「 帝王 」

風花 彩

「まて、シューマッハ」
新条直輝は、アオイZIPレーシングのトランスポーターから出てきたナイト・シューマッハを呼び止めた。
決勝戦。クルーは既にピットに詰め辺りには誰もいない。
新条の声に、ドライバーズミーティングに向かおうとしていたシューマッハは、立ち止まり振り返る。
「どうしたのかね。新条。オーナーの言葉に従って、チームオーダーを出すことにしたのか」
ゴーグルの下に隠れて、表情はほとんど読めないが、その痛烈な皮肉と辛辣な声に、青年は怯んだ。
アオイフォーミュラとアオイZIPレーシングのオーナーである、葵今日子は、最終戦に臨んで突然チームオーダーを提示してきたのだった。
『最終戦は、アオイフォーミュラの新条直輝を優先します』
彼女の言葉に、新条は驚き怒りを覚えたものの、その理由が、何故か『貴方の目・・・気が付かないと思って』」というシューマッハへの謎めいたものであったのだ。
「いいえ、俺はずっと貴方を目標にしてきたんです。ナイト・シューマッハ。だから・・・オーナーにあんな真似されて勝ちたくはありません。ただ・・・」
「ただ・・・?」
「オーナーが言っていた貴方の目、です」
シューマッハは口元を歪めて低く笑った。
「それが?」
ZIPのトランスポーターに凭れるようにして、軽く腕を組む。そうすると身長差が殆どなくなり、むしろ、シューマッハがトランスポーターの影から見上げるような形になる。
男には常に一人で戦うものの精悍な独特の雰囲気があるが、その圧倒するような印象的な態度に、新条直輝は、一瞬言葉を躊躇ってしまう。
「あな・・・貴方の視力・・・悪いのですか」
最初は、小さな声で呟くようだった。しかし、ぐっと拳を握りしめるとシューマッハを見て、意を決したように叫んだ。
「あのオーナーが、現在トップの貴方を第二ドライバーにするわけなどない。もしかして・・・もしかしてっ!貴方はレースが出来ないほど、視力に障害があるのですかっ!」
その瞬間、空気が凍る。
青年は、新条直輝は確かに・・・そう感じた。
けれどそれは間違いだと気付く。ただ目の前で腕組をして辛辣に笑っていた人間が、冷然とした態度に変わったのだ。
ぎりりっと、シューマッハの歯が鳴る。
青年の背筋に激しい戦慄が、駆け抜ける。
シューマッハは、酷薄なほどの凄絶な笑みを浮かべて茶色に近い髪の毛をかきあげる仕種をする。そして、ゆっくりと、常に顔の半分を隠してしまうゴーグルを外した。
「私の・・・?」
新条直輝の目に映ったものは、かつてレース事故で顔に傷を残している・・・・・とゴーグルをつけた原因である傷などはどこにもない、とてもノーブルなラインの綺麗な顔であった。その瞳には挑戦者の輝きとはまるで違う、絶対者の『帝王』の色が漂っている。
けれど、息を飲んだ新条が受けた衝撃は、はかり知れない。その酷薄なまでに強い瞳を持つ人間が・・・菅生修、F1レーサーとして憧れ目標としていた菅生修であったからだ。
「その様子では・・・どうやら、私の顔を知っているようだな」
絶句して、言葉にならない。声を出そうにもかすれてしまうのだ。咽喉が乾いて、音にならないもどかしさに駆られる。
指に力を入れて、衝撃に力の抜けた身体を全力で律した。
「菅生修。やはり貴方が・・・シューマッハでしたか」
新条直輝は、フォーミュラ1にいた彼の存在に憧れ続けて、少しでも彼に追い着きたかった。どれほどそれを夢に見ていたことか。何度も何度もビデオチェックもした。実際にレースも観に行った。そんな神に等しい存在の走りと、ナイト・シューマッハとの走りが、似ていることを知ったのはいつの頃からだろうか。
完璧なレース展開。真に『帝王の走り』。
「私は、この場所でやり残して来たことがあるのだよ。新条直輝。とはいっても・・・所詮、サイバーフォーミュラはサイバーシステムの優劣が決める戦いだとはいえ、同じチームである以上、たとえドライバーの優劣があろうとも、オーダーには従わなくてはならないのが現実だろう」
同じサイバーシステムであろうと、チームオーダーがあれば劣ったドライバーに譲らなくてはならない。最高のレーサーであり帝王と呼ばれた男は冷徹な言葉を言う。
その言葉は、青年の意識を鋭く抉る。
「俺が・・・俺が貴方にそんなこと言うと、レーサーである俺がそんなこと言えると思っているのですかっ!」
さっと顔に血が上って、新条は叫んだ。
「追従すら許さない『帝王』と呼ばれる走りに、俺がっ!」
だが、そう言いかけて唇を噛む。
『言えるわけがない』。しかし、それ以上言ってしまうことは・・・憧れ続けたドライバーには言える言葉であったとしても、同じラインに立ち、同じサーキットで戦う人間には到底言えることではなかった。このサイバーフォーミュラで戦うレーサーとして、絶対に言ってはならない、言ってしまえば自らの負けを認めたと同然なのだ。
その時、ふっとナイト・シューマッハこと菅生修の手が伸びて、新条直輝の胸元を掴み引き寄せた。
「私は構いはしないよ。オーダーを出されようが出されまいが・・・ね」
唇が触れそうなほど近づいて、じっと新条の顔を見る。
新条直輝は引き寄せられた一瞬の途惑いが、男の挑発する辛辣な声によって明らかな敵意に・・・・挑戦者の目に変わる。
「貴方には、絶対に負けませんっ!」
「俺は、菅生修の走りに憧れ続けていました。貴方の『帝王』の走りに・・・でも、このサイバーフォーミュラでは貴方に負けるわけにはいかない。ここは俺の掴んだ夢の場所です。ここで走る為には、貴方に負けるわけには・・・・・・いかないんですっ!」
激情をあらわに新条は語る。それは菅生修に対するというよりも、すべてのライバルに対するものであり、レーサーとしてのプライドと激しい闘志、叫びながらも、どこか自分に対して言い聞かせるような響きがあった。
『あの子のプライドは脆いのよ』という、アオイフォーミュラのオーナーの言葉を、青年を見遣りながら思い出す。
「今の私に、君がかなうとは到底思えないが」
皮肉を込めて囁く。
「ずっとスタンダードフォーミュラでは菅生修と戦うことを、サイバーフォーミュラに移ってからはナイト・シューマッハ、貴方に勝つことをずっと考えていました」
「ならば・・・・・新条直輝。私がフォーミュラで走るのは今年が最後だ。チャンスは一度きりしかないが、ただ一度の戦いに勝利するも、レーサーとしての実力だろう」
菅生修がフォーミュラは最後だと言った本当の意味も、辛辣な言葉に隠されて、新条直輝には真実は見えない。
そんな一途に挑みかかる青年の様子を眺めていた男の口元に、初めて淡いものが浮かんだ。それを認めながら、新条は菅生修の唇が血に濡れていることを・・・そして自分の口の中も、血の味がしていることに気付いた。
「血が・・・ついて、いるな」
その互いの息を重ねるようにして、菅生修は、ゆっくりと青年の唇に触れる。新条は大きく目を見開いたけれど、重ねられた唇に自然と応じた。朱の痛みに濡れた唇の中に、菅生修の激しい意志と淡い沈黙の両方に引かれるように。
青年は自分が男と口付けをしているのは理解したが、不快感よりも先に、同じ場所で戦う者の戦意だけが感じられて、互いの血の味だけ口の中に広がっていった。
やがて・・・朱色の糸を残しながら、二人は離れる。
トランスポーターに凭れていた菅生修・・・ナイト・シューマッハは起き上がった。
「俺は・・・っ!」
突然、我に返った青年は、仕出かしたことに思わず後退る。
苦いキスを交わした事実は、新条に沈黙を要求していると同じことだった。いや・・・・・・必要ないことだと告げている。
そして今度こそシューマッハは、いつも口元に漂わせている例の強い笑みを見せた。
「新条直輝。覚えておこう・・・私より、強いレーサーになるというのであればな」
「覚えて、おこう」
それは、さながら宣戦布告のようだった。だが、その言葉に青年は、決して怯まずに真摯な目で答えた。
「覚えておいてください。俺は必ず貴方の場所に来ます」
『帝王』の絶対的な笑みの奥に、『帝王』の孤独と絶望をこの時、まだ新条直輝は知らない。しかし、青年もまた自分の中にある、この絶対的な『偶像』を壊さなくてはならないことを悟っている。
あくまでも戦う。そして・・・勝つ。
それがレーサーであり、『男』なのだ。互いに口の中に残る血の苦さが、そう語っている。
シューマッハは戦うべき場所へと歩き始めた。
それを見送りながら、新条直輝はシューマッハが視力に障害を持っている可能性に対して、肯定も否定もすることをやめようと決意する。
菅生修は、ナイト・シューマッハは・・・・・・最後の最後まで、いかなることがあったとしても『帝王』の走りを続ける。
だからこそ『帝王』と呼ばれるのであるし、だからこそ打ち勝たなくてはならない。それ以上のことは必要ないではないか。それがたとえ、シューマッハがいうところの『甘さ』であるとしても。自分が納得いかない勝ち方をするよりはよっぽどましではないか。
「それでも、再び貴方と合間見えるこの幸運を・・・・・・」
アオイZIPレーシングのスネーク&タガーというユニフォームが闇に消えていく。
フォーミュラ界の『帝王』の姿を。

「これでは余程、私の方が甘いな」
ミーティングルームに向かいながらふと立ち止まって呟く。
まだ血の味が残っている。一途で、ひどく苦いものが。
「『帝王』。私こそメッキの剥げたチャンピオンなのかも知れないというのに・・・あんな一途な目で挑んでくるとは」
くしゃりと髪をかきあげて、澄みきった青空を仰いだ。
けれどその視界に映るのはぼんやりとした闇ばかり。太陽の輝きなど分かるはずもない・・・視力障害に蝕まれている。
不意に、薄暗い闇の中でアオイフォーミュラのオーナーである女性の言葉を思い出した。
『私は、新条直輝をいうレーサーが大事なのよ。おわかりかしら、菅生修さん・・・いえ、ナイト・シューマッハ』
その記憶は、葵今日子を契約を交わした時のものだ。
『今年のマシンはいい出来だわ。決してスゴウやユニオンセイバーにも劣らない。でも問題は新条くん自身・・・・・・彼はいいレーサーだけど、まだまだ甘いわ。強くなったけれど、自分がナンバーワンになる為の自我と、プライドが、アンバランスで脆い』
『だから、貴方に来てもらったの。私はあの子の為にならなんでも利用するわ。シューマッハ、貴方の走りは私の目から見ても最高の・・・二十代の貴方が『帝王の走り』と呼ばれたのも頷ける。そして、新条君も心酔していたほどにね』
『貴方にはアオイの為に、貴方の走りでトップを狙ってもらいます。でも同時に新条君の為にも走ってもらわなくては。新条君の持つ貴方という『帝王』の『偶像』を壊す為にも、貴方には完璧な走りで走ってもらいます』
『なるほど、すべては新条直輝というレーサーを育てる為の、私は捨てゴマということですね。なら私も走りやすい・・・・利害が一致しているということなら。但し、私も容赦はしない。この私を選んだということが、貴女の新条を潰すことにもなりかねない・・・その覚悟はおありかな』
『覚悟はしていますわ。ナイト・シューマッハ。でも新条は絶対に、潰されたりはしないでしょう』
『ただ、個人的には私貴方の走りが一番好きですわ。他の追従を許さない圧倒的な強さ「帝王」の強い走り。こんな走り方、新条直輝にも風見の坊やにも加賀君にも、誰にも出来ない。決して捨てゴマ扱い出来るような走りではない・・・私は貴方の走りには、最高の敬意を払うつもりでいますわ』
『それは・・・光栄です』
シューマッハが答えると、真紅の薔薇のような女性は艶然と笑った。

『帝王』の走り。
誰が、そう呼んだのかは分からないが・・・私は、最後の最後まで、『帝王』の名にふさわしい走りを、残される者に見せられるだろうか。
私は、最後まで私の走りが出来るだろうか。
この果てしない苦痛と、暗い闇の世界の中で。

END

管理人より

 ワタクシ的には、直輝はやおい描写に限らずヘタレ攻でございますが、こんなに格好良い修になら・・・っ。それはともかく。本編での今日子と修のやり取り、今日子の直輝への愛情、といったものにヤられっぱなしだった今日子フリークなワタクシ。クレアのような理解者でもなく、あすかのように身内でもない。雇用関係しかないふたりだと思いますが、何とはなしに漂う雰囲気が好きです。今日子はオーナーとしての立場しか知りませんが、修もシリーズが進んでからは監督としての業務に就きますから、今日子とは身を置くチームは違っていても、同志として馴れ合いではない共感を持ち合う相手ではないでしょうか。
 がむしゃらに真っ直ぐで、全力で空回り、というのが直輝に対する印象ですが、それを好ましい一途さとして書かれていたので嬉しかったです。ぎりぎりで矜持を保ったあたりも、嬉しい。憧れる存在が戦う存在になってなお、直輝の目標であり変わらず憧れであり続けている修の凄さ、強さといったものが、好きです。これで彩さんからの強奪原稿は終わりでございます。他のお話も読みたいところ。