クラッシュした後は、身体がいうことがきかない…ということがわかっているはずなのにな。
サイバーフォーミュラレース第12回大会、その第2戦の予選でクラッシュしたブリード加賀は、ヘルメットを外しながら歩いていた。
電工掲示板を見上げると、弱冠16歳のディフェンディングチャンピオン風見ハヤトの名が、第2位の新条直輝をコンマ、0.08交わしてトップに立っている。
「チィッと熱くなり過ぎたな」
予選・第2回目のタイムアタックに臨んだブリード加賀は、この風見ハヤトとデッドヒートをくり広げていたが、エンジントラブルを起こした他のマシンのあおりをくらって、最高スピード状態でクラッシュを起こしたのだ。
「あのお子様が、ポールポジションか」
自分のドライビングテクニックのおかげで、あの世行きは免れたし、相手のサイバーカーは完全におしゃかにしたし、まあ予選タイムは十分クリアしていることだし……と心の中でひとりごつ。
あのオーナーのお小言聞く為にピットに戻る気など到底なく、元々の病院嫌いで、身体の怪我と病気は気力で治すという加賀は、コース医療救護車やアオイZIPレーシング回収チームを完全に無視して、スタンドの方から高速サーキット場を離れた。
とはいえ……ピットから離れて自分でモーターホームに帰ろうとしていた加賀の身体は、次第次第に鉛玉を飲み込んだかのように重く、少しずついうことをきかなくなっていく。
そして突然視界が眩むと、膝がガクガクと動き出して、身体の力がすうっと抜けていった。
「やべぇな、今更クラッシュのショックかよ」
レース場の白い壁に身体をまかせて、ずるりと倒れていく。
誰も見ていない場所ということで、自分のはりつめた気が緩んだのだろう。こんな緑とオレンジという補色でカラーリングした髪で、自身の獣のようなきつい存在感がなければ、いつでもどこでも目立つただのヤンキー青年は、これで結構人に弱味を見せることが、死ぬより嫌な男でもあった。
「もちっと持てば、俺の…根性無し」
自分を罵りながら、快晴の青空に燦燦と降り注ぐ太陽を見上げた。
視界が太陽の光で、白くなる。
気を失う…な。
自分の額からとろり、と流れるものを感じる。歩いていた時は気にも止めないで拭っていたもののひとすじが、ゆっくりと左目へと入っていく。その所為でえらくあったかいなあと思ってはいても、鼻孔を擽るにおいにそれが、ようやく汗ではないものだと理解した。
「太陽が眩し過ぎるぜ…まったく」
まだタイムアタックがくり広げられているレース場の、人気のない場所で、ただひとりブリード加賀は目を閉じて、座りこんだまま身体の震えが止まるのを待っていた。
「加賀さん」
不意に自分の名を呼ぶ声がして、加賀は右目を開けた。
太陽の陽射しをちょうど背にした主の顔は、暗く影を落としていて分からない。だが、その声には覚えがある。
「加賀さん、大丈夫ですか」
覗き込む声の主は、ようやく太陽の光を受けて加賀の目に映った。心配そうな顔は……風見ハヤトだった。
「ハヤトかよ」
左目も少しずつ開けてみるが、どうにも朱色の膜が覆って霞んでしまう。
「クラッシュして行方くらますなんて、額から血も出てるのにっ!」
「これくらいの傷たいしたことねぇよ。クラッシュの経験はおめぇより上だから、対処も身体もよく分かっている。それよりアオイの今日子さんのお小言の方が、傷に触るだろ……」
加賀は口元を歪ませて笑う。
「そうですね。それだけ喋れるなら…十分ですね」
声のトーンが少しさがって、心配から怒っている声、艶を含んだ声に変わる。
「でも俺が最初に見つけ出してよかった」
白い壁を背にして動けない加賀に、ハヤトも立膝をつきながら座り、軽く加賀の顎をあげる。
くすり、と笑うハヤトの様子に、ブリード加賀の精神のどこかで、ナイフの先で切られるような痛みが走る。
風見ハヤトという人間は、サイバーフォーミュラワールドGPXの2年連続チャンプという輝かしい実績を持つ…に相応しいのか相応しくないのか……CF関係者の中では、一目置かれる性格であった。夢を手に入れる男ならば誰もがプライドが高く、何もかも捻じ伏せる強い力を持つ。その中でもこの風見ハヤトは他に類を見ないほど尊大、唯我独尊少年であったのだ。
ちなみにその強運のツケは、不幸の女神を背負う男新条直輝に払わされ、強運の代償はブリード加賀にかかっているといっても過言ではない。
「加賀さん、血を拭きますよ」
顎を上げた手を頬にそえて固定すると、もう片方の手で血の溜まった左の眉をなぞり拭う。
「甘い…ね」
その言葉に思わず目を閉じていた加賀の目が開く。ハヤトはぺろりと加賀の血のついた親指をなめると、そのまま緑とオレンジに染めた頭を押さえる。
「ハヤト…お前」
「動かないで、加賀さん」
ハヤトはにこり、と少年特有の無邪気な笑みを浮かべると、ブリード加賀の左目に自分の顔を近付けた。
そして……瞼の上に軽く唇を落とすと、舌を伸ばしてなめ取る。さらに、朱色の膜に覆われた左目の上をなめていく。やわらかな、湿った感触といっても瞳をかすめていく強烈な違和感に普通の人間ならば、反射的に目を閉じるのだが、加賀はハヤトの行為を目を閉じることなく受け止めている。
痛くないように唾液で湿らせた舌は、宝石を扱うよりも優しく、丁寧に……貪欲に、残酷に左目を犯していた。
まるで……食われているようだな。
動けない加賀はハヤトの腕の中で左の瞳だけを執拗になめられて、鮮血と涙をすすり取られる。けれどそれは、少年の顔ではなく、傲慢な”男”のそれに変わっている。
「ハヤト…もういい」
身体を侵食されていくような、甘い朱色のにおい。
声がかすれ、息があがる。
それでも、ハヤトは左の目を口付けて、その奥につながるブリード加賀の精神を犯すのをやめない。さながら自分の身体を精神を食らうのは自分ひとりだと主張するかのように。
ハヤトに食われている、その感覚に加賀の精神は焼かれるように痛む。それが錯覚だとしても。
「ハヤト」
加賀はコンクリートに爪をたてて声を発した。いつもと変わらない、なにも変わらない声。ただ自分の頬にあたった手を払おうとするが、さすがにそこまでは力が入らなかった。
「甘いよね、加賀さん」
まだ朱の残る唇で囁くと、少年特有の強かさを秘めた傲慢な瞳で笑う。思うがままにねぶり尽くして、ハヤトはようやく加賀から身体を離した。頬にかかる吐息の、極上の酒に酔ったような甘さが、ブリード加賀の神経を痺れさせる。
もう視界を塞ぐもののない加賀の目には、弟のように可愛がった少年ではなくて、油断すれば自分を食い尽くそうとしている男が、楽しそうに笑っている姿が映っていた。
太陽はちょうど青空の一番高いところから、眩むような灼熱を白い壁とコンクリートに照りつけて、吹き抜ける風すら歪めていた。上がり続ける熱気を帯びた風が、左目から流れる体液を乾かしていく。
「俺はな…可愛い弟分のハヤトは好きだがおめぇは大嫌いなんだよ」
きつい手負いの獣のような眼差しをハヤトに向ける。しかし、今まで誰にも向けたことのない殺意……に似た、敵意にハヤトは、少しも動じることはない。
「俺も加賀さん大嫌いですよ、兄貴分の加賀さんなんてね」
くすくすと笑うハヤトは、加賀の顔をまた覗き込んだ。
「ホント、キレイな顔してるよね。加賀さんは。でも貴方を誰にも……新条さんにも、渡しませんよ」
「新条?」
「俺、新条さんと寝てみてよく分かりました。加賀さんがどうして新条さんにかまうのか」
新条と寝ただと…っ!
こともなげに言うハヤトに、加賀はこの少年の思考回路に慄然としてしまう。
ハヤトが自分を欲しがっているということは分かっていたが、一体どういう手段をこうじれば、あの純情青年とこの唯我独尊少年がつながるのか、到底理解できない。上下の有無以前の問題だった。
その上、この瞳が訴えている。
『貴方は誰にも、渡さない。誰にも…たとえブリード加賀、貴方自身だったとしても』……と。
自分の身体とか、自分の精神とか、俺の精神もズタズタにしても、構わないってことか。ハヤト。そこまでして俺が欲しいのか。全く、俺も新条もえらい奴に見込まれたものだな。
ハヤトが新条に挑んだ時の様子を他人事のように考える。けれどこの現実、16歳の少年にいいようになぶられている自分にも苦笑を禁じえない。
「クラッシュの所為で、意識…はっきりしないでしょう。加賀さん。俺の肩に手をかけてください」
身体が思うように動かないのを知って、ハヤトは言う。
自分を欲しがって欲しいというのか。
「ハヤト、俺はお前が嫌いなんだぜ」
「分かっています。でも欲しいでしょう……俺、加賀さんが欲しいもの持っているつもりだし」
まだ血が止まりきっていない額の傷口に口付けを落とす。朱色の結晶を味わいながら、視線で加賀を射る。
「おめぇ…俺を殺す気か?」
「まさか、俺は加賀さんが好きなだけです」
一瞬、その視線が合う。殺意などと生易しいものではなく、憎悪と呼ぶには、甘く優し過ぎる。憧憬と等しい痛み。
「肩貸せ、今から気失うから」
肯定とも否定ともつかない微少な言葉。そのきつい口調に、黙したまま、ハヤトは加賀の手を自分の肩に乗せる。すると微かに加賀の細い指がハヤトの肩に力を込めた。
ブリード加賀が目を閉じると、瞼を通して加賀の目を射る、灼熱の太陽の白さが、少しずつ意識をも焼き尽くしていく。
だが、俺はお前に殺されるわけにゃ…いかないんだよ。お前に俺は譲れない。お前に俺は渡さない。
しかし同時に、この14歳でサイバーフォーミュラのワールドチャンピオンに輝いた風見ハヤトを、このむせかえるほどの熱い風のような少年を拒みきることも出来なかった。
それがブリード加賀の甘さなのか、弱さなのか、それとも強さなのかは分からない。
元々細身の加賀を成長途中とはいえ、力の強いハヤトが抱き上げるのはさほど難しくはなかった。
言葉通り、本当に意識をなくしたブリード加賀の額の朱色の傷口に、もう一度愛しげに口付ける。
でも本当に口付けたいのはこの三日月の傷なんだけどね。
多分、今日の怪我の傷跡が残ることはないだろうから、結局のところ加賀には何一つ、傷も残らない、残すことも出来ない。自分のものだと決めているのに……犯すことも、殺すことも…自分と言う存在を刻むことすら出来ない。
加賀の額にくっきりと残る三日月の傷は、少年の頃のものらしい。ハヤトは加賀の過去を全部知っているわけでないので、このブリード加賀に残る生々しい傷の由来を知らない。
”自分の知らない加賀”に歯痒い思いを抱いているのに。
「絶対…加賀さん、手に入れますから」
この男を自分のものにするには、自分も他人も加賀自身も、裏切って、傷付けて、血を流さないといけないだろう。
ブリード加賀とはそういう男なのだ。
だから、とりあえず口の中に残った血の味で我慢しよう。甘い、甘い朱に染まった蠱惑の味。
朱の肉が裂けた傷跡を舌で丁寧になぞり、加賀を手に入れる最初の……鮮血を飲み込むと、優しく囁きかける。
「本当に愛しています、加賀さん」
コンクリートの照り返しのきつい昼の陽炎に包まれながら、ゆっくりと歩き始めた。頭上の太陽がくっきりと影を落とす。
白い雲が浮かぶ灼熱の陽射しと、すいこまれそうなほどの青い空の中、まだサーキットでは予選が続いていた。
ハヤトが今で言うヤンデレ…?時代を先取り?立派な厨2病ですが、原案はワタクシですので風花さまへの苦情は勘弁して下さい。電話で眼球舐めの話をしていた気がする。嫌いなのに囚われかけていて、それでも自分は渡さない、っていうのがいいな〜。読みたいな〜。書いてくださいよ!という流れだったような気がする。90年代発行のペェパァから転載致しました。その節は、ありがとう存じました。ナンバーワンキャラが誰のものにもならない、というのが好きなので、カプ成立しないように見せかけて囚われてしまう受に萌え、という非常にわかりにくい嗜好をしております…。