義経を訪ねて
                           〜腰越状〜

 一の谷、屋島、壇ノ浦と華々しい戦勝の後、鎌倉に帰ってきた義経主従を待ち受けていたのは、思いもかけない頼朝の怒りであった。

鎌倉を目前にしながら、近づく事を許されなかった義経の無念を偲びながら、腰越を歩いてきました。
 江ノ電「腰越駅」

鎌倉から西へ6Km、江ノ電で20分の地に腰越がある。
鎌倉入りを拒否された義経主従はここに逗留し、頼朝の沙汰を待った。

  駅と同じ模様のラッピング電車
  満福寺

(腰越駅から徒歩3分)

電車の中から沢山ののぼりが見えたので、何かと思ったら、それが満福寺でした。
やや高台にあるので、当時は湘南の海が綺麗に見渡せたと思います。
毎日海を見ながら、義経は何を考えたのでしょう。

 

本堂正面の上部に、義経が口伝し、弁慶が腰越状をしたためているレリーフがあります。
  弁慶の手玉石

弁慶がこれをお手玉にしたと云うのでしょうか?
けっこう大きくて、重そうな石です。

弁慶に関しては豪快な逸話が多いのですが、これもその一つです。
本堂入り口の横にあります。
  弁慶の腰掛石

本堂入り口に手玉石と並んであります。
弁慶はこの石に腰掛けて鎌倉からの沙汰を待っていたのでしょう。
待っても待っても来ない鎌倉からの沙汰を、どんな思いで待ちわびたのでしょうか?
  硯の池

弁慶が筆を取るのに水を汲んだとされる硯の池。
当時は、本堂裏山から清水が流れていたのでしょう。
覗いてみましたが、池というより溝みたいでした。

  腰越状

兄頼朝の勘気を解くために送った嘆願状、それが世に言う「腰越状」である。
弁慶が血涙をしぼって草稿を練りあげたとされる。
しかし、義経主従の最後の願いも空しく、思いは鎌倉に届かなかったのです。

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