2月14日。聖・ヴァレンタインズ・ディ。どれだけ俗だと言われようが何だろうが、折角ほぼ日本国民公認の愛のお祭り騒ぎの日なんだから、それに乗ってもいいじゃない。たぶん女の子とお付き合いしていて、相手の子がチョコレェトとかくれたら嬉しいと思う。そんなの興味なさげでも、自分がそういうのが好き、って事知ってて、自分の為にしてくれたのなら、もっと嬉しいだろうな、って思う。みんなとおんなじ事するのはダサいかもしれないけど、みんながしているからおんなじように、恥ずかし気もなく惚気あってみたりいちゃいちゃしたりしていても、仕様がないよね、ってカンジで許してもらえるっていうか、放っておいてもらえる気がする。付き合っている相手が女の子だったら。男の子でも、嬉しいのかもしれないし、嬉しい人も居るんだろうと思うけれども、桜庭が今、お付き合いしている相手は興味もなければ自分に合わせてそんな事してくれそうにも、ない。でも、折角のヴァレンタイン。自分の気持ちは巷で好きな人にプレゼントを選んだりして浮かれる女の子達と変わりはしないし、アイドル稼業を辞めた今、付き合いにどうこう言われる事も以前ほどには、ない。辞めてもいつまでも桜庭くんだけが好き、だとか、辞めても関係ない、とか、まあファンには色々と居て、想うだけならまあ良いとしても今までアイドル稼業をやっていた桜庭に対してやっていた事と変わらない行動…迷惑なものからそうでないものまで…それは本人や周囲が思うよりも長く続くものだったり、するのだ。迷惑なものも含めて、そういう行動を取ってしまう彼女達すらも、愛しくなるのは、自分が彼女達のような立場に置かれているように感じるせいかも、しれない。
特設会場やショコラブティックで、女の子の波に混じって品定めするのは恥ずかしいけど、元々甘党で自分でも買いに行く事はあったし、この時期ならでは、とか、この時期限定、の商品が並ぶのは魅力だったから、ヒル魔が甘いものを好まないのは知っていたけれど、それでもヴァレンタインと言えばチョコレェトでしょ、なんて思って、出来るだけ甘さを抑えて、量も多くなくて、大人の男の人が自分独りの楽しみの為に買うようなもの、をイメージしたりなんかもして、それを探して、散々迷って、買ったのは一昨日の事だった。ヒル魔が喜ぶなんて、思っては、いないけど。まあ、自分の気持ちだし、それを押し付けるのもどうかと思うけど、受け取ってくれれば嬉しいな、なんて。そんな事を思って、当日を心待ちにしていたというのに、どうしても逢えるタイミングがなくて、今日は15日。1日、遅れてしまったけれど。でも、こうして逢えたんだから、いいや。逢いたかった日なんて逢いたくなかった日を数える方が早いぐらいだから、それだけでも嬉しい。
「はい、ヒル魔、受け取ってよ」
桜庭がそう言って渡したのは、用意していたチョコレェトの包み。
「感心だな。元糞アイドル。坊主になったせいか?なかなか、解ってんじゃねぇか」
包みを受け取ったヒル魔の言葉は、何かが違う…と思わずにはいられないものだった。けれども、心底嫌な顔されるか、叩き落とされるか、しぶしぶ受け取るか何か、そういう反応だろうな、と思っていたから、予想外に嬉しそう(に、見える)受け取るヒル魔が意外で、嬉しくて、些細なひっかかりも、すぐに気にならなくなった。
「感心されるほどでも…つか、だって僕はヒル魔が好きだし…」
「あ?何言ってんだ?てめぇ?」
「何、って…それ、何か解ってる、よね…?」
「何、ってそりゃあ言うまでもなく供えモノ、だろ?」
ああ、そうそう、愛しいヒル魔くんにお供えするべくお使いした献上品…な、ワケないでしょーが。胸のうちでツッコミは入れられても、本人に入れられるほど度胸はない桜庭だった。ぽかん、とした表情の桜庭に向かって、ヒル魔が言う。
「今日は釈迦入滅の日で涅槃会だ。栗田ん家(ち)なんざ、そりゃもー忙しいったら、ねぇぞ。お釈迦さまにお供えモノ、なんざ、てめぇも殊勝なとこ、あるじゃねぇか。俺に渡せば、栗田ん家に供えてやれるしな。俺にそんな頼み事、する奴のが珍しいっちゃあ、珍しいぜ?てめぇも、日本人、なんだなあ。そこまで熱心な仏教徒だとは、知らなかったけど。ま、預かっておいてやる」
「あ…う、うん…あり、がと…」
(…ヴァレンタインを期待した僕がいけなかったのですか神様。つか仏様)
がっくりと項垂れる桜庭の心を知る由もなく、ご機嫌なヒル魔を不機嫌にさせるような事を伝える気力もない桜庭を、誰が責められよう。
(そこまで君がお釈迦さま好きだとは知らなかったよ…)
あなたの知らなくていいヒル魔、を知る羽目に陥った桜庭は、来年こそは、絶対ヴァレンタイン当日に、嫌がられようが何だろうがチョコを渡してじゃれつこう、と決意したのだった。
(確かに2月15日といえば釈迦入滅の日。栗田の家が寺であり、涅槃会で忙しいのは事実だ。嘘は言ってねぇぞ、嘘は)
目の前で力なく項垂れている桜庭を見て、ヒル魔は思った。
昨日が何の日だかなんて、知りたくなくても否応なく知らされる騒ぎは尋常じゃない、と思う。朝っぱらからニュースで各局こぞって星占いなんざカマして諸外国にアンビリーバボ〜だ何だと笑われている国だけあって、きっちり『今日はヴァレンタインですね!』と数分毎にほざいては、スポーツ選手から芸能人から聞いてもいないヴァレンタイン情報とやらが垂れ流されていて、うんざりするのが毎年の事だ。これなら、ドル相場が今こうなっているから、プロポーズの為のリングを買うなら本日あたりが如何でしょうか、とニュースアンカーがほざいた米国番組のがいくらか洒落ている、と思ってしまう。が、浮かれた国民的行事は脅迫ネタを拾う格好の日でもあって、そのほとんどは使えないものだからさして興味もないとはいえ、泥門生徒は勝手にヒル魔を警戒して墓穴を掘ってくれたりするものだから、そんなに収集されたいのなら遠慮なく、と、一応手帳に収める事にしている。
(だからこそ、だな…ヴァレンタインを、俺が知らねぇとか忘れてるとかってワケ、ねぇだろ。この元糞アイドル)
先程桜庭から逢うなり渡された包みが何だか、だなんて事ぐらい、予想がつく。予想通りだろう事も、控えめとはいえ、この時期仕様な包装から、丸解りだ。
好きだ好きだと逢っていても逢わずにいる時も、それしかねぇのか、と腹立たしいのを通り越してなえるぐらいに口にする桜庭が、この日を外すわけがない事も。
(…何だかんだ言って、お付き合い、とやらをしていて、やるこた、やってんだしな…)
ヒル魔が解らないのは、そこだった。この自分が、そこまで付き合っていて、未だ別れる事もなくいう、という事を何だと思ってやがるんだ、この元糞アイドルは。暇さえあればこっちの都合なんざおかまいなしに、逢いたい逢おうよ逢いに来たよ構って構って!な、大型犬がじゃれつくみたいな行動形態しくさって。悪態つきつつ自分が突き放す事もない、っつー破格の扱いを一体何だと。
表情豊かで、考えがそのまま表に出る桜庭の反応は解り易いし、面白い。昨日逢えずじまいだったから、と必要以上に力の入った様子が可笑しくて、何だって自分がいいんだかな…と思いつつも少し…ほんの少し、だ…可愛い、とか…思ってにやけた顔になっているのが解った自分に腹が立ったりもして、そんなもんに興味のないフリ…実際興味はないが…をしてはぐらかしてみたら、コレだ。不特定多数の、移り気な女子相手に、よくアイドルなんてやってたよな、コイツ。つか、そゆとこがウケてた、って事か。何だかんだ言って自分が付き合いつづけている、というのも、考えてみれば寒いというか何というか妙な気分になってしまう。…とりあえず、うぜぇ。うぜぇけど、嫌い、じゃねぇ。まあ、そんなところか。
つらつらとそんな事を考えながら、項垂れたままの桜庭を見て、聞こえないように溜息をつく。
「ま、とにかく用は済んだな?俺がコレ、受け取れば良いんだろ?受け取ったぜ?」
「あ、うん…」
きっと心の中で色々と喚きたくっているだろう桜庭が項垂れていた顔を上げたところに、キスひとつ。
「ひ、るま…っ?!」
「甘ぇモンなんざ、てめぇひとりで間に合ってる、ってんだ」
好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。大切だよ。
逢っていても逢えずにいても逢わずにいても身体を重ねている時もただ触れ合っている時も。
いつも、いつも。
桜庭は口にする。ただひとり、目の前にヒル魔に向かって、笑いながら、泣きそうになりながら、怒りながら、全ての表情に仕草に乗せて、ヒル魔だけを見て、真っ直ぐに。
そんな甘ったるい言葉なんて知らなくて、知った今でも言えずにいる自分を、それでも甘く包み込む言葉や抱擁や愛撫のひとつひとつに、溶かされそうになっている事を、桜庭はまだ、気付いていない。
自分が甘いものを口にするのが苦手だと知っていても、それでも自分の好みに合わせて必死にコレを選んで来たんだろうな、という事ぐらいは、解る。ショウケースを前にして悩む顔がありありと浮かぶぐらいだ。ひとくちぐらいなら、食ってやってもいいか…とりあえず。あとは、栗田にまわしても許されるだろ。ビターなチョコのひとかけらですら口にした事のない自分にとっては、精一杯の譲歩だ。
(…それ以上に胸糞悪くなりそうな甘ったるい事、してやったんだしな)
ヒル魔がそんな事を考えているのを知ってか知らずか、嘘のように浮上した桜庭がヒル魔を抱き締めて、その耳元で甘い甘い言葉を、繰り返す。逃れようとしても体格差と、こういう時にばかり力を発揮する桜庭に阻まれたのと、自分でも今どんな顔をしているのか解らないのに桜庭に見られるのは拙い、と思ったヒル魔が、桜庭の背中に腕を回したのは同時で、その様子は人通りの途絶えた道でどおから見ても1日遅れのヴァレンタイン、を享受する恋人同士、のそれ、だった。そんなふたりを偶然見る羽目になった塾帰りの不幸な泥門生徒は、我が身の為に強引に記憶消去に踏み切ったところ、今しがたの塾での受験勉強まで消去したとかしないとか…ふたりの為に世界はあるの、な恋人同士にとっては、どうでも良い事に違いなかった。
「まもりさ〜ん、まもりさんの好きな甘いもののお店、ってどこッスか?」
3月に入って間なしに、泥門アメフト部の部室で、モン太がまもりに聞いていた。まもりは間、髪を入れずに数件の店の名前を挙げ、それに栗田が加わって、甘味談義が盛りあがっていた。てめぇはバナナさえありゃあ、いいんじゃねぇのか糞サル。そう言ったヒル魔に、ヴァレンタインにチョコ貰ったから、ホワイトディにお返しをしたいんだ、と言うモン太と、そこまで気を遣わなくても、と言うまもりと、どうせ義理なんだから糞マネの言う通り気にするな、と言うヒル魔に他の部員も加わって来て収集がつかなくなった。モン太は義理だって解っていても、貰えたのが嬉しい(それが好きな人からだから、とは言わなかったけれども、モン太の態度で周囲にはバレバレだった…まもりはモン太を弟みたいにしか思っていない事も、これまたバレバレだったが、モン太は諦めていないらしい)から、何かしたいけどそういう店とか解らないから、直接聞こうと思ったのだ、と言っていた。
ホワイトディも近い日、そんな会話を思いだしながら、ヒル魔は、自分の付き合っている相手を思い浮かべてみた。
(聞くまでもねぇ…)
これが好きだ、あれが欲しいと思ってるんだ、これ可愛いよね、これいいと思わない?それともこっちがいいかな?ねぇ、ヒル魔はどう?聞かずとも聞かされる、桜庭の好み。それでなくても元アイドル。嗜好品だの趣味だのは、公表されたくって流出している。アイドル誌のバックナンバーなり、今でも運営されているファンサイトのひとつも覗けば、桜庭の好きなものから苦手なもの、よく行く店だの好きなブランド、その程度、軽く見つけられる。記念日好きというか、そういう、恋人同士が一緒に居る、という事に対してウェイトを置く年中行事を、とにかく外さないで一緒にいたがる事も、短い付き合いの中でも嫌という程思い知っている。
『アイドルやってた時はさ、そういう日、って、取材だ何だ生放送だ、って、好きで居てくれる人達の為に、動き回らないといけなかったんだよね。それはもちろん、嬉しい事なんだけど、でも、そういう時に付き合ってる人がいたら、大好きなその人と過ごしたいし、まあ、その時は付き合ってはいなかったけど好きな人は居たし、って、もちろんヒル魔の事なんだけどね、あは、あ、でね、僕がそういうのに出て、そういう僕を見て、嬉しくなってくれる人達が居ても、ほんとに僕なんかどうでもいいぐらい好きな人が傍に居たら、そんな必要ないんじゃないのかな、とかさ、うん、思ってたんだよね、うん、だから、僕なんかが要らないぐらい、好きな人見付けて欲しいとか思ったりもしたし…でも、僕なんかでも見る事で、寂しくないならそれでもいいとか…ああ、何が言いたいんだろ、僕、んと、とにかくそゆカンジでばたばたしてて、記念日みたいな日を好きな人と一緒に、っていうの、なかったからさ、好きな人とお付き合い出来たら、全部やりたい、って思ってたんだよね、うん、ヒル魔は、そゆの好きじゃないみたいだから、僕の我侭、なんだけど、さ』
以前、何だってそんなに行事とか記念日とかに拘るのかが理解出来ずに聞いた自分に、桜庭はそう、言っていた。だから、ヴァレンタインに自分から桜庭に何か贈られるような事はないだろう、というのもあって、桜庭の方から来る事にしたのだろうと思う。で、それを受け取ったからには、当然『お返し』とやらを期待しているだろう、とも思う。いや、してねぇかな…俺の性分、解ってる筈だし。だったら、尚更。何かしら贈れば、想像以上に喜ぶんだろう、とも思う。…まあ、好みは解ってんだし、適当に選んでくっか…などと考えながら、泥門生徒の行動範囲外、の店に狙いを定めて出向いたヒル魔だった。
…窒息死する。店内の人数制限があるとかで、店員が恭しくドアを開けて迎え入れられた宝飾店と見紛うばかりの外観を持つショコラブティックの店内に足を踏み入れた途端、慣れない独特の甘い香りの立ちこめる空間に、眩暈がした。思わずよろけそうになるヒル魔に、「どうかなさいましたか?」と店員が気遣うのに、曖昧な笑顔を返す。
「本日は、どのようなものをお求めでしょう?手土産か何かをお探しでしょうか。あるいは愛しい方への贈り物、でしょうか?それともお客様がお楽しみになられる為の?」
「あ…俺、じゃなくて…その、甘いもの苦手で、こういう店は…慣れないんですが…ここの、店が好きだ、っていう人に何か…」
穏やかなトーンの声とにこやかな顔で訊ねてくる見た目30代とおぼしき男性店員に、ヒル魔にしては珍しく歯切れの悪い言葉を返す。慣れない空間、慣れない香り。何より、慣れないのは誰かに物を贈ろうとしている、自分。居心地の悪さと来たら、ない。
「左様でございましたか。ショコラは嗜好品でございますから、お客様のような方も、大勢いらっしゃいますよ。それでもお相手の方が、当店をお気に召されていらっしゃる、という事で、わざわざお運び頂いたのでしょう?お客様が、お相手の方を思っていらっしゃる、という事でしょう。そのようにして選ばれたものでしたら、お相手の方の喜びもひとしおだと存じますよ」
例えそれがセールストークだとしても、穏やかな口調と笑みに、救われた気がした。色々な感情が整理もつかずに感じる居心地の悪さ。ヴァレンタインのチョコ売り場に群がる女、ってのも…いや、誰かに何かしたい、と願って選んでいる輩、ってのは、皆、こういう気分だったりするのか…。今までバカバカしいと眺めているだけだった立場に自分が置かれたような状況になったヒル魔は、ふと、そんな事を思う。
(…そりゃ、お祭り騒ぎに紛れねぇと、やってらんねぇよな…)
傍から見れば、今の自分だってお笑いの筈だ。少なくとも、自分を少しでも知る者にとっては。お祭り騒ぎの中から真剣さを拾い上げ、受け止められる相手など、そうそう居ないだろう。けれど、そうなるきっかけ、程度なら、出来るかもしれない。例えダメだったとしても、お祭り騒ぎに乗じた風を装っていれば、無駄に傷付く事もない。上手く、出来てる、ってワケだ。
「ああ…え、と…お薦めは、どれですか?」
「当店のものは、全てがお薦めでございますよ、お客様。と、申しましてもお相手の方のお好みもございましょう。どのようなものが、お好きか、お解りでしょうか?非常に甘いものから、苦味のあるものまで幅広く、揃えてございますよ」
全てがお薦め、というのは、店にとっては当然だ。何か言おうとしたヒル魔を穏やかな笑みをたたえた視線で制して言葉を続けた店員は、ヒル魔の答えを静かに待っている。微妙な間、が、先程のように居心地悪いものでは、なくなっていた。
「…たぶん…凄く、甘味の強いもの、が…苦いの、よりは…」
「左様でございますか。でしたら、こちらの新作は如何でしょう?ホワイトディに向けて、主にご婦人向けに贈られるものを、と想定して作られたものでございますけれども、お相手に渡す前に、こちらでご試食なされて、ご自分用にもお求めになる方が大勢いらっしゃいます」
「あ、じゃあ、それ…で、お願いします」
「では、こちらをいかほど、お包み致しましょうか?」
いつも自分が行くコンビニのチョコが、下手すれば2〜3枚軽く買える値段が、たったひと粒、に付けられている。人数制限までして店内の温度を保ち、まるで巨大な保冷庫を舞台に並ぶショコラを、鑑賞しに行くかのような作りの店。それだけのクオリティが全てにある、という事だろうし、ならば、これだけの値段が付いていてもおかしくないのだろう。所持金は何とでもなるとはいえ、普段縁がないものだから、どれぐらいの値段や量が良いのか、なんて事が、全く解らない。
「甘いものがお好きな方、でしたら、1度に召しあがってしまわれる事もございますから、大きな箱をお求めになられる事が多いのですけれども、逆に少しだけの方が、大切に召しあがって下さるかもしれませんね。こちらの箱に致しましょうか」
「あ、はい、それ、で」
片手に収まるような、小さな紙箱に、ひと粒ずつ、選ばれた商品が詰められていく。宝石を扱うかのように丁寧に、愛し気に、それでいてよどみない仕草は、気持ちの良いものだった。
「有難うございます」
店を出る時に、意識する事もなく口にした自分に、自分で驚いているヒル魔に向かって、「また、いらして下さい。今度は、お相手の方とでも」と微笑む店員の言葉に自分の耳が赤くなるのを感じながら、店を後にした。
わざわざ知り合いに見つからないように来た場所で、似合わない買い物をしたのに賊学タクシーを呼ぶわけにもいかず、駅までを歩く。その足取りが速いのは、気のせいだという事にしておく。消えたかに感じた居心地の悪さは、別の形になって残っているようで、落ち着かなかった。
「あれぇ?!あ、やっぱりヒル魔だ…ヒル魔、珍しいね!こんなとこで逢うなんて!うわ、嬉しい」
(こっちは全く嬉しくねぇ)
この、ワケの解らない気分で、早く家に帰って落ち着きたいところに、よりによって今、逢わなくてもいいだろう、という人物に逢ってしまったヒル魔は、見るからに不機嫌な顔をするけれども、それでどうにかなる桜庭では、ない。
「あ、ねぇ、今からどこか行くの?帰り?時間、ある?僕は買い物なんだけど、一緒に行こ?」
「…俺の用は済んだ。これから帰る。てめぇと付き合う気は、ねぇ」
「えーっ!つーめーたーいーぃいいいいっ!どうせ今日はさ、この後逢おうと思ってたから、それが早まっただけじゃん!ねっ?!」
「…俺にそんな予定はねぇ」
「さて、記念日男な僕から問題です。今日は何の日でしょう?」
「…あァ?」
(ホワイトディ、は、まだ、だよな…他…って、何か、あったか…?)
「あ、やっぱ覚えてないんだ?じゃあ、今覚えてね?僕の誕生日。3月12日」
「………」
今のヒル魔はホワイトディの事で頭が一杯で、誕生日、は範囲外だった。それでなくても、こういう時の言葉が出て来ない。
「……ひーるまっ?」
「…オメデトウ、で、いいのか」
ヒル魔が素っ気無いのはいつもの事だし、今は何だか不機嫌みたいだし、でも、おめでとう、って言ってくれたのは嬉しいな。きっと、ヒル魔は言う事にも、言われる事にも、慣れていない。どうしていいのか解らなくて、困っているだけなんだ。桜庭は、そう、思う。それを寂しいと思う気持ちもあるけれども、それ以上に、こういう部分を見せてくれるのが嬉しかったりもする。一緒にいるうちに、ヒル魔の嬉しい事と、自分の嬉しい事の重なり合う部分が、出来ていったら嬉しいな、と思ったりも、する。それは、桜庭の密かな楽しみであり、願いでもあった。
「あ、あのね、僕がいつも行ってるお気に入りのお店、あるんだよ。ヒル魔はさあ、いつも、嫌がるものなんだけど。ね、ね、今日だけでいいから、一緒に行ってよ?プレゼント、一緒にお買い物、ってことにして?」
「ちょ…、さく…ら…ッ」
ヒル魔の制止を聞く事のない桜庭に連れて行かれたのは、今しがた出て来たばかりの、ショコラブティック。硬直したままのヒル魔を、苦手な甘いもののせいだと思っている桜庭に腕を引かれたまま、店内に入る。ドアを開けて出迎えたのは先程の店員で、けれどもそこはプロ、初めて逢ったような顔をして、ふたりを店内に導く。
「お久しぶりですね、桜庭さま。本日は、お誕生日でございましたね。いつものもので、よろしいでしょうか?それとも、何かご希望が?」
「有難う。でもこの時期だったら、新作が出てるでしょ?ほら、もうすぐホワイトディだから。あは、実は、それ狙いだったりして」
「ああ、それでしたら、こちらになります」
ヒル魔が、桜庭の為に買ったばかりの商品の前に、案内される。
(…そりゃ、そうだよな…男同士で、んなの…おおっぴらに出来る状況でも、ねぇし、な…)
どうやら常連らしい桜庭の好みは、自分よりも店員の方が知っていそうだし、自分が贈ろうとしている相手が桜庭で、ましてやそれがヴァレンタインのお返しだ、などと知っているわけでもない店員が、自慢の新作を薦めるのは、当然の事だ。
(慣れねぇ事、するもんじゃねぇ…)
最初に入った時の居心地の悪さを再び感じているヒル魔の目の前で、桜庭が嬉しそうな顔をして、商品を覗きこんでいる。
「うわー。凄い、美味しそう〜。どうしよ…買い占めたいかも」
「ふふ。桜庭さまは、こういうものがお好みでしょうから、きっと、お気に召すと思っておりましたよ。ですが、残念ですね…一足違いで、急なお約束が入ってしまいまして…本日、ここにございますものは、これからその方のもとへ、お届けに上がる事になっているのです。急なお集まりだとかで…こちらとしても、桜庭さまと同様、大切なお客様でございますから…桜庭さまには、後日…明日にでも、別に、ご用意させて頂きますから、本日は、別のものにして頂けませんか?」
「えええええ…っ。見るだけ、ですかあ?!うわー…ひど…っ。ん、でも、近いうちに来ますから、取っておいて下さいね?」
「もちろん。では、いつものもので?」
「あ、はい」
ぼんやりとしたままのヒル魔の前で、店員と桜庭のやり取りは終わり、そのまま桜庭に連れられて店を出るヒル魔に向かって、店員が桜庭に気付かれないように、密かに片目を瞑ってみせた。何もかもお見通し、と言わんばかりの態度に、恥ずかしさと腹立たしさと何かわけの解らないものが渦巻いて、耳が熱くなるのを感じて、いたたまれない気持ちになったまま、無言で桜庭の隣を歩く。桜庭はそんなヒル魔の様子に気付きもしない様子で嬉しそうに小さな包みを手にしていて、上機嫌でヒル魔に話し掛けてくるのがまた、癪にさわる。
(…何か、バカみてぇだ、俺)
隣を歩くコイツが、喜ぶだろうと柄にもなく思ってしまった自分とか。その為に、慣れない事して無駄になってる自分とか。バカみたいだ。…ここで渡してもバカみたいだし、2日後まで待つのも余計にバカな気がする。だからって自分で食べるのは論外だし、誰かにやるのも捨てるのも躊躇する。
「桜庭」
「ん?何?ヒル魔?どしたの?」
「…やる」
唐突に立ち止まったヒル魔が、小さな包みを持つ桜庭の手に、押し付けるように渡したのは、今出て来たばかりの店の包装紙に包まれた、小さな箱。
「…ヒル魔…これ…」
手の中の箱と、自分の顔をまじまじと見る桜庭に耐えられなくなったヒル魔が、無言で歩き出す。本当は、走り出してしまいたかった。でも、行く方向は同じで、どこへ行こうが今日は一緒に居る、と勝手に決めたらしい桜庭が、捕まるまで追い掛けてくるのは目に見えているし(実際、そのしつこさは身を持って知っている)もうどうにでもなれ、と半ばヤケクソになっていたヒル魔が早足で歩くのに、桜庭が小走りで追い掛けて、捕まえる。
「ヒル魔、待って、ヒル魔。ありがと!僕の好きなもの、覚えててくれたんだ?凄い、嬉しい。ありがと!僕を驚かせようと思ってたり、してくれたんだ?僕と逢っちゃったから、不機嫌だったんだ?ごめんね?」
(…誕生日なんざ、忘れてた、っつーのに。何だって、そこまで都合良く思い込めるんだ、コイツは)
驚かそうとしていたのは、間違いではないと思う。けれどもそれは、今日の日の為では、なくて。なのに。
「…誕生日、とか、知らねぇから」
「?うん。え?だったらこれ…あ…あは…はは…っ」
不思議そうな顔をして、すぐに何か思い当たったらしい桜庭が笑い出すから、反射的に殴ろうと手を出したヒル魔の腕を、桜庭が絡め取る。
「ありがと、ヒル魔」
ただでさえ、熱く感じるままの耳に囁かれて、崩れ落ちそうになる身体に、力を入れる。そんなヒル魔を笑いを収めきれない桜庭が、小さな箱を持つのと反対側の、空いた片手で支える。
「凄い、嬉しい。ほんと、ありがと、ヒル魔。誕生日と、ホワイトディの分だよね、これ。ヒル魔が、僕にこんなふうにしてくれたらいいな、って思ってたから、凄い、嬉しい。ほんとはさ、ヒル魔が、いつだって僕に、欲しい言葉とか、いろんな気持ち、くれてるから、それだけでも嬉しいんだけど。うん、それは、ほんとなんだけど。でも、もっと、って、思ったりとかも、するんだよね。僕の勝手なんだけど。ありがと。嬉しい。どうしよ。あはは。嬉しくて、凄い、笑っちゃう。ありがと、ヒル魔。大好き」
(バカだバカがいるぞー)
少なくとも、ここにふたり。
慣れない事や感情に戸惑う自分を、間違いなく受け止めてくれる桜庭に、いつも救われているのは自分だ。自分の、口に出すのが照れたり恥ずかしかったりする気持ちを、言わなくても解れよ、解っているなら言わせるな、と思うのに、言われる事で安心したりしている自分は、とても勝手だ。そんな自分がいい、という桜庭は、どこかオカシイんじゃないかと思う。バカだバカだと毎回呆れながら、どこかで安心して嬉しいと思っている自分を、こういう時に思い知る羽目になる。バカはどっちだ。
「…オ誕生日オメデトウゴザイマス サクラバハルトクン」
「有難うございます、ヒル魔妖一くん」
自分を支える片手を引き剥がし、桜庭を見つめて…というより、睨みつけて、といった風情だったが…改まった口調で言うヒル魔に、かしこまった表情を作った桜庭が、礼を返す。言い終えた瞬間、どちらもが噴出して、バカみたいに笑いながら、駅までの短い距離を歩く。
折り良く来た電車に乗って、空いた車内に並んで座りながら、待ちきれない桜庭が、ヒル魔からの包みを開けて、早速ひと粒、口にする。
「…帰るまで、待てねぇのかよ」
「だって、凄い美味しそうだな、って思ってたし、本気で明日、買いに行こうと思ってたんだよ?それにさ…」
「ん、の…糞バカ元糞アイドル…ッ」
怒っては見せても、もう、らしくない自分ばかりを見られる羽目になった今日は、それが桜庭に何の効力もないのは解りきっていて、だからと言って、こういう桜庭の言動に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
「だってさ、帰ったら、こんなの目じゃないくらい、甘い声、聞かせてもらうつもりなんだよ?それ、我慢してるんだから、褒めてよ」
(もう、どうでもいいか。何か知らないけど、これだけ嬉しがってんなら)
ヤケクソついでに諦めたヒル魔は、名残惜しそうに最後のひと粒を口にする桜庭の横顔を眺めながら溜息をついたけれども、それは決して嫌なものでは、なかった。
「形容詞30題」より『 25.うれしい』です。まりも様、3月20日お誕生日、おめでとうございました。脳内ラバヒル祭りの覚書SSS(と、いうよりメモ書き)を引き取って頂いたものの、流石にあれではいかんだろう、という事で。(笑)本家ラバヒル祭りは現在も続行中で、まりも様の作品も展示中でございます。以下のサイトへGO!
■ラバヒル祭り■主催:berry・秋子(べりーあきこ)さま■主催サイトさま:Q-キュウ?-
昨年がヒル魔さんお誕生日ネタでしたので、今年は誕生日の判明した桜庭のお誕生日ネタにしてみました。(笑)