「イグニッション I・C」

友達がいて、くだらない事で笑いあったりして、部活なんかもして、恋人、は、まだ考えられないけど、好きな人ぐらいは、できて。繰り返しばかりの退屈で、ありふれた学校生活。小早川瀬那が憧れていたのは、夢というにはささやかすぎる、その程度の日常だった。
幼い頃から身体が小さく力も弱ければ気も弱く、『言う事を聞く便利な存在』として使われがちで、見かねたまもりが間に入ってしばらく収まるものの、気付けばまた同じように使われる毎日。セナをいじめてくる輩は、半分以上まもりに関わりたいが為に、接点としてセナにちょっかいを出すようなところがあった為に、それが陰湿なものにならないのが、救いだった。
まもりに守られているのが当たり前で、情けないと思う事もあるけれども、あまりにも自分の弱さを指摘され、それに言い返すだけのものが自分にあるとは思えなかった。何に対しても自信が持てず、持つ必要も感じないまま、ただ、庇護されるまま過ごしていれば、それで良かった。高校へ入れば、環境が変わる。少しは、憧れである『普通の日常』に近づけるかもしれない、と思った。劇的に何かが変わる、なんて、そこまで夢は見ていなかったし、望んでも、いなかった。

わけが、わからない。
合格を喜んでいたら、突然胴上げされた。携帯を渡されて、家族に連絡しようと口を開いたところで携帯は奪い返され、それからは毎日のように大量の勧誘チラシがポストに入っていたり、電話がかかってきたり。心当たりなんて、全くなかった。そうこうしているうちに春休みも終わり、始業式の日を迎えた。友達ぐらい作れ、と言うまもりに聞いた、悪魔のような最低の先輩の名前。確認しようとその名を口に出した時の、周りに居た生徒の異常な反応。気をつけよう、とは思ったものの、自分みたいに目立たない存在が、そんな人の目に留まる事もないだろうし、関わる事なんてない、と思っていた。
入学早々、パシリにされて、そのままボコられそうになっていた場所が、アメフト部の部室だった。結果として助けてくれた形になった栗田の、アメフトが好きだという気持ち、クリスマスボウルへの憧れ、なんてものを感じて、主務なら自分にもできるかもしれない、なんて思って入部する事にした。自分にも、主務ができるのか、と聞いた時の、栗田のあまりの喜びようと、教えられた電話番号。それが元で、悪魔と称される先輩の目に留まる事になるだなんて、想像もしていなかった。

アメフトの春大会は、入学式を終えて間もない頃に始まる。正式な部員が、セナを含めて3人きりのアメフト部には、助っ人が必要だった。ド素人でも人数を集めなければ、試合に出る事すら、ままならない。そんな状況でも全国大会決勝を目指している、と嬉しそうに語った栗田を思うと、あとひとりが足りない状況で、自分が試合に出る事で、どうにかなるのなら・・と思った。脅迫手帳を駆使して、助っ人を集めたヒル魔の思惑によって、それは叶わなかったけれど。
恋ヶ浜キューピッドとの、1回戦。主務として、ビデオ撮影をしているうちに、なんとなくルールの初歩が解かって、負けそうになった時に『大会、もうおしまい?』と思ってしまう程度には、惹かれていた。石丸の負傷で、無理矢理アイシールドとして試合に出る事にされて、それだけでも戸惑っているセナに、残り時間9秒の、ラストワンプレイの成功を賭ける、ヒル魔が居た。
「テメーだって、ここで終わりはイヤだろう」
ここで終わりたくない、と。言いきる事が、できなかった。
そんなふうに、言われたのは初めてだったからだ。
どうせ、駄目なんだから。どんな言葉であれ、言外にそういう意味を込めた言葉しか、聞く事など、なかったから。
「フィールドをねじ伏せろ」
力のなさを口にして、それは無理だと即答されたと同時に、言われた言葉。
自分に、何かができる、なんて考えた事もなかった。呆然としている間に、ラストワンプレイ開始の笛が、鳴った。無我夢中で飛び込んだ、エンドゾーン。自分の決めたタッチダウンが、泥門の初勝利に繋がった。信じられなくて、嬉しいのかどうかも曖昧なまま、まもりが試合会場へ姿を見せた事で、アイシールドから小早川瀬那に戻る。着替えが間に合わず、試合前にヒル魔に引き摺られたせいで泥だらけの服を着たまま『主務でミスってヒル魔に殺された』ように身体を投げ出していた。そんなセナを見て、誤解したまま自分を守ろうと、アメフト部から連れだそうとするまもりに手を引かれながら、思い出したのは幼い頃の決意と、終えたばかりの試合。何か、が、引っ掛かった。気が付くと、まもりの手を離していた。そして、告げる。
「続けたいんだ、アメフト部!」
自分でも、何を言っているのか、信じられない。それでも、初めて自分で選んだのだ、という事ぐらいは、解った。そんなセナを信じられないという顔で見ていたまもりが、成り行きでマネージャーとして入部して、部員は4人に増えた。
トレーナーを兼任するマネージャーに、内容を教えるついでに行った筋トレで、力のなさを痛感したセナは、力以外の所で出来る事をしようと、グラウンドへ出る。どうせ駄目だから。そう思って、そこから先など考えた事のなかった自分。選手として、なんて冗談じゃない、と思っていた。それを忘れて、ボールを追っている事に、気付いていなかった。アメフトの事など、何も知らない。運動部に自分が入って、しかも選手として、だなんて考えた事もないぐらいだったから、練習してみたところで、ボールに触れもしなかった。今までなら、やっぱり自分は駄目なんだ、と、早々に諦めていただろう。そんな事を考える余裕もなく、ただ、もっと上手くなれる事は、自分に出来そうな事はないか、と、誰もいない早朝のグラウンドで、キャッチの練習をした。気付けばヒル魔が居て、的確な教えをくれた。自分を置いて登校したセナを心配した、アイシールドの正体を知らないまもりへのフォローをヒル魔がしている事など、気付きもしなかった。

大会2回戦は、王城ホワイトナイツ。今まで1回戦敗退だった泥門が、初めて勝ち進んで迎えた試合を前に、去年の様子を聞いて、逃げようとしたセナだった。アメフトとは無関係の助っ人人員のやる気は、たとえ本音がどこにあろうと、セナをフィールドへ立たせた。スパイクの違いすらわからず、運動靴のまま出場した1回戦。スパイクを履いている。それだけで、何かが違って感じた。どんなふうなのか、試してみたい。そんな高揚感を感じる自分に違和感を覚える間もなく、ヒル魔からのパスを受け取る。ラインを抜けず、ボールの持ち方を指摘される。ヒル魔の作戦はセナの脚を主体としたもので、正式な部員とはいえ、素人のセナにとっては重荷にしか思えないはずだった。何もわからないのなら、そのまま走るしか、ない。
行ける。
迷う暇も、怖がる暇も、なかった。
タッチダウン。先取点。続くディフェンスでも、ヒル魔の作戦はセナの持つ、低い確率の可能性に賭けたものだった。インターセプト。朝のグラウンドで、ヒル魔に教えられたキャッチの仕方を思い出して、手を伸ばす。ノーバウンドでキャッチできなければ、泥門ボールにはならない。獲った、と思った瞬間、滑り落ちたボール。今まで上手くいきすぎていた展開に、そんなに甘いもんじゃない、と落胆したセナの目の映ったのは、滑り落ちたボールの先でそれを受け止めて笑う、ヒル魔の姿だった。
「よくやった、糞チビ!」
罵られるかと思ったセナに向けられた、不敵な笑顔。走らなければ。考えてる暇なんて、ない。フィールドを駆け上がる。再びヒル魔のパスを受ける。走る。外へ出されたけれども、追加点目前、という所まで来た。勝てるかもしれない。
泥門に向いていた試合の流れは、進が出てくる事であっさりと風向きが変えられた。直接対決で、今まで避けて来た痛み、というものを思い出して、消えたはずの怯えがセナに戻った。今までのように、がむしゃらに走る事が、できなくなった。6点差でリードしていた試合が逆転され、前半終了時には29点差になっていた。
痛いのは、嫌だ。もう、帰ろう。小早川瀬那に戻って、束の間の休息を取るチームにアイシールドが帰った事を告げる。驚きと落胆を隠さない助っ人達の中、石丸が言った。
「アイシールドさんは、ずっと、あの進と戦ってて…せめて俺達が、周りがフォローしなくちゃいけないのに、ほとんど盾になってあげられなかった」
試合の時にだけ、強制的に駆り出される助っ人達が、口々に言う。
「足引っ張りまくってたな」
「内心怒ってただろうな。こんな奴らとやってられないって」
呆然とするしか、なかった。そんな風に、見えていたなんて。アメフト部とは、何の関わりもないメンバーが、初めての2回戦進出とはいえ、いいかげんな気持ちで戦ってはいないからこそ、出てくる言葉だと思った。
「見捨てられちゃったのかな…」
不安そうに呟いたまもりの言葉に、たまらず言った。
「そ…そんなんじゃないよ」
自分がアイシールドである事を、ここでバラすわけにはいかなくて、慌ててフォローしながら、周りを見る。痛いのは、苦しいのは、自分だけではない。同じように試合に出て、それぞれに戦っていれば当たり前の事が、見えていなかった。アメフトを選んだのは、自分だ。その自分が、ここで逃げて、どうするんだろう。
「29点差か…大会…終わっちゃうのかな…」
思わず漏らした栗田の言葉に、言葉を返したのはヒル魔だ。
「まだ勝つ見込みあるな。0.1%ぐらいは」
不敵な笑みと共に、続けられた言葉。
「十分よ。0%でなきゃ、勝負捨てんのは、まだ早ぇ」
どこにそんな可能性があるのかなんてわからなくても、『あの』ヒル魔が言うのなら、勝てるかもしれない。希望を繋ぐヒル魔が賭けているのが、自分の脚だという事に、セナは思い至らなかった。それでも。逃げるのは、やめよう、と決めた。後半に入っても試合の流れは変わらず、身体を休めていたセナの傍へヒル魔が来る。勝つ見込みがなくなったから、と、帰り支度を始めた。
「勝つためにやってんだ。勝つ気ねぇガンバリなんざ、何の意味もねぇ」
29点差から、開いていくばかりの点数。それでも。
まだ勝つつもりだったんだ、この人。
ここで、終わらせたくは、なかった。
もう少しで、進を抜けるかもしれない。可能性がゼロじゃないなら。自信なんて、ない。だけど。
「勝ちてぇのか、進に」
言い切る事ができずに、おたおたしていると、帰り支度を辞めたヒル魔が戻って『ハドル!』の掛け声を発した。
進を抜く事ができずに、何度も痛みを味わう。そんな状態でも、怯えは消えていた。どうすれば、抜けるのか。勝ちたい。その為に、どうすれば良いのか。それだけしか、頭になかった。駄目かもしれない、なんて、考えてる余裕などなく、勝ちたい。勝つんだ。それだけを。何度目になるのかわからない、進との直接対決。逃げる?違う!勝つんだ!走る事しか、できない。だから、走った。前しか、見えない。
「てめーの勝ちだ」
エンドラインに倒れ込んだセナに、一度きりとはいえ、自分が勝った、勝つ事ができたのだ、と。教えてくれた言葉は、ヒル魔のものだった。
セナが進との直接対決に一度勝ったぐらいで、試合の流れは変わることなく、56点差で2回戦敗退。栗田が泣いていた。それを見て、これがトーナメント戦で、この先がない事を思い知る。わけのわからないまま始まって、そのまま終わった。

泥門の春大会が終わっても、セナがアメフト部員なのは変わらない。『あの』ヒル魔と関わりがある、と解ったせいなのか、パシられる事もなくなり、急に平和になった学校生活。何もしない、何も起こらない、いつもの日常。親友、と呼べるほどの存在は居なかったけれども、クラスメイトにもそれなりに馴染み、他愛ない会話を交わす程度には、なっていた。それは、セナが望んでいた日常のはずだった。
部室へ行くと工事が始まっていて、改装すると言う。しかたなく教室へ戻って、春大会の写真の整理を始めた。ヒル魔が桜庭のファンとトレードした写真は、ほとんどが桜庭のものだったけれども、フォーメーションが写った使えそうな写真を見ているうちに、試合を思い出していた。思い出して、まるで試合会場にいるかのような興奮を覚えた。そして、ふと気付く。泥門の大会が、終わった事を。
たった2周間の…夢みたいだった。
自分にできる…自分にしかできない事がある、なんて、思いもしないまま、試合に出た。今まで知らなかった自分に出会った。写真を見て、試合を思い出しても、まだ信じられない。本当に、夢のような時間。初めて、自分の存在を認めてもらえた気がした。わけもわからず、ただ、走った。それを、『戦っている』と、認めてもらえた。自信なんて、まだ、ない。だけど、走る事で、そういったものが掴めるような気がした。庇護されるばかりで、頼られた事などない。ただ、走る。それだけで、あんな風に認めてもらえるなんて。
もし、うちが強ければ。大会はまだずっと続いていて。今だって、フィールドに…。
ぼたぼたと滴り落ちた液体が、涙だと気付くのに時間がかかった。
フィールドが恋しい。もう、走る事などないのに。
こんなにも、焦がれている。
はじめての感情だった。
自分にも、何かができるかもしれない、という実感。無自覚にしろ戦っていた、という事を、誰かが見ていてくれていた、という事実。そしてそれを、助けようと考えてくれていた事。全員で勝つ、という、ひとつの事へ向かった事。何もかもが、セナには初めての事で、今になってなお、信じられない事だった。もう一度、走れば。そうすれば。あの場所で、あの感覚を、味わえるのだろうか。
だらだらと涙を流していた所に、ヒル魔と栗田が来て、慌てて涙を拭う。全国大会決勝の、クリスマスボウル。それには秋大会に勝てば良いのだと告げられ、何もかもが、これからなのだと、知った。
主務としての仕事をかたしに行ったグラウンドでラダーを見つけ、居ても立ってもいられず、練習を始めていた。雨が降り始めていたけれども、気にはならなかった。
もう一度、フィールドへ立つ事が出来る。
涙を流すほど、焦がれる対象など持つ事などなかった自分が、初めて執着を持った。
あの、フィールドへ。
ただ、走る事しかできなくても。もう一度、立ちたいと、願う。
雨の中、ひとりで練習するセナに気付いた校舎内のヒル魔は、その顔にうっすらと笑みを刷きながら、ただひたすら、それを眺めていた。

王城との2回戦がTV放映され、学校でもアイシールドが話題になった。勝手なイメージで作り上げられていく、アイシールド像。それを否定するどころか、煽るヒル魔。ふとしたきっかけで、野球部員だったモン太が加入して間も無く、勧誘活動の一環として、賊学との練習試合が決まった。昼休み、ヒル魔の声が校内に響き渡る。悪評高く、被害を被った生徒も多い賊学相手に、500万を賭けての試合。大金を賭けての試合を止める教師がいないのも不思議だったが、ヒル魔の事だから、教師全員の脅迫ネタを握っているのだろうと思った。
放課後、部活に出る。モン太が入った事で、それまでヒル魔のパスの練習相手だった『ライス君』の処刑をする。ヒル魔が所持している銃を、思いきりぶちかます。非難していたまもりまでもが加わって、結果、グラウンドの片隅で騒ぐハメになった。帰宅しようとしていた一般生徒がそれに気付き、遠巻きに眺めていた。人だかりに気付いたヒル魔が、叫ぶ。
「賊学ぶっ倒す!!」
「やるなら絶対勝てよ!」
「がんばってー!!」
「野次馬に行くぞー」
「泥門なめさせんなー!」
派手な炎を上げる『ライス君』の消火に慌てる部員達を無視し、口々に返ってくる声に、返事代わりに機関銃をぶちかますヒル魔。その後の消火活動も、ヒル魔が花火を投げては邪魔するせいで、また、ヒル魔が遊んでいる、とでも思われたのか、遠巻きの生徒は面白そうに見ているだけだった。やっと消火できた時には人垣なく、バケツリレーでくたびれた部員と、ひとり元気なヒル魔の姿があるだけだった。
『最低最悪な悪魔』と評されて、怖れられているはずの、ヒル魔。だけど、そんなヒル魔だからこそ、寄せられる期待がある、という事に、セナは気付いた。自分には無理でも、『あの』ヒル魔なら、何かしてくれるのではないか。校内において、最強・最凶を誇るヒル魔とはいえ、無闇やたらに脅迫しているわけでは、ない。春大会で脅迫や強制によって、試合に出された助っ人。誰もが、ヒル魔が王城戦途中で帰ろうとした事を、非難する事はなかった。ヒル魔を怖れて、というのがあるにしろ、それでも何とかしようと足掻いていた。アメフト部とは、何の関係もない連中であるにも関わらず、だ。『勝つためにやってんだ。勝つ気ねぇガンバリなんざ、何の意味もねえ』と、言い放ったヒル魔の言葉は、短い時間の間でヒル魔の表面しか知らない者にとっても、間近に居た者には、何らかの説得力を持っていた。ヒル魔が決めた以上、それを止める術がない事も、感じていたのだろう。
クォーターバックの代わりをどうするか、戸惑っていた即席チーム。アイシールドである自分が、『もう少しで、進を抜けるかもしれない』と告げた事で、試合へ戻ったヒル魔。ただ、それだけで、士気が違うのが解った。
今だって、そうだ。賊学と戦う。たとえそれが、スポーツの試合だとしても、普通なら流布する噂を知るだけで、進んで試合をしようとは思わない。そういう相手に試合を申し込み、金まで賭け、勝つ事を宣言する。ヒル魔の言葉でなければ、一笑に伏されたであろう校内放送。TV放映によって話題になったアイシールドの事にしても、『あのアメフト部』に所属している、という事で、校内では必要以上に注目される事になったのだ。怪我をした桜庭に対するコメントを、ヒル魔がアイシールドに成り済まして言ったせいで、『悪のヒーロー』として認知された。必要以上に詮索されないのは、アメフト部を支配するのがヒル魔だからだ、という事ぐらいは、セナにも解っている。いつ、自分が脅迫される身になるかもしれない、という恐怖を、泥門の人間全員が持つと同時に、ヒル魔なら、という期待を、どこかに持っているのかも、しれない。
ただ、アメフトが好きなだけ。クリスマスボウルに、何としてでも行く為に、手段を選ぶ事をしないだけ。傍目には無茶苦茶にしか見えないヒル魔の、その部分に気付いているのは、栗田と石丸ぐらいだろう。まだ、怯えを消し去る事のできないセナや、入部したばかりのモン太、風紀委員としての立場から常に対立し、セナを庇護する事に気を取られているまもりに、この時点で解るはずもない事だった。

一通りの練習を終えて、帰宅したセナは、ヒル魔へ対する意識が変わりつつある事を自覚していた。
王城戦TV放映の前に、自分の教室へポスターを貼り終えた時に気付いた、備品であるTVに書かれた名前。『絶対クリスマスボウル! 1―2 栗田・ヒル魔・ムサシ』
入部当初の朝練で、栗田の言っていた言葉を思い出す。『3人になったのなんて、創部以来でしょ?』
みんなで目指していた、クリスマスボウル。なのに、なんで、ひとり足りないのか。理由なんて、わからない。けれど、寂しかっただろうな、と思った。でも、それからずっとあの2人で、アメフト部、支えてきたんだ。なんとも言えない気持ちになって、グラウンドを見下ろした。グラウンドの片隅で、ふたりだけで練習して。試合になれば、助っ人を集めて。そうして、ずっと。
同じだ、と、ふと思った。
そうまでしてでも、立ちたかったのだ。あの、フィールドに。
フィールドに立つ事でしか、得られない何か。それを守る為に、そして高みへ昇らなければ、見られない景色と、得られない事。それはヒル魔と栗田にとっては至上のもので、だからこそふたりきりで、続けて来たのだろう。どんなに惨めに負けても、周りに陰で何を言われても。諦める事など考えもせずに、ひたすらに、前だけを見続けて。
試合に出た事で、居場所を見つけたような気がした。いつの間にかアメフトを楽しい、と思えるようになっていた。
関わるな、とまもりに忠告されていた悪魔によって、引き摺り込まれた世界に、知らず、魅せられ、今では関東大会決勝で進、という目標に会う為に、他の全てに勝とう、とまで考えている。何からも逃げる事しか考えてこなかった自分が、凄いと思える人達と出会い、闘い、そしてそれを認めてもらえた事が、支えになっている。
駄目だ、と思った時、どうすれば良いのかと考えている時、脳裏に描くのはヒル魔の言葉だった。普段は自分の駄目さ加減をこれでもか、と思い知らすような扱いしか、されない。ヒル魔の言葉で落ち込む事にも、慣れてきている。なのに、その自分に自信を与えてくれるのもまた、ヒル魔の言葉なのだ。
知らなかった自分を、知る事のできた世界。その全てを与えてくれたのは、ヒル魔だという事に思い至る。選んだのは自分だとしても、選ぶ事すら知らなかった自分に、選択肢をくれたのは、ヒル魔だ。
自分を見つけた事を、後悔してほしくない。そう、強く願う。
クリスマスボウル。全国大会決勝。初めて自分が焦がれ、立ちたいと願ったフィールドの、その頂点。自分が走る事が、それに近づく事になるかもしれない。今までふたりが目指して来た場所へ、自分も一緒に立てるなら。

セナが望んでいたのは、何もせず、何も起こらない、平和で平凡で退屈な日常だった。悪魔に関わってしまった事で、自分にとっては劇的な変化を遂げた、日常。焦がれるほどの対象を知った事が、それから逃げる気すらも起こらない事が、幸せか不幸かなんて、どうでも良かった。本当は、誰もがそういうものを、持っているのかも、しれない。悪魔に魅入られ、魂を奪われた、っていうのは、こういう状態を言うのかもしれない、なんて事を思う。
少しずつ、変わっていく自分を自覚している。不安も、期待じみたものも、何もかもが入り混じったままの、落ち着かない日々。望んだはずの理想とは、全く違ったそれが、嫌だとは思わなかった。賊学戦が、近づいている。

END 2004.02.06

「形容詞30題」より『21.こいしい』です。セナヒルと言うより、単に「1〜4巻初めまでのあらすじ」に、落ち着いてしまいました。こいしい、というお題を見た時に、「フィールドを恋しく思うセナ」「サーキットを恋しく思う加賀」「マシンに賭ける名雲」「公道に思い馳せる啓介」が浮かびまして。18をらばで書いたなら、21はセナでしょう。と、セナを選びました。た、たんじゅーん…。どうしようもなく焦がれ、それに賭けずにはいられない、そういう対象への感情を、「こいしい」と呼ぶのではないか、と。このまま、だらだらとセナヒルへ向けて書くよりも、この、執着する対象に焦がれるセナ、を書いておきたくて、中途半端なままに。どのジャンルにしろ、主人公に初めて執着を持たせるきっかけ、を作るキャラを好きになる傾向がございます。たぶんそれは、ワタクシの思い込みによる深読みにしか、すぎないのでしょうけれども。セナヒルQを使わせて頂いているので、せめて1本、と思って書いてみたのでした。タイトルのI・Cは、集積回路の意です。