アニメ放映99年当時、「激闘!ヒルクライム」直後に書き始めたもの。次週のケンタとのバトル時に兄弟の携帯会話が入る事を知らずに書き出したものですので、そのあたりのツッコミは勘弁して下さい。そうでなくとも、ツッコミどころ満載ですので。

「 アルカロイド・メディスン 」

医者になってこの家を継ぐというのは、物心着いた頃には既に決定事項だった。長男として生まれ、何事も標準以上にこなせた俺に、両親のかける期待は大きかった。本当に医者になりたいのかどうかもわからないまま、与えられる課題をこなしては結果を出していく。別にそれを不幸だと思ったことはない。そういうものだと思っていた。たかが幼稚園児の分際でそんな事を考えていた俺は、ずいぶんと可愛げのない子供だっただろう。
「いいお医者さんになるよ、絶対」
本当に医者になりたいのかどうかわからないし、あまりいい医者にはなれないだろうと言う俺に、従姉妹の緒美が返した言葉を思い出す。今では医者になるのは俺の意志だが、いい医者にはなれないだろう。その理由は、俺が一番よく知っている。


今の啓介なら心配する事などない。そう思って妙義での中里とのバトルへは足を運ぶ事もなかったが、それがいけなかった。
確かに走りに関しては何も心配する事などなかったが、啓介の身体の方が問題だった。
中里とのバトルの様子を聞いて携帯を切ったあと、ふと気付いたら雨が降っていた。じきに帰宅するだろうと思い、そのまま作業中の画面に向き合う。しばらく作業に没頭していた俺がFDのエンジン音を聞いて時計を見た時には、かなりの時間が経っていた。少しの間をおいて玄関の扉が開く音がする。階段を昇る足音がして、俺の部屋の前で止まる。だが扉が開く事はなく、続いて隣の部屋の扉が閉まる音が聞こえた。明かりがついているから、俺が起きているのはわかっているはずだ。
いつもなら『ただいま』の声と同時に扉が開き、指定席となっている場所へと座り込んで話し出す。両親が多忙で不在がちなこの家で、幼い頃から話相手はお互いだけだったから、どんな些細な事でも啓介は、一番に俺の所へ来て話す。バトルの後ならなおさら、話さずにはいられない性分だ。その啓介がこういう態度を取る時は、俺に知られたくない事を抱え込んでいるのが常で、隠しているつもりがまったくそうではない事に、本人だけが気付いていない。
「啓介、入るぞ」
ひとことだけ声をかけ、啓介の部屋の扉を開く。いつもならノックをしてから声をかけるが、こういう場合に啓介に時間を与えてはいけないのは、経験からわかっている。
「…帰って来たなら、声ぐらいかけるもんだろ?そんなナリなら、なおさらだ」
雨に降られて全身を濡らしたままの啓介が、きまり悪そうに俺を見る。
「こんなカッコで声かけたら、アニキに心配かけるから…」
「顔も見せずにいられる方が、よっぽど心配するだろ。おまえ、自分の身体がわかっているのか?…とりあえず身体を拭いて、着替えたら風呂が沸くまで大人しくしていろ。シャワーならすぐ使えるが、暖まらないからな」
「…ごめん…アニキ…」
21歳にもなる男に対する物言いではないが、俺は啓介の兄であり両親がわりでもあったから『いつまでたっても子供は子供』とよく言われる、親の感情に近いものがある。昔から啓介はひどく虚弱体質で、成人するのかどうかも危ぶまれていたのだから、必要以上に過保護になるのは仕方がないだろう。
啓介が着替えている間にキッチンへ行き、ココアを淹れる。好き嫌いの激しい啓介はミルクが嫌いだから入れないが、純ココアはそのままだと微かに苦味があるから砂糖を足す。苦味のあるものが嫌いなのは、薬を思い出すからだろう。それに頼らなくては命を繋げなかったとはいえ、幼い身に与えられる強い薬は、苦痛でしかなかっただろう。食事ですら自分の好きにできなかった啓介は、子供に与えられる菓子類も与えてはもらえず、その反動か、成人して食事の制限がなくなった今、かなりの甘党になっている。限度を越す糖分への欲求は今はタバコで解消されているように見えるが、タールやニコチンの固まりが身体に良いわけはない。かなりの量を吸っているように見えるが、たいていは1/3も吸わないうちに消されているのを知っているから、何も言わずにいる。
「啓介、ほら」
部屋へ戻ってカップを手渡してやると、冷え切った両手を暖めるようにカップを持ち、口を付ける。
「あつ…っ」
小さく叫んで舌を出す啓介に、微笑を誘われる。
「おまえ、ネコ舌なんだから…少し冷ましてからにしろ。いつも言ってるだろ?」
「…笑う事ないだろ」
拗ねたように軽く睨むが、すぐにカップに意識を捕らわれて息を吹きかけている。そうしてひといきに飲み、軽く息をつく。
「ごちそうさま」
律儀に言う啓介の手からカップを受け取ってやる。
「少しは暖まったか?」
「ん。サンキュ…アニキ」
「もうすぐ風呂が沸くから…ゆっくり入って、よく眠る事だな。気分が悪くなったら時間なんか気にせずに俺を呼べ。いいな?」
「大丈夫だって。アニキこそ、忙しいんだからさ…無理すんなよ…?」
「俺の為を思うのなら、おまえがきちんと休まないとな」
「ん…。そ、だな。ごめんな、アニキ。いつも心配させてる…」
「わかったから、泣きそうな顔をするな。よけいに心配になるだろ、啓介?」
「…来週はハチロクとのバトルだっていうのに…そんな時に、オレの事ばっかでいいわけないじゃんかよ…」
思いつめた表情で俺を見る。自分が唯一、負けた相手を認めているだけに、俺とハチロクのバトルに複雑な感情を持て余しているらしい。
「おまえにそんな顔されたら、俺まで不安になっちまうぞ?」
軽く笑いながら啓介の頬に手をやると、笑おうとして失敗したらしい啓介は俯いてしまう。そのまま俺の手を確かめるように指をからめて少し力を入れると顔を上げ、自分に言い聞かせるように言った。
「アニキは、負けねーよ…」
「もちろん、そのつもりだ」
安心させるように言い切ってやると、いつになく真顔で頷いた。

風呂から上がり、『おやすみ』とひとこと残して部屋へ戻ったのは深夜近くだ。夏場とはいえ、雨のせいか肌寒い。日中との温度差の激しい日はいくら室温調整をしていても、啓介は決まって熱を出す。いつもなら眠る前の薬ですぐに落ち着くのがわかっているからかまわないが、先程の啓介の様子から精神的にかなり不安定なのがわかるから、様子を見に行く事にした。
眠っている啓介を起こさないように近づいてみる。ベッドサイドの間接照明に寝顔が浮かび上がる。少し上気した頬を髪をおろした額に薄く滲む汗。喘ぐかのような浅く、短い呼吸から、やはり発熱しているのだとわかる。額の汗をそっと拭うと、啓介がうっすらと目を開けた。
「…アニ…キ…?」
「すまない…起こしてしまったな」
ぼんやりと俺を見る啓介の額に手をやりながら、汗で貼り付く髪を撫で上げる。色素の薄い金茶の髪は、人工的に染めたものではない。もともと身体にまとう色素が薄い上に強い薬の投与が続き、副作用もあって小学校に上がる歳には今の色になっていた。学校で口さがない連中にあれこれ言われた啓介が『お兄ちゃんとおんなじ色がいい』と言うものの、黒く染めようにも染色剤の強さに皮膚が耐えられず、顔や手足が荒れて治療にかなりの時間がかかった事を覚えている。
「気分はどうだ?啓介」
「ヘーキ…も、いーかげん慣れっこだし…朝には熱も下がってるよ…アニキこそ、大丈夫なのか?ちゃんと休まなきゃ、持たねぇよ…ずっと、起きてたんだろ…?」
ようやく焦点の合った目で俺を認めて、浅い呼吸の下から言葉を繋ぐ。
「俺の事なら心配しなくていい。医者の不養生じゃ話にならんからな。これでも健康管理ぐらいはしてる」
「…だったら…いいけど…」
「それより啓介、起きられるか?汗をかいているから、着替えた方がいい」
「…ん…アニキ…悪ィけど…ちょい、手ぇ貸して…」
甘えるように伸ばしてくる啓介の腕を膝を折って肩に掛けさせ、少し浮いた背中に腕を回して起き上がらせる。
微熱で動くのが億劫そうな啓介の寝間着がわりのシャツを脱がせると、肉付きの薄い身体が現れる。恵まれた環境と本人の努力の甲斐あって、人並み以上の成長をしたのは啓介の場合、身長だけのようで、成人すぎの男子の身体にしては肉付きが悪い。啓介もそれをかなり気にしていて、サイズが大きめの服やラインを隠す服を好んで着るのは、そのせいだ。柔らかくて腰のない髪をハードムースで無理矢理立たせ、キツイ印象を与える顔を作り出しているのも、コンプレックスの裏返しだ。啓介の性格が、作り上げた外見を違和感なく感じさせているから、俺以外に気付いている奴はまず、いないだろう。密かに優越感を感じてしまう自分には、笑うしかない。
されるがままに俺に身体を預ける啓介の身体の汗を拭いてやり、着替えをすますと再びベッドに横たえる。
微熱で潤んだような目が、眠気も重なって焦点を虚ろにしていく啓介の髪を撫でてやると、安心しきった顔をして眠りに落ちていった。
啓介の寝顔を眺めながら指で唇のラインを辿っていると、指先に絡む呼吸が規則正しいものに変わる。落ち着いた寝息を聞きながら、啓介の唇の感触を残す指先に軽く舌を這わすと微かに薬の味がしたような気がした。
肉親の親愛の情以外の感情で、口づけられる時が来るのだろうか。
腕の中で狂いながら、啓介の唇が俺の名を綴る様を見たい。色素の薄い身体を羞恥と快楽で染め上げて啓介すら知らない啓介を暴き出し、恋情の鎖のもとに膝を折らせる。幼い頃に感じた漠然とした感情は、年月と共に強くなるばかりだ。



「啓介?!啓介…っ?!」
熱を持つ身体と閉じられたままの瞼。ぐったりとした啓介を抱えてとりあえずソファに寝かし、名前を呼ぶ。
朝から体調が悪く学校を休んだ啓介が気がかりで、授業もそこそこに帰宅してみると、居間で倒れたままの啓介がいた。通いの家政婦が買物に出ている時間に退屈を紛らわそうと起き上がり、家の中を動き回っていたのだろう。父が院長を務め、母も医者として勤務している病院とは24時間体制でオンラインが敷かれているが、この程度のことは日常茶飯事だから連絡を取るまでもない。薬を与えて安静にさえしていれば落ち着くのがわかっている。物心着いた頃から父に連れられ、様々な医療現場を目の当たりにしてきた俺は、こういう時にそこいらの母親よりは、よほど落ち着いて対処のできる小学生だった。だがいくら慣れているとはいえ万が一、という場合もある。いくら知識があろうと、小学生にとって実際できる事など限られているから、啓介が倒れる度に襲ってくる不安は消えなかった。
「啓介!!聞こえるか?啓介!!」
何度か問いかけてみても答えのない啓介につい声を荒げてしまうが、反応が返ってこない。途端に不安が大きくなる。
祈るような気持ちで、ただ目を開くのを待つだけしかない自分の無力さを何度味わったか知れない。初めて啓介の死を感じた時に、医者になる事は俺の意志になった。
薬を取りに行き、自分の口にそれを含むと、目を閉じたままの啓介の唇に重ねて流し込む。微かに喉が動いたのを確かめて、同じ行為を繰り返す。
「…ぅ…ん…」
何度目かの行為の後、小さく声を洩らしながら啓介が身じろいだ。
「啓介?俺がわかるか?」
「…おにーちゃ…?」
掠れる声で俺を呼ぶ啓介に、安堵の息をつく。
「苦しくないか?」
「…おにーちゃ…いるか、ら…だい、じょぶ…」
俺を見て安心したのか、どこか嬉しげな顔を向ける啓介に、微かに苛立ちのようなものを感じて愕然とする。
この感覚は、何だ。
「…おにーちゃん…?」
黙ったままの俺に不安を隠せない目をした啓介が問いかける。
「ああ、ごめんな。啓介が気にする事じゃない。安心してお休み」
「ん。…おにーちゃん、ここにいてくれる?ちゃんと寝る、から…」
必死な目でお願いをする啓介に笑みを添えて言ってやる。
「お兄ちゃん、いつだって啓介の側にいるだろ?」
「ん…。でも…今日…がっこ、行けなかった、から…おにーちゃん、いなくて…寂しかった…から…ちょこっとだけ、でも、いいから、いっしょにいたかった…」
「じゃあ、もう安心したろ?明日は一緒に学校行こうな」
「ん!だいじょぶ。元気になる。おにーちゃんと、がっこ、行きたい」
一生懸命な顔をして俺を見る啓介を愛しいと思う。
「だったらお喋りはおしまいだ。夕飯になったら起こしてやるから、な?」
頬に手を添えてそのまま瞼を閉ざすように軽く動かすと、おとなしく目を閉じた啓介はすぐに袖口を握りしめるようにして寝息を立て始めた。
薬のおかげで数時間は起きることのないだろう啓介の、重量を感じさせない身体を抱え上げて部屋へ運ぶ。常に誰かの手を必要とする身体。必要とされるそれが自分の手でありたいと、強く願う。誰かに守られなければならないのなら、俺が。だが今の自分では力が及ばない事もわかっている。
守れる力を持つ前に、他人の手で……それは医療ミスかもしれないし、啓介自身の生命力かもしれないが、俺以外の手で……壊されることがあるかもしれない。
ふと頭をよぎる可能性を許せない自分を、この時に自覚した。
小さな身体を抱えて体温を感じる事に安堵したと同時に、いつ消えるかもわからない命を思って何度も背筋が冷たくなった、幼い日々。
医学部に進んだ今、どれだけの知識や技術を得ても、人の役に立ちたいだの立てようだの、思った事など一度として、ない。自分の環境と、選び取った未来。それは全て啓介の為、という建前の、俺のエゴだ。
そうして啓介を守りたい、と思う一方で、壊してやりたい衝動が奥底にある。頼り切って、縋り付いて、信頼の笑顔を向けられる度に覚える、微かな苛立ち。手に入れる事は、たぶん容易い。そしてそれを壊す事も。
なんて軽くて、儚い、命。
捕らわれて、溺れる啓介に歓喜と快楽を与え、そして。
微笑みながら、壊していこう。
いつ、おまえに告げるとしようか。
未だ誰にも見せてはいない、この、身体を侵食しきった暗い感情を。

END 初出1999.02. 収録2000.08.27.「Kyo5'S PRESS」 改稿2003.12.10.

「形容詞30題」より『9.いたいたしい』です。名詞の「矛盾」「棘」「夢」のどれでいこうかと思いましたが、痛々しいのはお話ではなく、『見てくれが派手なのはコンプレックスの裏返し、あるいは虚弱体質による薬の副作用、または特殊な生まれつき』という設定が病的に好きなワタクシですので「いたいたしい」に決定。正しくはタイトル「痛々しい作者」ですね。<イタすぎてセルフツッコミもできない…。これは頭文字Dにハマった当初、知り合ったばかりの方々に送り付けたFAXを個人誌に掲載、中途半端に終わっていたので、今回サイト掲載に当たってまとめたもの。続きがあるような、ないような微妙さ加減のままに。アルカロイドが有害麻薬、メディスンが医学、で、繋げただけのタイトル。虚弱設定、ヒル魔で書いてみたいなあ。イニD的には、この後兄、バトルで初めての敗北、という一大イベントがございますので、そのあたりで手に入れるんでしょうか、この兄は。