去年の5月、一人のメカニックが、葵今日子の希望で主務(チーフメカニック)というポジションにコンバートされる。彼自身、夢を追い続けている真っ最中のことであった。
メカニックにとって主務を任されるということは、熾烈なレギュラー争いからの脱出を意味する。
しかし、彼の新条直輝への思いは強く、チーフとしてチームを管理する側に立つことを決意する。
この秋、自分の達成できなかった夢を他のメンバーに託し、最終目標の「WGP優勝」を目指す。


「 祝福は誰のため 」

芳幸 玲

もし君がいつか 悲しみに泣いたら
失くした笑顔を 僕が取り戻したい
ひとりは似合わないね
瞳が世界を映してる
きのうの悔い 残さない
あしたの夢 わたさない
雨が冷たすぎても
You lose nothing
Don’t be afraid





 雨の中を走り続けるあの人を、あのマシンを、もう、どうしようもない位、気にしはじめている。
 偶然、見に行った練習走行。何台か気になるマシンはあった。そのマシンを目で追ってる間に絞られた、たった一台のマシン。
 何度も繰り返し繰り返し突っ込んでゆくコーナー。傍目に見ていて恐ろしいものがある。だが、どうしても、ただがむしゃらに走っているだけ、という感じがぬぐえない。何故そこまでして走ろうとするのだろうか。ほんの少しのミスが命取りになるこの世界に身を置く者としては当たり前のことかもしれないけれど、彼の走り方は本当に心に迫る走りだった。
 一度見たら忘れられない。忘れることができない。
 そして、ずっと見続けていたい。見届けたい。
 その感情から離れることができなくて、こうして雨の中、コースサイドのフェンスにしがみついて見ているのだ。
 マシンが赤いラインを後に残して走り抜けてゆく。
 爆音のみを後に残して。
 カーナンバー5の赤いマシン。
 あのマシンに触りたい。自分の手で調節したい。そして、あの人に操って欲しい。
 そういった類の願望が頭をよぎっていく。
 もしもあのチームのメカニックになれるのなら…。
 そう思ってはいたが、まさか本当にその日がくるとは思いもよらなかった。
 ……………きっかけは、オーナーのスカウトだった。
 普段から、レース関係のメカニック補充のスカウトが俺の所属している会社に来ているのは知っていた。けれど、自分がまさかアオイチームのチーフメカニックとして、スカウトされるとは考えもしなかった。
 屋外で車の解体整備をしていたときだった。
「片桐君、来月からでいいから、レースメカニックとして、ウチのチームに来てくれないかしら?」
 正直言って本当に驚いたが、そう声を掛けられたとき、真っ先に聞いた事はチーム名だった。
「アオイフォーミュラよ。ご存じかしら?レーサーは新条直輝、私がオーナーの葵今日子です」
 それを聞いたときは、自分の耳を疑った。
 新条直輝といえば、あのマシンを操る人物ではないか。
 あの、雨の日に見た赤いマシンを。
「はい、赤いマシンのチームですね。けれど、何故今頃になってメカニックを新しく雇われるのですか?」
「それはまだ話せないわ。企業秘密ということです」
 何を考えているのか、その表情からは全く読めはしないが、とにかく、自分に大きなチャンスが回ってきたということだけは確実だった。あの人と、あのマシンと共にレースができる。
 その機会が今、巡ってきたのだ。
「で、どうかしら?引き受けて戴けるのかしら。もちろん、今すぐにとは言いません。期限は一週間です。それまでに、アオイフォーミュラのオフィスに来て下さい。例え断ったとしても、貴方のこの先に何かあるというわけではないので、良く考えてください。それでは失礼しますわ」
 そう言ってしまうと、今日子女史はさっさとその場から立ち去ってしまった。後に残された片桐は、ただその後ろ姿を見送っているだけだった。
 渡されたアオイフォーミュラの会社資料を手に。
 自分が願っていたことが現実になろうとは、思いもしなかった片桐だったが、それでも、三日間悩んだ。
 もしも、自分が参加することによって、あの人のマイナスになるようなことになったらどうしようか、とか、自分の腕で、あのマシンの才能を目一杯引き出す事ができるのだろうか、など。
 結局のところ、やれるだけやってみなければ、どうなるかは解らない、という結論に達した。
 そして、今日ここに、着慣れないスーツを着て、アオイのオフィスに乗り込もうとしている自分がいる。
 玄関先でアオイビルを見上げ、大きく息を吐き、緊張をほぐす。
「よし」
 そう心の中で言い、一歩を踏み出す。
 受付でオフィスの場所を聞き、そこへと向かう。
 オフィスのドアの前に立ち、ノックしようとした瞬間、内側から開けられたドア。
「じゃあ、そう言うこって、よろしく頼まぁ」
 ドアの真ん前に立っていた片桐は、そう言いながら部屋から出てきた青年とぶつかってしまった。
「お、ワリィ。何だ、今日子さん、お客さんが来てるぜェ」
 室内に向かってそう言い放ち、ひらひらと手を振って、その青年はさっそうとドアを擦り抜けて、たった今、片桐が来た通路を逆に歩いていった。そして、その青年を見送る片桐に、
「片桐君でしょ?どうぞ入ってください」
 と、声が掛けられる。
「は、はい。失礼します」
 慌てて意識をさっきの青年から、このオフィスに切り替え、返事をする。そして中に入り、勧められるままに応接セットのソファに腰掛ける。
「良く来てくれたわね、片桐君。今日来てくれたのは、この間の返事の事かしら?決心が着いた様ね。それでは結果を聞かせていただこうかしら。どうぞ?」
 優雅な仕草で書類を広げながら、今日子女史は話を切り出した。
「はい。メカニックについての件ですが、喜んで受けさせていただきます。微力ながらも精一杯仕事させてもらいます。よろしくお願いします」
 多少、上ずった声をごまかしながら、ここにくる途中に何度も繰り返したセリフを述べる。
 それを聞いた今日子女史は広げた書類の中から一枚の紙を抜き取って、片桐に向かって差し出した。
「それじゃあ、片桐君。まずこの契約書にサインをしてもらえるかしら?」
 テーブルの上におかれた契約書にしっかりと目を通し、片桐はサインを入れた。
 片桐がサインを入れ終えると、今日子女史は先ほどから広げていた書類をまとめ、三枚のフロッピーと共に、片桐に手渡した。
「片桐君、このフロッピーは、わがチーム、アオイフォーミュラの今までのマシンデータです。あなたが今までしていた仕事とはかなり違ってくると思いますので、しっかりとこれに目を通して、出来るだけ早くアオイのマシンに慣れてください。それと、このフロッピーは決して部外者には見せないでください」
 そして手渡された書類は、ドライバー、すなわち、新条直輝のパーソナルデータだった。
「そんな。こんな始めから、このような重要なデータのフロッピーを俺なんかが見てしまってもいいのでしょうか?」
 まさか返事をした途端にもう、アオイフォーミュラの、しかもマシンに関しての仕事がくるとは思いもしなかった片桐は、慌てて今日子女史に確認を取った。
「そうね。本来なら、絶対にしないことだわ。でも」
 ここで、一度言葉を切り、片桐の顔をじっと見つめる。
「時間が少ないのよ。もう、時間がないの。そうね、もう話してもいいかしら。契約も済ませたことですしね」
 ほんの一瞬だけ、少し悲しそうに眉を寄せ、今日子女史は続けた。
「覚えているかしら?片桐君。私があなたをスカウトにいった時にあなたが私に聞いた言葉を」
 少しの間考え、片桐は口を開いた。
「何故、今頃になって新しくメカニックを雇うのか、ということですか?」
「ええ。そのことよ。本来ならメカニックはワンシーズン、同じメンバーでやるのが普通だわ。でも。私にはやりたいことがあるのよ。それも、今。この時期でなくては、駄目なのよ」
「それでは、アオイフォーミュラのメカニックとして、オーナーにお聞きします。何故、今になってメカニックを変更されたのか、その理由を教えていただけないでしょうか?」
 今日子女史の話すべきか、話すまいかと、少し悩んでいるのを察知した片桐は、質問を重ねた。
 彼女にしてみれば、質問されたことによって話しやすくなったのだろうか、大きく息を付き、口を開いた。
「新チームを作るわ。アオイフォーミュラの。言わば、兄弟チームになるわね。レーサーはもう決めてあるの。貴方も一度見ているわ。もしかすると、個人でご存じかもしれないけれどね。”ブリード・加賀”というのよ。彼は。ほら、ここに入る前に貴方が会った、あの青年よ。(ここで片桐は、ドアの所でぶつかった、オレンジとグリーンに髪を染め分け、後ろに三つ編みを垂らした細い青年のことを思い出していた)見かけは激しいけれど、レーサーとしての腕は確実だわ。そして、今まで新条君のメカニックをしていた人を全員、彼の新チームのほうにまわすわ。だから、貴方を始めとして合計6人の新しい人を集めたのよ。6人には、新条君のチームになってもらうわ。何故なら、新条君のマシンには今、貴方にお渡ししたマシンデータがきちんとあるわ。でも、加賀君のニューマシンには基礎データと、練習走行のデータしかないのよ。それも、加賀君の出したデータじゃないわ。今から全てを始めるのよ。それなら、今まで新条君のマシンデータを集めてきた経験のある人間を使ったほうがより有効にそのデータを生かすことができるはずよ。基本的には新条君のマシンも、加賀君のマシンも同じなのだから。これでご理解いただけたかしら?」
「はい。メカニックに関しては分かりました。もう一つ聞いてもよろしいですか?」
 片桐は机の下で手を握り締め、声に感情を出さないようにして質問を重ねた。
「何かしら?どうぞ、お聞きしますわ」
「何故、今頃新チームなのですか?」
「それも知りたいのね?はっきり言いましょう。これは新条君のためよ。このままでは新条君は、トップレーサーにはなれないわ。あの子はこのサイバーフォーミュラ界にきてから、調子良く来過ぎたわ。そして、自分の才能に溺れているわ。まだ、挫折を知らないのよ。だから…」
「だからといって、わざと挫折感を感じさせるのですか?」
 自分でも、少し感情的になっているな、と感じながらも、片桐は今日子女史に詰め寄るように言葉を重ねる。
「それではあまりにも彼にとって、酷ではないですか?」
 今日子女史も少しうつむき加減になりながら、答えてゆく。
「それでも、よ。ここで新条君がこのまま、行ったとするわ。今年はいいとしても、よ。来年からはきっと、もう通用しなくなるわ。マシンの問題じゃなくて、レーサーとしてね。心に受ける傷は浅いほうがいいのよ。年が経ってから受ける程、その傷は深く、大きくなっていくわ。そして、なかなか立ち直れなくなってしまうのよ。だから、サイバーフォーミュラにきた今年がネックなのよ。もう、今回しかないわ。だから私は、いくらひどいと言われようとも、新チームを作り、そのチームを押していくわ。もう決めたのよ。全ては新条君のためよ。これで納得して戴けたかしら?」
 つまりは、新しく作ったチームに加賀という名のレーサーを雇い、新条は二軍のレーサーになってしまうということである。
 このことを口にするのは今日子自身もかなり辛かったであろうが、全てを話してしまうしかなかった。そうでもしなければ、片桐が納得しなかっただろう。
 しかし、そのことについて、辛く感じたのは今日子だけではなかった。話を聞きながらも、片桐は自分の行動を悔やんでいた。
新条が、アオイのトップレーサーから、二軍のレーサーになるということを聞いてしまった。
 そこで片桐の脳裏をよぎったことがあった。
「何度もすみませんが、このことを彼は、新条さんはご存じなのでしょうか?」
 一瞬の緊張が二人の間を走った。
「いいえ、新条君には何も知らされていないわ。いいえ、知らせないようにしているの」
 そう言って今日子女史は軽くかぶりを振った。そして言葉をつないだ。
「だから、片桐君も、もし近日中に新条君に会ったとしても、声を掛けないで欲しいの。彼には私のほうから知らせますから。それまで一切、新条君には干渉しないで欲しいの。それだけよろしくお願いいたしますわ。それではいろいろ大変な事ではあると思いますけれど、新条君のよいメカニックになってください。では、よろしくお願いしますね。詳しいことはまたFAXで入れますので。今日はどうも有難うございました」
 そう口早にいってしまうと、今日子女史はさっさとその場から立ち去ってしまった。
 彼女がその部屋から出ていってしまうと、片桐は大きく溜め息を着き、渡された書類を鞄にしまうと、立ち上がり、ビルを後にした。何とも言えない、後味の悪さだけが残っていた。
 そうして家に帰り着くと、ベッドに横たわり、天井をぼんやりと見ていると、脳裏に赤いマシンが走っていくのが浮かんできた。
 新条直輝の操る、スペリオンである。雨の日に見つめていた、あの目の離すことのできなかったマシン。
 そのまま片桐は視線を机の上におかれた鞄にやり、しばらく見つめていたが、ふと起き上がると、中からフロッピーと、データを取り出した。そしてそのまま机に向かって、コンピュータにフロッピーを差し込み、データを呼び出す。次々と送られてゆくデータを読みながら、その内容に驚いていた。
片桐が考えていたよりもはるかに豊富な情報が、そのデータの中には入っていた。テスト走行から、ついこの間行われた第6戦のデータまで、あらゆるもの全てが入っていたのだ。
様々なパターンで対応できるように、どんな些細なことでも、コンピュータは記録していた。
 それから、片桐は暇さえあれば、コンピュータに向かい、新条のデータを整理し、それにより、マシンの特徴、癖、性能を把握するまでになった。
 そうこうしているうちに、今日子女史からのFAXが入り、片桐以外のメカニックも決定したので、明日、急ではあるけれど、顔合わせをするのでオフィスに来るように。と書かれていた。
 相変わらずアオイビルの前にくるとどうしても緊張してしまう片桐ではあるが、ここに入らなければ仕事にはならないので、溜め息を吐きつつ入っていった。
 オフィスにはもう他のメンバーは揃っていた。
「さて、全員揃ったようですし、話を始めましょうか」
 ソファから立ち上がりながら今日子女史は話を切り出した。
「皆さんには初めにお話したように、今度、アオイフォーミュラで新チームを作ることになりました。そのことに従い、今までのメカニックは全て新チームに移動させることにしました。そこで、新条君のチームの新しいメカニックとして貴方たちに集まっていただいたわけです。ああ、新チームの名前はアオイZIPとしました。このチームは第7戦からレースに出場します。そこで、貴方たちも第7戦から、新条君のチームにはいることとなります。一軍とか二軍とかは全く関係ありません。言わば第7戦が、アオイフォーミュラグループの力の見せ所となるわけです。できれば、ワンツーフィニッシュを取りたいわね。特に片桐君、いきなりのチーフメカニックで大変だと思いますけれど、これからの新条君のことをしっかりと支えていってください。では、よろしくお願いしますわ、皆様方」
 にっこりと今日子女史は微笑みながら、そう締めくくった。
 やっとあのマシンのそばで、あの人のそばで仕事ができる。そう思うと自然と片桐の心にはスペリオンがフィニッシュを決める姿が思い出されていた。
 そして、待ちに待った第7戦の開催日、アオイフォーミュラのピットで、片桐は初めて、”新条直輝”と顔を合わせた。
「始めまして、新条さん」

END

管理人より

 冒頭9行は1986年リリース作詞/西門加里、作曲/小室哲哉・木根尚登、編曲/小室哲哉、TMネットワーク『雨に誓って〜SAINT RAIN〜』からの引用です。

 いやもうほんまこのヘタレ王子のために周囲がどんだけのことをしてると思っていやがりますかそこへ直れ直輝。と、いつも思いながらもこう、応援してしまうんですよ…そら今日子さんも『ばかぁ…』とか言いたくならない方が不思議。ラスト立ち直ったかと思ったらダブルワンでシューマッハインパクトで、でもここは何とか持ちこたえたぞ、みきちゃんともいいカンジだぞ、と思っていたらZEROでの暴言。勝て勝て言われてプレッシャーの中云々、てめぇだけだと思うなよ直輝。と思った直後に加賀が言いたいことゆーてくれて大満足なオノレは所詮加賀フリーク。もうほんまワタクシの愛しの今日子さんをどんだけ泣かせたら気ぃすむんじゃ直輝。ワタクシの可愛いみきちゃんをどんだけ怒らせて泣かせたら気ぃすむんじゃ直輝。<ワタクシのCF界2大女神なので文句も多い。って、これは片桐のSSです。ワタクシ周囲の通称、ギーリ。あるいはまこちゃん。登場した時から異常に騒いでいる方がいらして、レイヤーさんの鬼畜な片桐も見られたり(手を…上げてください、新条さん…顔は上げるなァ!っつーやつ大好き。土下座している人に是非使ってみてね☆)したものの、本としては数が少なかった印象。片桐×加賀描いてイロモノと言われた当初、後年加賀受界においてはそれがメジャーなどと知る由もなかった…。って、片桐。片桐が好きな人は周りに多くて、でも本が少ないので書いてくれ。二軍落ちあたりは加賀込みで描きたいところだから、本が作れたらいいな。ギーリ書いてくれると嬉しいな。今日子さんが可愛いと嬉しいな。いろんな注文を出しつつねだった記憶が今、蘇る作品でございます。片桐は冷静に今、自分がすることは何か、というのを感情はひとまずおいておいて…と若くしてはなかなか出来ぬことをやってくれる人だと思います。流石チーフの器だ。見抜いた今日子さんも流石だ。旦那にするなら片桐、という言葉も頷ける。