「伊勢物語」に詠まれた筑摩の祭りは、平安貴族にも広く知られていたことがわかる。この筑摩祭りは現在鍋冠祭と呼ばれ、筑摩神社の春の祭礼として毎年5月3日に行われている。
   
   祭りの由来については諸説があるが、中心となる鍋冠りについて筑摩神社に伝わる「筑摩大神之紀」によれば「鍋冠りは十五歳未満の少女をもってこれを役とす、若しその中に犯淫の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」とあり、古来より今日に至るまで婦女の貞操を重んじるという説が有名である。
     
 

 しかし筑摩神社の祭神は、御食津大神・宇迦之魂神・大年神であり、いずれも食物を掌る神々であることや、筑摩の地が平安時代に宮内省内膳司に所属する筑摩御厨という宮中の食物を掌る機関があったことから、神前に作物、魚介類などを供えるとともに、近江鍋と呼ばれた特産の土鍋を贖物としたことが、鍋冠祭りの原初の姿ではないかと考えられている。 


筑摩神社境内に立てられた鍋冠祭りの説明文
   
   祭礼の渡御は、筑摩・上多良・中多良・下多良の四か字の氏子が参加して行われるが、中でも鍋冠は、七、八歳の少女八人が一閑張りの鍋と釜それぞれ四つづつ冠り、緑の狩衣に緋の袴をつけた平安の昔を偲ばせる雅やかな姿は、湖北の春の風物詩である。
   
         平成5年3月           米原町教育委員会
   
    注)贖物(しょくぶつ)・・祓いの具。身の穢れを代わりに負わせる具。人形、装身具、調度など