「 メタル・メルトン 」

どこもかしこも、尖った印象。鍛えられてはいるものの、骨格が浮きあがるような肉の薄い肢体、鋭角のラインを描く輪郭、大きな耳も『悪魔』の呼称にふさわしい形に尖っていて、つり上がった眉と目。金属を思わせる色の髪は逆立てられていて、有無を言わさない性格。物騒な武器をいつも携帯していて、奴隷の数はとどまる事を知らない。ヒル魔は、そんな印象ばかりが強くて、優しさとか柔らかさとか暖かさとか、そんなものとは無縁に見える。そんな風に見せようとしているのか、生来のものなのかは知らないけれども、『凶悪』だったり『最悪』だったり、ヒル魔にかかる形容はそんなものばかりで、だけど本人は一向に気にしている様子もなく、むしろそれを楽しんでいるかのようだったけれど。
王城と泥門の練習試合の後、脅迫されるままに写真を撮られて、それが最初の出会い。部費の為に売りさばく、と言って、実際その通りにしたヒル魔は、だけど、したのは本当にそれだけで、桜庭の弱みを握って脅すような事もしなかったし、そんな風に写真を要求されるのも、試合で顔を合わせた時ぐらいで、接点なんてものは、他になかった。アイドルである桜庭の写真を餌に、悪どい取引がなされるなんていうのはよくある事で、事務所もできる限りの対応はしているけれども、いらない機能が付け足される事で進化する携帯なんかは今どき小学生でも持っていて当たり前だから、止める術なんていうものは実際の所は、ない。だけど事務所が調べた限りで使われた写真の中には、ヒル魔に脅されて撮った時のものは一枚もなくて、ヒル魔の事だから巧妙に隠すぐらいは訳ないだろうとは思ったけれども、そうじゃないとしたら?なんて事を考えた桜庭が、脅されついでに誘ったのが、始まり。
誘った、なんて言っても、アイドルとしての自分の価値を、それなりに知ってはいたから、『写真が撮りたいなら、僕と付き合えばいいじゃない。いつだって撮れるよ?』なんていう程度のもので、ヒル魔はそれに乗らなかったけれども、いつでも使える金ヅルとしての認識はしたようで、呼び出されては写真を撮られて、その度に好奇心はつのるばかりだったから、軽い振りして口説いて、ヒル魔が根負けした形で…面倒なだけだったんだと、思うけれども…お付き合い、ってものを始めたのだった。
お付き合い、なんていっても買い物に出かけるとか、部屋でアメフトのビデオを見る、とか、その程度のもの。桜庭は接触が好きで、何かにつけてじゃれついたりはしたけれど、ヒル魔は煩そうにしているだけで、それでも嫌がって振り払ったりしない程度には、なっていた。面倒なだけかもしれなかったけれども、気に入らない事には容赦しない性格は解かっていたから、桜庭のそれはヒル魔の許容範囲に入っているのだと思うと、嬉しくなって調子づいて、キスなんてものも、してみたり、した。それは触れるだけのもので、桜庭は内心どきどきしていたのだけれども、ヒル魔の反応はあっけないぐらいあっさりしたもので、驚いたり怒ったり、という事を予測していた桜庭が、拍子抜けするほどだった。
同性である自分と『お付き合い』なんてものを、たとえ根負けした形とはいえ容認しているのだから、この程度の事には、慣れているのかもしれない。その考えは桜庭を少し切なくさせて、それを本人に確かめたい気持ちはあっても、聞き出す事はためらわれて、じゃれつく度に微かな痛みを感じながら、そのままになっていた。
その日も桜庭の部屋で…ヒル魔は何故だか自宅を教えてはくれなかったから、いつもの事だけど……ふたりで好きにしながらだらだらと過ごしていて、くっつきたいな、触れてみたいな、と思った桜庭がじゃれつく、いつもの光景。決まって無彩色の服に包まれている身体の、意外に高い体温とか、鋭角的に立てられた髪から香る整髪料の匂いとか、そんなものにどきどきしている桜庭に構わずに、ヒル魔はいつも持ち歩いているノートパソコンに何やら打ち込んでいて、もう今では慣れっこなのか、それとも作業に熱中しているせいなのか、特に煩がる事もせずに、されるがままになっていた。ふと、ヒル魔の髪を眺めていた桜庭が、その根元がほんの数ミリ黒い事に気付く。余りに見事な金色だったから、染めてるとは思っていなくて、そんな事を訊ねた事もなかった。
「ヒル魔って、髪、染めてたんだ?」
考えるより先に、口にしていた。
「俺は日本人だからな」
ヒル魔はキーボードを走る手を休ませる事なく、けれども桜庭の言葉を無視する事もなくて、律儀に答える。答えたくない事を聞かれない限り、はぐらかしたり流したりする事のないヒル魔を、最初はとても意外に思って、すぐにそれは桜庭の中で『可愛い』なんて感情に変わった。作業に集中している時に邪魔されるのを嫌うのは知っているけど、桜庭がじゃれつく分には邪険にされた事はなくて、それは桜庭がいらない言葉をかけて思考を中断させる事がないからなのも、知っている。実際のところ、微かに触れるだけでもどきどきして、言葉なんか出てこない、というのが正直なところだったけれども、そんな事を言うつもりも、なかった。
それきり言葉もなく画面に集中しているヒル魔の髪を、弄ぶ。しばらく指先で遊ばせていると、整髪料でひとかたまりになった毛先がくたり、と落ちてきて、試合の後では汗もかくだろうに、髪はいつも立てた形を保っていたから、その柔らかさに驚く。毛先から解きほぐすように指で梳いてみると、根元までが力を失って、桜庭の指に優しく絡んだ。尖って、硬いはずの。まるで金属のような印象の、髪。ふわり、と指先に絡む柔らかさに、思わず微笑む。ひとしきり、そうして遊ばせた髪を離して、別な箇所を同じようにしてみる。くたり、くたり、と崩れ落ちていく、髪。みっつ、よっつ、と塊をほぐしていく。ヒル魔は相変わらず桜庭の方を見る事もなくて、『いつになったら、終わるのかな』なんて思いながら、遊ばせていた指先を離すと、力を失った髪がヒル魔の耳を掠め落ちた。
「…っ」
不意に、ヒル魔が短い声をあげて、肩を震わせた。キーを打つ手も止まっていて、その反応に桜庭の方が驚く。
「ヒル魔?どうしたの?」
「鏡」
「え?」
「鏡、貸せ。ああ、俺が行った方が、早いのか」
言うなり立ちあがって、洗面所に向かう。ヒル魔の言葉も行動も、唐突すぎて、桜庭にはわけがわからない。
「ああ、糞。おい、糞ジャリ。おまえ、ハード持ってねぇのかよ」
後を追いかけた桜庭に、鏡を見ながら髪を直そうとしているヒル魔が言う。
「ないよ。ヒル魔みたいに、逆立てたりしてないもん、僕」
「その触覚は、天然か」
「触覚って…天然半分、セット半分、ってとこかな」
「そんな事は、どうでもいい。てめぇ、人の髪、滅茶苦茶にしやがって。ムースでもスプレーでもワックスでも、この際何でもいいから、買ってきやがれ」
不機嫌な顔のまま言うヒル魔の髪は、気の向くままに梳いて遊んだ桜庭のせいで、てんでばらばらに落ちていて、捨てられた子猫のような、遊び疲れた子供のような、思わず微笑んでしまいたくなる様子を見せていた。それを正直に顔に出してしまったらしく、ヒル魔に睨みつけられる。それなのに、髪の印象が少し違っただけで、迫力も段違いに落ちて見えて、不機嫌な顔もふてくされた子供みたいに思えてしまう。
「おい糞ジャリ。聞いてんのか?!」
「あ、ごめんね。すぐに買ってくるから」
そうして桜庭がすぐ近くのドラッグストアから数分で帰ってきて、小さな袋を手渡した。
「それで良かったかな」
「帰るまで持てば、何でもいい」
そう言いながら、早速鏡に向かって髪を直そうとするヒル魔だったが、あちこちが中途半端に落ちているせいで、いつもと勝手が違うらしい。器用なヒル魔にしては、手間取っているように見えた。
「糞。なんだって、いらねぇ手間…」
「ヒル魔、髪、洗っちゃえば?それから直した方が、早くない?」
「誰のせいで、こんな手間かけてると思ってんだ、糞ジャリっ」
「僕が、髪、洗ってあげる」
「そのぐらい、自分でできる。風呂場、借りるぞ」
「洗わせてよ。髪、触るの好きなんだ。いいでしょ?お詫びに、洗わせてくれないかな?」
「物好きな奴だな」
ヒル魔の髪だから、触れていたいのだ、という事は言わないで、呆れたようなヒル魔の声を了承と受け取った桜庭が、ヒル魔を風呂場へ連れていく。ひとり使いにしては十分すぎるほどの広さを持つ空のバスタブに着衣のままのヒル魔を座らせて、首をタオルを丸めた上に載せる。長い手足を少し窮屈そうに折り曲げている他は、ちょうど、美容院でのシャンプー台にいる時のような格好になったヒル魔の髪に、温めの湯をシャワーから出して、濡らしていくと、ヒル魔がゆっくりと瞳を閉ざす。髪を傷めないように、丁寧に滑らせる桜庭の指の動きに、まどろむような表情を見せるから、もっと、気持ちよさそうな顔が見たいな、なんて事を桜庭は思う。髪を固めていた整髪料が取れて、くたくたになった髪に泡立てたシャンプーを付けて、洗う。そうしてヒル魔の、気持ち良さそうに喉を鳴らす猫のような表情になっていく様を見て、桜庭はひとり、ほくそ笑みたくなった。こんな顔、そう見られるもんじゃ、ない。人の悪さからくる笑みの印象ばかりが強くて、無邪気な笑顔なんてもの、滅多に見られない。アメフトの事なら夢中になって、それこそ子供のような笑顔を見せる事もあったけれども、それは桜庭によって作り出された顔ではなかったから、いつかは自分が、ヒル魔から優しい笑顔なんてもの、引き出せたら良いな、なんて思っていた。笑顔、ではなかったけれども、心地良さそうに、満足気なヒル魔の顔を見て、ほわほわとした気分になる。そのまま泡を洗い流して、指を耳の裏側に滑らせた時、ヒル魔が小さく息を呑んで、閉ざしていた瞳をすがめる形に変えた。そういえば、つい、先ほどにも似たような反応を、していた事を思い出す。
「ヒル魔って、もしかしなくても…耳、弱い?」
確かめるように、もう一度耳の裏側に指を滑らせながら、問いかける。同じように、小さく息を呑んで、少しだけ肩をすくめて、開きかけていた瞳をすがめるヒル魔を見て、確信する。
「…くすぐってぇ、ん…だよ…」
はふり、と細い息を吐き出したヒル魔が、力の抜けた声で返す。
「髪、立ててるのも?」
「…それも、あるかもな」
降ろしてしまば、それなりに長い髪。そのままにしておけば、印象のキツさもずいぶんと違ったものになる、黄金色。
「怒らないでね?ヒル魔ってさ、くすぐったがり…だったり、するの?自分の髪とか、でも?」
「…悪ィかよ。まあ、理由なら、他にもあるけどな」
表面に出される性格は刺々しくて、それにたがわぬ印象を形作っている、ルックス。それが、こんな意外な事が理由のひとつになっているなんて、他に誰が知っているのだろう。たぶん、それはヒル魔の望む外的イメージを作る為のものだろうし、間違いなく成功しているけれども、その陰に、こんな小さな秘密。
おかしいのと、可愛いのと、それら全ては愛しい、という感情になって、桜庭の口元を綻ばせる。そのままヒル魔に口付けると、やはり抵抗もなくあっさりと受けとめられた。いつも触れるだけだった口付けを深いものにしても、ヒル魔から応える事はなくても、拒絶される事もなく、髪に触れていた指先を反らせた形の喉もとに滑らせると、ひくり、と身体が震えるのが解かった。その身体からは、恐怖や緊張といったものは微塵も感じられなくて、だからと言って好奇心だけで続きを待っているようにも、見えない。慣れた、と言ってもいい、反応。身体はそんな反応を示しているくせに、声があがる事はなくて、それは桜庭が呼吸を妨げているせいかも、しれなかったから、唇で指先の後を追う。短い、嬌声にしか聞こえない声が立て続けに耳に届いて、桜庭の中に以前からの疑問が渦巻く。
「ヒル魔、こういうの…前にも、あった?」
唇で触れた所を舌先で辿り、着衣ごしに指を遊ばせながら、聞いてみた。何を聞いても、熱に浮かされたようなヒル魔の言葉だから、忘れられる事を願いながら。
「…っ、は…。前、ってぇか、今まで…普通に、あったぜ、こーゆーのは…っあ」
嫌がる様子など少しもなくて、桜庭が戸惑うぐらいの反応を見せながら、ヒル魔が言うのに、桜庭の胸が痛くなる。それぐらいの可能性なんて、わかっていた、はずなのに。
「付き合ってた人に、聞かせてたんだ?こんな、声」
残虐な感情が、わきあがってくるのを抑えられなくて、濡れた髪を力まかせに引き寄せながら、ヒル魔の耳を食んで、疑問を注ぎ込む。不自然に引き摺り上げられた体勢になったヒル魔には抵抗のしようもなかったけれども、抵抗する気もないようで、けれど呑みこまれた声は、余計に桜庭を苛立たせた。
「僕には、聞かせてくれないのかな、ヒル魔」
「ん、なんじゃ…ねぇ、よ…。てめぇも、なの、かよ…糞、ジャリ…」
声を呑み込みながら、切れ切れに言葉を繋ぐヒル魔の口調には、どこか諦めた響きがあって、それに引っかかるものを感じた桜庭が、その先へ進もうとしていた行為を止める。
「僕も、って、何?どういう事?聞かせてくれる、の…?」
「聞きてぇ、ってんならな。このまま続ける、ってんなら好きにすりゃ、いいし」
は、と大きく息を吐いたヒル魔が、不自然な姿勢を戻しながら、感情の読めない顔と声で、言う。
「正直、聞きたいのか、聞きたくないのか、僕にもわかんない。けど、たぶん、聞いておいた方が、いいような気が、する。嫌じゃないなら、話して?ヒル魔」
言葉が全てでは、ない。けれども、伝える為には、言葉にしなくては始まらない、と桜庭は思うから、自分の気持ちに関して言葉を惜しむ事を、しない。相手の言葉も受けとめる事が必要だから、話したくない事でないなら、聞こうと思う。自分が精神的に強い方ではない事ぐらいの自覚はあるから、全てを受けとめたり受け入れたりする自信なんてないけれども、言わなければ、聞かなければ、わからない事の方が多いように、思う。ヒル魔はいらない事は聞いてこないし、言う事もしない。だからと言って、他人に無関心なわけでは、ない。認めた相手、興味のある相手には、驚くほどの許容量を見せる。冗談のような始まりの『お付き合い』では、あったけれども、それでもそれぐらいの事は、すぐに解かった。それのほとんどはさりげなくて目立たなかったから、桜庭がヒル魔に好意を持ったからこそ、すぐに気付いたものかも、しれなかった。求める事柄への、はっきりとした結果は求めても、気遣いに対するものを一切求めないヒル魔の性格は、あからさまに凶悪に見せた外見のせいもあって、普段はほとんど、気付かれる事もないのだろう。
「これはまあ…お笑いにしか、ならねぇんだが、な。俺の体質…っていうのか、この場合。それ、だいたい見当ついたんじゃねぇ?」
「それって、その…くすぐったがり、とか、そういう…?」
「正解。面白がって、よくじゃれ付かれたりしたんだ、ガキん時。で、ぎゃーぎゃー笑ってりゃあ、問題なかったのかもしんねぇけど、なんでか声、殺しちまう癖が、あんだ、そういう時。で、俺が意地になって笑わないでおこうとしてる、と思った奴らが、俺が声、出すまで絡んでくんだよ。いくら息止める、ってったって、限度ってもんがあるだろ。息苦しくなって、声、出したら…まあ、そん時はわかんなかったけど、喘ぐ、っていうか、よがる…ってのか。そういうカンジに、なっちまってたらしいな。ガキん時は、ただ何となく変だと思う程度のもんでも、それでもそれなりに妙な気分になる奴もいたみてぇで、なんかしつこく絡まれたりしたんだ。そのうち調子に乗る奴も出てきて、服の上から明らかにじゃれ付くのとは違う動きで触ってきたかと思えば、服ん中、手ぇ突っ込んできやがったり、キス…ディープ込み、だぜ、笑えるだろ?……とか、身体舐められたりとか、まあ、セックスに繋がりそうな事、してきやがるようになったわけだ」
「それって…」
「てめぇが考えてるほど、深刻なもんじゃあ、ねぇ。ガキのお遊び、だ。そりゃ、この歳になって、まだそういう事をしてたら、お遊びとは言えねぇだろうが、ま、小学生ん時だしな。俺だって、何も解かっちゃいなかったし。今考えりゃ、かなり危ないもんだったけどな。直接モノに触られたり、突っ込まれたりしなかった、ってだけで」
ヒル魔の口調は他人の事を話しているかのように、淡々としていて、傷ついた様子もない。誰もに自覚がなかったとはいえ、性欲の対象にされる、という事が、どういう事かも解からないでいる時に、そんな目にあって、平気でいられるものだろうか。それが解かるようになった時、恐怖や嫌悪感は、なかったのだろうか。それが同性から、ならば、なおさら。
「怖く、なかったの…?そういう事、されて」
「だから、何も解かってなかったし。怖いとかそんなもんより、撫でくりまわされてるうちに妙な気分になったけど、別に嫌だとも思わなかったしな。声が出せねぇうちは、やっきになってそういう事してても、一端声が出ちまえば、そうそう長いことしてる奴もいなかったし。向こうの方が、怖がってたんじゃねぇの?その先なんて、どうするもんだか、どうなるもんだか、まだ自分の身体だって解かってなかった頃だぜ?おおっぴらにそういうじゃれ方しなかったとこ見ると、多少は後ろ暗いもん、感じてたんだろ」
まったく気負いなく、明るい声で言われた桜庭の方が、戸惑ってしまっていた。つまり、ヒル魔言うところの、今まで普通にあった『こういう事』と、いうのは、きわどいものとはいえ、じゃれ合いの延長での、事なのだ。桜庭が考えていたような、『前に付き合っていた人』なんかじゃ、なくて。
「まあ、そんなんだったから、俺はこっち側の趣味なのかと思ったりしたけど、まあ中学はそいつらと離れたから、それっきりだし、アメフトのが面白くて、付き合うだの何だの、面倒なだけだったし。けど、根っからの体質も、そうそう変わらねぇし。ま、『凶悪』で『最悪』な『悪魔』に、じゃれ付いてくるような奴も、いねぇしな。んな物好き、てめぇぐらいのもんだぜ?糞ジャリ」
ケケケ、と人の悪い笑みを浮かべて笑うヒル魔には、絶望感も悲壮感もなくて、だからといって、無理にそうしているようにも、見えなかった。特に悩むなんて事もしなくて、したとしてもそういう自分も含めて、笑い飛ばしているようにしか、見えない。一緒に笑えば良いとも思えなくて、だからといって自分ひとりが悲壮な顔をする場面でもないような気がして、泣き笑いになっているだろう自分の顔を想像した桜庭は、情けない気分になった。
「なんて顔してんだ、糞ジャリ。笑うとこだろ?これは」
呆れたように言う声に、たは…という感じで脱力した笑みを、顔に乗せた。
「ヒル魔の体質、とかは解かったけどさ…僕を、そういう連中と一緒にされるのは、ムカつくよ?」
「ああ?てめぇも何かとじゃれ付いてくんだろ。似たよーなもんじゃねぇか」
人の感情の動きには敏いはずなのに、なんだってこういう根本的なところが鈍いのか、腹が立つよりも愛しさが勝ってしまって、どうにもならない自分に、桜庭は苦笑する。
「ぜんっ、ぜん、違います。僕は、ヒル魔の事が好きなんだから。じゃれるのは、好きだよ。だけど、ヒル魔には、触れたい。じゃれるだけ、なんて嫌だよ。冗談みたいに始まって、僕がしつこいからヒル魔が付き合ってくれてるだけかも、とか思ってたから、きちんと言った事なかったけど、僕は、ヒル魔が好きだよ。ヒル魔の考えてる事知りたいし、身体だって知りたい。何でも、触れてみたいよ。だけど、ヒル魔がどうなのか、なんて、聞くのが怖かったんだ。ヒル魔がこういう事、どう思ってるかなんて知らなかったし、お付き合い、って言ったところで、どの程度までの事考えてるのかも解かんないし。でも、僕はヒル魔が好き。さっきの声、もう一回、聞きたい。嫌なら、断っていいよ。小学生の遊びなんかで、済ませるつもりないし。僕はヒル魔が好きで、今、ヒル魔が欲しいんだから」
ひと息に言った桜庭には、どんな答えを返しても笑ってごまかすような余裕もなさそうで、それは、ヒル魔にとっては嫌ではない事だった。
「それは、俺を抱きてぇ、って事なのか、つまり」
「うん。こういうのは、好きな人と、したいじゃない。髪だけじゃ、なくて、もっと、ヒル魔に触れたいよ。今までだって、僕はヒル魔にお遊びでキスなんか、した事ないよ。触れる時いつだって、どきどきしてるんだから。でも、僕の勝手な気持ちだから、ヒル魔が嫌なら断って。僕だけがしたいから、って、したって仕方がないもん」
こういう事を、自分相手にまっすぐ言ってくる輩は、今までのヒル魔の周りには、いなかった。まず、普通は近寄ってこないし、近寄って来る連中にしたって、人数と力にまかせて押さえ付けようとするか、駆け引きつのもりか、探りは入れてくるものの、結局それだけで終わるか、取引じみた事を持ち出すか、その程度のもので、いちいち付き合ってなどいられないから、携帯している銃や手持ちのネタで脅してしまえば、二度と近づく事はなかった。桜庭のように、臆面もなく、真正面から言われた事など初めてで、困ったような顔をしながらも、真剣に自分を欲しがっている事を伝えようとしているのが解かるから、悪い気分にはならなかった。だからといって、嬉しいとか、そういう感情も特にはなくて、どちらかと言えば好奇心の方が、勝っているような妙な、むずがゆい感じの高揚感。触れられる事に慣れきった身体ではあるけれども、身体を繋いだ事などないのだから、その時どうなるか、なんて事は知らない。
「そういう風に、言われたのは初めてだから、どう答えりゃいいのか、わからねぇけど。まあ、こんなだし、ご期待に添えるかどうかは、知らねぇぞ」
「嫌じゃ、ないの?」
「俺は嫌な奴と付き合うほど、暇じゃねぇよ。おまえの言う『好き』とは、違うと思うけど、それなりに気に入ってる。いくら体質がこうだからって、どうでもいい奴に好き勝手されたいわけ、あると思うか?だいたい誰をどう好きとかそういうの、あんまり考えた事ねぇし。嫌なら排除して来たから、おまえをそうしない、って事は、少なくとも嫌じゃねぇ、って事には、なるな」
友達とか恋人とか、関係性に様々な名前を付けて、色々と考えがちな桜庭にとって、誰のどこが、どんな風に好きとか、そういう風に考えないヒル魔の事は、すぐには理解できないけれども、自分が『気に入ってる』と言われる範囲に在る事は、嬉しかった。こうして、少しずつ、ヒル魔の事を知っていけるといい、なんて思いながら、知りたい事のひとつである身体へ、手を伸ばす。濡れたままだったヒル魔の髪は、雫を垂らさない程度にはなっていたけれども、まだ重たそうで、桜庭が乾いたタオルで包み込みながら、丁寧にふき取ってやると、ヒル魔が気持ち良さそうに喉をひとつ、鳴らした。柔らかく溶けるような表情は信じられないほど幼くて、でも喉を鳴らしながら洩らした声は、桜庭を欲情させるに十分なものだった。
「ここじゃ、風邪ひいちゃうから、部屋に戻ろ?そうしたら、いっぱい聞かせてね、声」
「そりゃ、てめぇ次第だろ?」
「そういう事、言う?」
妙におかしくて、ふたりで声を立てずに笑いあう。桜庭が雫をふき取ったヒル魔の髪からタオルを取ると、それはヒル魔の目といわず耳といわず、ぱらぱらと落ちてきて、やっぱりヒル魔はそれに息を止める形で竦んでいたりする。こんなので、こんなになってて、身体なんか繋いで大丈夫かな、この人…なんて考えてはみても、それを止める気持ちなんてなくて、桜庭はヒル魔が息を吐き出すのを待つ。
「ねぇ、ヒル魔ってさ…よく、そんなのでアメフトみたいに接触の多いスポーツ、できるよねぇ」
ふと、思いついた事をそのまま口にした桜庭が、力任せのヒル魔に盛大な罵声と共に殴られて、それにもめげる事などなくて。ヒル魔の髪や額、頬に口付けを降らせていた桜庭の腕の中で、ゆっくりと崩れ落ちていくヒル魔が、『おまえに触れられるのは、気持ちがいい』なんて事を言ってくれたりしたから、もっとヒル魔を知りたくて仕様がない桜庭を、驚かせると同時に嬉しくさせながら、尖った印象など欠片も感じさせないような、素直な反応を返して、桜庭を焦らせたりも、した。それでもそれは間違いなくヒル魔で、桜庭は、ふわりとした気持ちをかみしめるばかりだった。

END 2003.12.16.

「形容詞30題」より『18.やわらかい』です。むしろこれは、『ういういしい』行きの話なのでは、と自問しつつ。ラバヒルQで、「髪を洗うついでに襲えばよい」と答えたので、自分で書いてみました。自給自足。スローフード。<違う。襲う、とは言いません、こういうのは。『18』だから、どうしても桜庭で書きたくて、無理矢理も良い所。