越坂(追坂)峠北国海道と記されている

 北国海道とマキノ
 「北国海道」は、大津の礼の辻で東海道と分かれ、湖岸沿いに衣川(大津市)、和迩(志賀町)、木戸(同)、小松(同)、の各宿駅を経て高島郡に入り、河原市(新旭町)、今津(今津町)の両宿駅を経て海津の宿駅に至り、海津からは七里半越えで剣熊関(マキノ町野口)を通り、山中(敦賀市)−疋田(同)の両宿駅を経て敦賀市に至っていました。この北国海道は、畿内と北国を結ぶ最短路として古代から開かれ、近世以降は北国の諸大名も度々利用し、人や荷物の運送に重要な役割を果たしました。
 北国海道は「西近江路」と別称され、「北国脇往還」とか「西国街道」とも呼ばれました。これらの名前は、中山道の鳥居本宿(彦根市)から琵琶湖の北東岸を通り、栃ノ木峠を経て越前に至る「北国街道」と区別して呼ばれたもので、延宝5年(1677)の『海津三町絵図』(吉田茂芳家蔵)には「北国海道」と記されています。
 「北国海道」とは、北国(北陸・東北)の海産物を運んだ道という意味からつけられた名前でしょうか、あるいは海(湖)よりの道ということでしょうか。『海津三町絵図』には、琵琶湖は「海」と記されています。
 現在の国道161号線は、ほぼ古代からの街道が今日に至っているわけですが、時代の推移とともに移り変わってきたマキノ町の姿を振り返ってみましょう。

 

 

『海津三町絵図』(吉田茂芳家蔵)延宝5年 (1677)