「 プライド 」

風花 彩

それは明日予選を控えテスト走行を終えた、カール・リヒター・フォン・ランドルが自分のトランスポーターに帰ろうとしていた時だった。
明るい午後の日差しの中、たったひとりスタンドの上の手摺りからサーキット場を見下ろしている男の姿を見つけた。
「ナイト・シューマッハ・・・」
まだ、サーキット場では、菅生チームやアオイチームなどたくさんのマシンがそれぞれのセッティングをしている。
サーキットのアマデウスと呼ばれる天才ランドルが、レースセッティングをする為のテストランが、非常に短いのはCF関係者の中でも有名な話だが、今回参戦したアオイZIPレーシングのナイト・シューマッハは、それを上回っているという話はランドルの耳にも届いている。
天才の名を欲しいままにし、自分以上の人間が現れることはないだろうと、公言して憚らないランドルは、サーキット場を見下ろすシューマッハなど無視しようとしたが、それ以上にひきつけられるものを感じて、何故か立ち去ることも出来なかった。
じっとサーキット場を、マシンを見入っている人間は、長いことあきることなくそうしている。
けれどそういう何気ない様子の中で、ランドルがそこに立つ一人の人間の緊張感・・・まるでぎりぎりにまで追いつめられた獣のような、限界という糸をさらに引き絞ったような、痛みに似た慄然さを感じる。
自分を予選落ちにした卑劣な行為をしたシューマッハの自信に満ちた、その奥に潜む狡猾な・・・ものしか知らない、ランドルには、酷く不自然のようなものを覚えた。
あの男はこんな雰囲気を持っていただろうか。
ランドルにとってレーサーの風上にもおけない憎むべき存在であったのに、このはりつめた雰囲気は何なのだろう。
不意に、その男は手摺りに手をおいてうつむくと、以前怪我をした際に残った傷を晒したくないという理由で、いつも顔半分を隠すようにしている黒のゴーグルを少し外しながら、目元に手をやる。
横顔を見ていたランドルには、ナイト・シューマッハの素顔を見てしまったわけになるのだが、ランドルの見た範囲では、その優美といってもさしつかえないノーブルな顔立ちのどこにも、そんな傷などない。遠目で見た素顔は、唇をかんで何かしらの痛みをこらえた様子の他には、意外なほど、卑劣な真似を平気でするような、上流社会でいう品性のない狡猾な雰囲気などなかったのだ。
「シューマッハ」
常にゴーグルの下に隠された素顔は、胡散臭いと思っていたが、それでも見てはいけないものを見たようで、ランドルはこれ以上立ち止まってはいけないのだと思う。
誰よりも高貴な人間と自負するところの自分がすることでは、決してない。
それでもひきよせられたように動くことができない。
いつもゴーグルに隠された顔の素顔は、今片方の手でゴーグルを外されても、すぐにもう片手で隠されてしまう。

疲れているのか、覆われた両目を軽く擦っていたナイト・シューマッハは、突然、左の方を・・・・・つまりランドルの方を向いた。
互いに息を飲む。一瞬の驚きと躊躇い。
シューマッハはランドルの存在など無視して、何もなかったように、ゴーグルをつける。そして手摺りに手を置いたまま、にやりと・・・今までひとりでいた人間とは同一人物とは思えないほどの傲慢な笑いを見せた。
「そこに立つ金髪の坊やは、誰だね」
第一声は、いつもCF関係者からも一線ひかれるような、高飛車な態度である。
「ナイト・シューマッハ」
さすがに、狼狽えるなどはランドル家の人間の誇りが許さない。坊やと呼ばれた悔しさと躊躇いを隠し切って答えた。
今さっきまでとは違う・・・いつもの雰囲気だ。この人間はどちらが本当なのだ。
「覗きが趣味だとは、さすがヨーロッパに名だたるランドル家の坊ちゃんだが」
手摺りに沿ってさりげなく歩いているナイト・シューマッハ。素顔を隠すゴーグルの奥は何を考えているかわからない。
その言葉にランドルは言葉を休する。すっと怒りと恥辱の為に顔に朱がのぼるが、答えようもなかった。
「でも、よほど後ろめたいことをやっているのか、負ってない傷を理由に、素顔を隠して覆面レーサーをやる貴方の厚顔ぶりには負けますがね」
傲慢に笑ってランドルの横をすり抜けるシューマッハに、皮肉を負けおしみ半分でランドルは言う。
その瞬間、シューマッハの足取りが止まった。
「噂ではそのゴーグル、レースの事故で残った傷を隠すものと伺っておりますけれど。貴方もレーサーならレースを冒涜する真似など・・・・・ましてやレースで残った傷などという嘘はやめて、ゴーグルを外してみればいかがです。ナイト・シューマッハ」
「自分を偽る人間は自分をも信用してない、そういう人間と我が名家ランドルの人間とはつきあわないことにしてます」
互いに背を向けた二人の人間。それは目に見えない火花が散る。
「私も、私に劣るレーサーとは話をしない主義だ」
「何っ!」
その侮蔑の言葉には、さすがに自分の感情を顕にしないことを常と躾られたランドルの怒りが爆発した。
通り過ぎて後にいるシューマッハを追って、ランドルはシューマッハの前にやってくる。
「シューマッハッ!」
ぐっと、ナイト・シューマッハを睨みつけると、そのままゴーグルを引きちぎるように奪う。
「私は、貴方には絶対負けはしない。必ず勝つっ!その時は公衆の面前で必ず、こうして・・・・・はっ!」
ランドルは急に言葉を失う。
「貴方は・・・・まさか」
ナイト・シューマッハの目の焦点があってはいない。突然の太陽の日差しに顔をしかめて・・・・違う、苦痛に顔をゆがめているのだ。
「貴方は、まさか目が・・・」
ゴーグルを奪われて後退ると、手摺りを沿うように伸ばされた手が空に浮く。それは一瞬のことだったけれど、ランドルは見逃すはすがなかった。
そういえば、さっき出会った時の言葉も、自分の名を呼ばなかった。そしてあのひとりでいる時も目をいたわっていた。今も、瞬間であったけれど手摺りをなくしての途惑い・・・何より、こんなに近くにいるのに、視線が、その目の焦点があっていないっ!
「ナイト・シューマッハ。貴方はまさか目が見えて・・・見えていないのでは」
ランドルは驚きを隠しきれないように呟きながらも、現実と事実のどれが本当の感情なのかも理解できない。
ランドルの言葉に、さすがのシューマッハにも動揺の色が走った。けれど、それは一瞬で苦痛とも怒りともつかぬ色に変わり・・・次の瞬間にはそのどれでもない、はっきりとした意志のある顔になった。
「ランドル」
目を閉じて、ナイト・シューマッハは名を呼ぶ。
「私は、お前には負けない」
「えっ」
そして、ゆっくりとランドルに視線を向けた。その瞳に映っているのはランドルなのだが、それが自分の姿を伝えているかは別なのだ。しかし、その奥に宿る闘志、レーサーとして戦う男の闘志に満ち満ちていた。
普通の人間ならば考えられないほどの意志の力は、決して悲痛な、悲壮感などない。
不思議なほど揺るぎなく、シューマッハは続ける。
「私は、このレースにすべてを賭けている。何もかも、だ。だが・・・カール・リヒター・フォン・ランドル、お前は自分の誇り、プライド以外の何を賭けている」
「えっ」
この男は、一体何を言おうとしている。自分がレーサーとして致命的な視力が落ちていることを知られて、どうしてそんなに落ち着いていられるのだ。
「私は去年の最終戦のレースも観たが、お前は自分のプライド以外の何をレースに賭けた?」
「・・・・・・・ッ!」
深みのある低く語る言葉に、絶句する。
口元を歪めて笑うと、その手をランドルの肩に乗せた。
孤高の、ありとあらゆるものの中でただ独りの存在だある、誇り高い男の圧倒的な精神力に、ランドルは今まで感じたことのないような戦慄を覚えた。
込められた指の力は、恐怖すら感じる。
「私は、私のすべてを・・・「私という存在」すべてをこのレースに賭けている。だから、自分自身のプライドしか賭けられない君に、私は負けはしない。ランドル・・・君は私に勝てはしない」
「シューマッハ」
「勝てるかね。この私に・・・「超音速の騎士」という名は伊達ではないのだよ」
自分の肩に乗せられた手の持つ強烈な闘志に、ランドルは緑の瞳を見張ったまま、肩の震えを止めることも流れる冷や汗を拭うことも出来ない。
この男は強い・・・・・・ハヤトとはまるで違う。底冷えのするような・・・・・・人間として、常に戦うものの圧倒的な強さを持っている。
「返して貰おう、私のゴーグルを」
手を伸ばして受け取るように広げる。ランドルはようやく我に返って、ナイト・シューマッハから奪った黒のゴーグルを渡す。
それをゆっくりとつけると、もう一度あの不敵な笑みを浮かべて、ランドルの肩をポンポンと叩きながら、再びゆっくりと歩き始めた。
少しずつ遠ざかる足音を聞きながら、ランドルはぐっと拳を握りしめる。
今、何か言わなければ・・・・今、今っ!
今言わなければ自分は一生この男に勝てない、そんな焦燥が突き上げて来る。自分は正々堂々とこの男に勝ちたいと思う。たとえ、視力が低下していても・・・何故暴言紛いのことを自分たちに浴びせつけ、孤高に戦うスタンスを崩さないのか、その、どの理由も理解出来るような気がしたのだ。
だからこそ・・・・今、言わなければ負けてしまうのだ。
突然、弾かれたようにランドルは振り返る。
「シューマッハッ!」
は・・・っと、自分でも驚くほど大きな、叫び声だった。
シューマッハは立ち止まり、少しだけ顔を、残されたランドルの方に向ける。
「わたし・・・は、私は必ず、必ず貴方に勝って見せるっ!」
大きな緑の瞳から、生まれて初めて理解出来ない熱いものが伝った。
この熱い涙が何に対してのものなのか、同情でないことは確かなのに、それが何故なのか・・・怒りなのか、憤りなのか、悔しさなのか、痛みなのか・・・・・・そのどれもであり、そのどれでもなかった。
サーキットのアマデウスと呼ばれ、一流のレーサーと自他共に認められる人間の、けれどまだ風見ハヤトと同じ15歳の少年の叫び声を、じっとシューマッハは聞いていたが、その言葉に静かに答えた。
「私のプライドは、常に戦う者の・・・「レーサー」であることすべてだ。それで挑んで来るなら、いつでも相手になってやろう」
その時ふっと、シューマッハに今まで見たこともないような優しい笑みが過ったが、それ以上の言葉もなく、また二度と振り返ることもなかった。

END

管理人より

 ランドルのプライドの脆い部分については、本編でもシューマッハの目のことは知らず、あくまでハヤトをライバルとして戦ってきた中での初めての挫折、という形で描かれておりました。身を持って知った挫折、というよりは単なる挫折感、といった印象が強く、それだけに立ち直りも早いように思えたのは話の展開上、仕方のないことかもしれません。ですが、挫折感を味わった後に立ち直り、その時の精神状態でこういうエピソードを見せてもらいたかったというのがあります。貴族としての誇りを身を持って実践して示してきたであろうランドルといえど若干15歳。天才ゆえに戦う相手がおらず、ハヤトというライバルは見つけたけれども、それ以上の存在を見せつけられた、というところでの、彼の「挑む者としての矜持」というものを見たかったものですから、このエピソードの続きが気になっていたりも。