和 暦
西 暦
事   項
孝安天皇 御代28年   孝安天皇、神社を造営し筑摩三所天神と称される。(筑摩神社社記 以下社記という)
継体天皇     継体天皇、越前から皇都へ御遷幸のみぎり、神殿・楼閣を再興される。(社記)
天応 元 781年   桓武天皇の御代、筑摩御厨開設される。(社記)この地を富永16、7、8条の庄と称し、御厨のご領地と定められる。(湯谷神社社記)
延暦 19 800年   筑摩御厨長大膳職から内膳司に改められる。(太政官符)
承和 8 841年   筑摩神社・今江寺・法善寺・薗華寺・本願寺・護寧寺・歓喜光寺、奈良興福寺の支所となる。(社記)
仁寿 2 852年   近江国筑摩神従五位下を授けられる。(文徳実録)
元慶 7 883年   筑摩御厨など贄人「腰文幡」の定員外交付禁止される。(太政官符)
寛平 5 893年   筑摩神勲六等を賜る。(江陽神階紀)
延長 5 927年   「延喜式」(平安初期の律令の施行細則)撰進される。
平安時代中期 951年 「伊勢物語」第2次成立(近江なるつくまの祭り・・・)
康保 4 967年   「延喜式」施行され、筑摩御厨の貢進品目定められる。
天延 2 974年   筑摩神従五位上に転位される。(江陽神階紀)
長徳 元 995年   筑摩御厨長息長光保、明年任期満了との勅命を受ける。(権記)
長保 2 1000年   筑摩御厨長に物部永邦を補任する太政官符を作成させる云々とあり(権記)
長保 4 1002年   筑摩御厨長浅井当宗、任期満了のため、物部永邦を任命云々とあり(権記)
延久 2 1070年   筑摩御厨廃止され、以後金剛勝院の領地となる。(湯谷神社社記)
応徳 3 1086年   「後拾遺和歌集」編纂される。(おぼつかなつくまの神の・・・)
永久 3 1115年   「俊頼髄脳」著される。(近江つくまの明神と申す神おわします・・・)
平安時代末     「堤中納言物語」編集される。(つくまの祭りに重ぬる近江鍋・・・)
建久 2 1191年   源朝臣(頼朝)筑摩神社を再興なさしめ、併せ伊勢国丹生郷12ヶ庄を寄進される。(社記)
正治 元 1199年   後鳥羽院筑摩の社へご参詣ありて浅井郡田河庄を寄進せらる。(社記)
寛元 3 1245年   後嵯峨院勅願によりて、筑摩神社に正一位勲六等の神階贈り給う。なおまた重ねて興福寺別当僧正に称命せられ社頭ご再興される。(社記)
正応 4 1291年   南都興福寺派下近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図描かれる。
建武 元 1334年   源朝臣(尊氏)筑摩神社社領安堵状を出す。(社記)
至徳 2 1385年   建武大乱により筑摩神社炎上、京極秀綱(伊吹太平城主)新たに宮殿造営す。(社記)
嘉吉 元 1441年   筑摩神社は今江寺と一体化しているとの記述あり(興福寺末派寺社疎記)
応仁 元 1467年   戦火により筑摩神社焼失(社記)
文明 6 1474年   南都興福寺派下近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図模写される。(2回目)
明応 2 1493年   興福寺官務重ねて筑摩神社再興す。(社記)
文亀 元 1501年   筑摩神祭行列図描かれる。
永正 6 1509年   戦火により筑摩神社灰燼に帰す。(社記)
永禄 7 1564年   筑摩明神氏子ら北三郡を勧進して神社再建。(社記)
永禄 10 1567年   春日若宮神主中臣秀国「筑摩大神之紀」を記す。
元亀 3 1572年   富永庄17,8条領家方の土地とともに「筑摩衆」の支配が浅井長政から小法師丸に与えられる。(嶋記録)
天正 9 1581年   興福寺官符衆徒三河懐義「筑摩大神之紀」模写す。(2回目)
承応 2 1653年   筑摩神祭列図模写される。南都興福寺派下近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図模写される。(3回目)
延享 2 1745年   筑摩明神に石の大鳥居立始む(梅香原村草川津右衛門記)
明和 5 1768年   神輿再興される。
寛政 2 1790年   筑摩明神脇殿再建される。
寛政 12 1800年   神輿新装される。
文化 3 1806年   「諸国図絵年中行事大成」著される。(鍋冠祭載録)
文化 9 1812年   「人孝奇談賛実録」著される。(鍋冠祭載録)
文化 10 1813年   平群広雄「筑摩大神之紀」模写す。(3回目)
文化 11 1814年   筑摩明神拝殿寄進される。
文化 12 1815年   南都興福寺派下近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図模写される。(4回目)
明治初年     神社名登録の際、誤って都久麻神社と記載、以後公式称号となる。
明治 7 1874年   有信社組織される。
明治 16 1883年   都久麻神社郷社となる。
明治 22 1889年   富岡鉄斎筑摩を訪れる。
明治 23 1890年   神社明細帳訂正願提出するが、却下。
明治 29 1896年   富岡鉄斎筑摩を訪れる。
明治 30 1897年   都久麻神社神楽殿建立される。
明治 31 1898年   富岡鉄斎筑摩を訪れる。
明治 41 1908年   富岡鉄斎筑摩を訪れる。
明治 43 1910年   有信社改め、筑摩青年有信会組織される。
明治 45 1912年   都久麻神社大鳥居脇に制札場建てられる。
明治末年     稲荷神社(今江鎮座)同一神につき、都久麻神社に合祀する。
大正 元 1912年   筑摩青年有信会、筑摩青年会に改組される。
大正 4 1915年   都久摩神社、県社に昇格。同年筑摩神社に社名復する。
大正 9 1920年   筑摩神社本殿屋根ふき替えされる。
大正 12 1923年   米原町朝妻筑摩となる。
昭和 35 1960年   神輿、湖中渡御中止される。
昭和 56 1981年   鍋冠祭、米原町指定無形民俗文化財となる。
平成 3 1991年   前年台風19号により筑摩神社脇殿倒壊、翌年再建される。
平成 4 1992年   下水道工事に伴い、筑摩神社大鳥居東寄りに移転する。
平成 7 1995年   筑摩神社本殿屋根ふき替えされる。
平成 9 1997年   筑摩神社社務所改築される。列太鼓米原町有形民俗文化財に指定される。
平成 11 1999年   前年筑摩神社脇殿焼失、翌11年再建される。
平成 13 2001年   曳山渡御中止される。宮世話組織改められる。