を得たならそれを、声で、表情で、肢体で、驚く程素直に見せる豪炎寺を思う様に弄りながら、どこか醒めている自分を、千宮路は感じていた。
自らの意思など持たない、人形を抱いているような錯覚に陥る。
自分の命令通りに、思うようにしているだけの豪炎寺を腕に抱きながら、満足しているかと問われれば、決してそうではなかった。
自分を弄り続ける千宮路に反応する身体を、豪炎寺は他人事のように感じていた。
望まれるままに変えた姿と名前を持つ、イシドシュウジという人間は間違いなく自分の筈なのに、本来の豪炎寺修也とはまるで別の生き物のように感じ続けている。
だからだろうか。羞恥心はそれなりにあるというのに、イシドシュウジとして作り上げられ、また、自ら作り上げて来た自分を、こんな形で差し出す事に、然程、抵抗を感じなかった。
望むように作られたのだから、望まれるままに差し出せば良い。
医師への道を考えた事もある。生理反応なら、それなりに理解している。
それと感情とは、別のものだ。
そう簡単に割り切れるものではないから、苦しむのだという事も、想像は出来る。
それでも、イシドシュウジとしての自分が犠牲になっている、とは思わなかった。
どんな犠牲も厭わない。どんな犠牲を払ってでも、取り戻すと決めたものが、ある。
自分だけが犠牲になるなら、そんな覚悟は要らなかった。
サッカーに対する価値観の変化の所為で、やりたい形のサッカーをやれない子供達。逆に、やりたくもないのに、サッカーをしなければならなくなった子供達。シードと呼ばれる、化身を具現化出来る選手を育成する為の施設には、自ら志願した者だけではなく、世間的な価値観とそれに対する評価の為に、子供の為、という言葉で自らの子供を犠牲にする事にも気付かず、或いは気付きながらも勝手な願いを持つ親によって送られて来る子供達がいた。化身使いと呼ばれるシードの選手になる前に、過酷な訓練によって潰されてしまう子供の方が、多いというのに。
フィフスセクターとしては、少しでも有望な選手の数が、必要だ。組織に来るまでは、獲得する為の資金を惜しまない。実際に活躍するシードの選手を目にし、目の前に札束を積み上げられ、我が子の才能を賞賛された家族が組織へ預ける事を了承する。訓練に耐え、シードとなった選手にはその先の保障が、様々な形でなされる。
しかし、潰れた…潰された子供に対しては、捨て置かれるだけだ。
身体や精神を潰し、サッカーどころか社会生活すら危うい状態になったとしても、組織から見限られた子供達が顧みられる事など、ないのだ。
それを、犠牲と言わずに何と言うのだろう。
傷病や環境から、サッカーがしたくても出来ない、という子供達もいる。
そんな子供達にも平等に、サッカーが出来る場や機会を与える、その為の管理組織だ、という千宮路の言葉も、部分的には賛同出来る。
ならば何故、将来を奪うような育成方法を採るのか。
ならば何故、本来の楽しさを奪うような勝敗指示を出すのか。
管理を行うのならば、方向性が違うのでは、ないのか。
豪炎寺は、ここまで大きくなり、社会的にも影響力を持つようになった組織を、自分ひとりを犠牲にした程度で変えられるとは、思っていない。
自分なりのやり方を探りながら、協力者を得て、時を待つ。
その為に、あの日、全てを投げ捨てて、自ら捕らわれに来たのだ。
時が満ちるのを待つ間にも、子供達の夢や希望といったものを、サッカーに対する想いを、フィフスセクターとして自らの手で、犠牲にしてきた。それは今も、続いている。
苦い思いも、苦しい事も覚悟の上だった。憎まれても、恨まれても、それら全てを引き受ける事は出来ない。自分の思いを解って貰いたいとも、思わなかった。
千宮路は、抱かれている自分を、イシドシュウジの弱味として取り引きの材料にしようとでも言うのだろうか。
豪炎寺にとっては他人事のようにしか感じられない、こんな事で。
命じられるままに、言いなりになる事で忠誠を示せるのなら、人形でいる事など容易いとすら、思う。
自分が千宮路を信じきっていないように、千宮路も自分を信じきってなど、いない。
お互いに利用価値を見出した。それだけの事だ。
フィフスセクターに利用される為には、解り易い形で組織への忠誠を示してみせる事だ。仕事として、一定の成果は出して来た。それでもまだ、疑われているのだろうと感じる事がある。
ならば、組織ではなく、千宮路自身に忠誠を示せば良いのだろうか。
この、馬鹿げた行為のように。
だから、豪炎寺は千宮路へと腕を伸ばす。
貴方が必要なのだ、と伝える為に。
それは千宮路自身ではなく、自分の本当の目的の為のものであったけれども、必要である事に嘘はない。
「…ぁ、あ、せん、ぐ…さ……ッ…は、あ…んぅ…」
「何ですか、イシドさん」
だから、豪炎寺は千宮路へ言葉を送る。
「貴方が、欲し…い…」
それは愛しているからではなく、取り戻したいものの為であったけれども、その言葉に嘘はない。
嘘を重ねれば重ねる程、見破られてしまう。
上手く嘘がつけるとも思えなかった豪炎寺は、本当の事を言わない、という選択をしたのだった。
本当の事は言わない。けれど、従順である事。
どこまでも、人形のように。
お互いに、どこか薄ら寒い思いを抱えたまま、抱き、抱かれる。互いの奥に隠された何かを探るかのように、それは、執拗に続いていた。
自らの腕の中で、自分の思うままに操られているかのような反応を見せる豪炎寺を、人形のようだと感じた千宮路だったが、それが自分と豪炎寺が作り上げたイシドシュウジという人形である事を、この時はまだ、解る筈もなかった。
「名詞30題」より『18.人形』です。命令だの僕(しもべ)だの、それっぽい単語が出て来た割には鬼畜でもSMでもない半端っぷりがワタクシクオリティなのは標準仕様でございます。ありがちと言えばありがちな千×豪でございますけれども。虎丸がいつ頃から聖帝の側近になっているのか解りませんが、この話は豪炎寺が聖帝になる前のものとして考えています。だからこの時点で虎丸はこの関係を知らない。人形、というお題は人形そのものをお題にする事はないわねぇ…壊れた系の話とかかしらー…ヒトガタ、だとオカルト系ですし…と思っておりましたが、千×豪になるとは自分でも予想外でした。相変わらずタイトルが直球すぎる…。