神社からのお知らせ



●秋季例大祭「郷社祭」を斎行しました


 10月1日、恒例の秋季例大祭「郷社祭」を斎行しました。
 郷社とは明治初期に制定されたもので、自然や風土や文化などで関わりの深い地域一帯で信仰の中核をなす神社を定め、関わりの深い地域とその産土神を付属させた制度です。綿向神社は明治9年に近隣42村社を付して郷社に列せられました。その範囲は氏子区域以外に西大路地区・鎌掛地区・桜谷地区の各村、歴史的な由緒によって里口・上駒月、更には甲津畑、和南、高木、瓜生津、大森など永源寺や八日市の一部にまで及んでいました。綿向神社の秋の大祭に併せ郷中を挙げて行う祭りを「郷社祭」と称しました。戦後この社格制度は廃止されましたが、その後も郷内各区に参列を案内し「郷社祭」の名を残して斎行しています。
 新型コロナウイルス感染症の影響で過去三年に亘って祭典のみ執り行っていましたが、今年は4年ぶりに祭典後の直会を復活し、参列者一同で郷内各字の平安と発展を祈念し親睦を深めることができました。
 (令和5年10月4日)


●Instagram公式アカウント開設しました


 
当社の広報活動の一助として、Instagram公式アカウントを開設しました。「watamuki_jinja」の名前で神社のこと、境内のこと、祭礼のこと、その他行事のこと等、時機に応じて発信しています。アカウントをお持ちの方は是非ご覧いただき、フォロー・いいねして戴けると幸いです。
 (令和5年9月15日)


●春季例大祭「日野祭」を斎行しました


 5月2日~4日にかけて、春季例大祭「日野祭」を古式に則り
斎行しました。
 
新型コロナウイルス感染症の影響で居祭りが三年続いていましたが、今年は流行が落ち着いていたため4年ぶりにコロナ前に復して完全な形で斎行することができました。上野田よりの神子・芝田楽を先頭に威儀物や神輿・神幣・神職が雲雀野ばで巡幸し、神社境内には町内各所より曳山15基が巡行し宮入り、幸い全日程を通じて天候にも恵まれ、氏子内外より多くのご参拝を戴きました。
 (令和5年5月5日)


●祈年祭を斎行しました


 2月21日の午後1時30分より、本年の祈年祭
(きねんさい)を斎行しました。
 「年」とは農作物の稔りのこと、立春を過ぎて早春一番にその年の農業をはじめ諸産業の成就や地域の安寧を願う大祭りです。一日を通して雪が舞う大変寒い中での祭儀となりましたが、
各字より氏子総代さんにご参列いただき無事斎行させて戴きました。
 (令和5年2月22日)


●新嘗祭を斎行しました


 11月25日の午前10時30分より、本年の新嘗祭
(にいなめさい)を斎行しました。
 各農業組合を通じて氏子内より奉献いただいた初穂米を御神前にお供えし、例年通り盛大に執り行うことができました。
 今年は初めての取り組みとして、日野のクラフトビール会社「ヒノブルーイング」にて氏子区域で穫れた新米を利用して来年の日野祭用のビールを醸すという企画が進んでいます。祭礼後に奉献米の一部をビール用にお預けしました。また、そのビールの酵母は神社境内のシャクナゲの花から採取されています。日野で育った稔りと日野の花である石楠花を材料に作られたビールは、コロナに打ち克って氏子中の力を結集して行う来年の日野祭を象徴する逸品となることが期待されます。

 (令和4年11月30日)


●鉄火祭を斎行しました


 10月18日の早朝、恒例の鉄火祭
(てっかさい)を斎行しました。
 鉄火祭は、江戸時代初期の元和5年
(1619年)旧暦9月18日の未明に当社境内で実際に行われたとされる鉄火裁判に起源を持つ祭礼です。江戸時代初頭、日野では山の権利を巡って東郷9ヶ村と西郷9ヶ村に分かれて十年に亘る争いが起こっていました。何年経っても一向に解決しない争いに対し、一方より「互いの代表者が綿向神社の神前で誓いを立てて神火で焼き赤めた鉄斧を握り合い、遠くまで運べた側を御神意に叶ったとみなし勝者としよう」と提案がありました。このとき東郷の代表であった音羽村の喜助という人物は見事に鉄火を神前まで運ぶことに成功し、東郷の勝利となりました。これを「鉄火裁判」と称し、このときに東郷が獲得した山の入会権が後世に受け継がれ、現在の綿向生産森林組合へと繋がっています。
 また、東郷の代表であった喜助とその子孫は、無事に勝利を収められたことを綿向大神に感謝し、毎年裁判のあった日時に鉄火祭と称する御礼の参拝を続けておられます。子孫累代400年間に亘って欠かすこと無く続けてこられたこの御礼参りを、本年も同様にお仕えさせて戴きました。
 (令和4年10月19日)


●夏越の大祓式を斎行しました


 6月30日午後8時より、恒例の夏越の大祓
(なごしのおおはらえ)を斎行しました。
 我々が日常生活の中で知らず知らずのうちに犯してきた罪や穢れを半年に一度祓い清める厳重なお祓いの儀式で、平安時代から一千年以上もの間変わる事無く、宮中を始め全国の神社で行われています。特に6月の大祓は「夏越しの大祓
(なごしのおおはらえ)」と呼ばれます。古来より夏に疫病が流行するのは悪霊の仕業と考えられてきました。そこで大祓で罪や穢れをなくすことによって疫病をなす悪霊に付け入る隙を与えない、すなわち元気に夏を越すための大祓という意味です。
 そのような意味合いから、本年も昨年に続き新型コロナウイルス鎮静の祈願を含めて厳重に斎行させて頂きました。斎行のおしるしとして、氏子皆様には町内会を通じて「疫病消除大祓御符」を頒布(無料)させて頂きましたので、玄関先にお祀りいただきコロナ退散の祈りと戒めとして頂けたらと思います。
 加えて、当社の大祓(6月・12月とも)には、拝殿の周囲に氏子各町からの献灯を頂いています。これは江戸時代中期の宝暦6年(1756)に日野市街の大半を焼き尽くした所謂「宝暦の大火」の教訓として、被害に遭われた各町から火伏せの祈りを込めて奉納されていると言われています。
 疫病の流行と火災、どちらもひとたび起これば人の力だけでは簡単に鎮めることの難しい災厄です。これらの災厄から出来るだけ逃れ、平穏な生活を送ることができるようご祈念致しました。
 (令和4年7月1日)


●令和4年の春季例大祭「日野祭」を斎行しました


 本年の日野渓の春の大祭り「日野祭」は、2日の宵祭り 3日の本祭り 4日の後宴祭ともに晴天に恵まれ、滞りなく終了しました。
 年明けから幾度も氏子総代会や渡御関係字や諸団体と会合を持ち斎行方法について議論してきましたが、やはり新型コロナの終息が見通せないことから、3年連続で大神様が神社からお出ましにならない「居祭
(いまつり)」となりました。
 居祭が長く続くことによって、これまで大切にされてきた祭りのしきたりや文化を正しく継承してゆけるかどうか懸念されています。そこで今年は、十分な感染対策を講じた上で、できる範囲で祭礼行事を伝承するための取り組みがなされました。2日の宵祭りでは昨年に続いて西之宮神社氏子有志によって神輿の代わりに榊を飾り立てて西之宮町内を巡幸しました。3日の本祭りでは、神輿3基全てを飾り付けて境内に奉安
(展示)しました。曳山4基が神社まで巡行して祭囃子を奉納した他、残る曳山も各町内にて飾り付けや囃子を行いました。4日の後宴祭では、伊勢太神楽の総回し奉納が例年通り行われました。境内では前年よりもお祭りの雰囲気が盛り上がり、多くの方々にご参拝をいただきました。
 (令和4年5月6日)

●令和4年の春季例大祭「日野祭」斎行について
 例年の「日野祭」についてはコチラ
 本年の春季例大祭「日野祭」の斎行方法について、氏子総代会をはじめ神稚児・神輿等の各現場責任者と協議を重ねた結果、本年も昨年に続き渡御を取りやめることと決定しました。上野田からの神稚児の渡御、綿向神社からの神輿・神幣等の渡御は行わない「居祭(いまつり)」となります。
 協議の中では、二年も居祭が続いているので少し形を変えてでもお渡りがしたいという意見や、現状では例え省略した形であっても必要な人員を集めることが困難であるという意見、また将来に亘って氏子皆さんにご協力戴くことを考えると今無理をするべきではないという意見、感染拡大防止の観点から今年も遠慮すべきという意見など、様々な立場から意見が出されました。直接お渡りに携われる方からは、この日野の誇りである祭礼を引き継ぎ伝えていくことが大切であると熱い想いもお伺いしました。賛否どちらの意見も納得するところではありましたが、意見が大きく二つに割れている上に今の日野町の感染状況をも鑑みて、誠に残念ながら氏子総代会として苦渋の決断に至りました。

 但しどの字においても、祭礼行事を伝承するために多くのしきたりや技術を引き継いでいくことが重要であるとの認識は一致しています。その一助として、祭礼当日に御神輿3基全てを飾り付け境内に奉安(展示)することや、曳山4基が神社まで巡行すること、巡行しない曳山の一部は各町内の山倉周辺に飾り置くこと、そして神社にて随時祭り囃子を奉納すること等が決まっています。もちろん、御神前での祭儀については略すことなく例年通り斎行します。
 本年の日野祭は「居祭」ではありますが「中止」ではありません。各々が感染対策を取った上で、是非神社境内に足を運んでみて下さい。
 (令和4年4月3日)
(4月18日追記)
(4月22日追記)
 5月2日:宵祭 午後2時 西之宮神社祭典斎行予定
 ●西之宮町有志により、西之宮町内のみ榊にて巡幸します。例年の神輿(一基)の渡御はありません。
 ●夕刻の曳山スタンプラリーは実施されません。
 5月3日:本祭 午前10時30分 本祭祭典斎行予定
 ●上野田よりの神稚児の渡御・綿向神社よりの神輿神幣等の渡御はありません。
 ●10:00頃~14:00頃の間、神輿3基を飾り付けて境内に奉安(展示)します。(雨天中止)
 ●10:00頃~13:00頃の間、曳山4基(本町、越川町、大窪町、南大窪町)が神社まで巡行します。(雨天中止)
  ほか、一部の曳山は各町内において飾り付けなどされる字もあります。
 ●境内にて随時、曳山所有字や囃子方交流会等により祭り囃子の奉納が行われます。

 ※曳山が通過する8:00~10:00、13:00~15:00の間、神社から本通り大窪交差点まで車両通行止めとなります。
 ※境内駐車場をはじめ、近隣駐車場は終日使用できません。公共交通機関でお越し下さい。
 ※近江バス日八線は、松尾交差点から国道307号・477号線方面へ終日迂回運転されます。
 5月4日:釈祭 午前10時 後宴祭祭典斎行予定
 ●13:30頃より伊勢大神楽奉納、小佐治すいりょう太鼓奉納予定(雨天中止)



●令和4年の嶽祭を斎行しました


 4月20日に綿向山頂(標高1,110m)に祀る大嵩神社(おおだけじんじゃ)において恒例の嶽祭(だけまつり)を斎行し、宮司以下氏子崇敬者約55名が登拝しました。
 当日は昨年に続いて好天に恵まれ、新緑の中を清々しい登山となりました。里では田植えの準備が進む中、山からもたらされる水や自然の恩恵に感謝し、更なる恵みを戴けるよう祈念しました。
 (令和4年4月21日)


●令和4年の祈年祭を斎行しました


 2月21日、令和4年の祈年祭
(きねんさい)を斎行しました。
 祈年祭は「としごいのまつり」とも称し、毎年2月17日の前後に宮中を始め全国の神社で行われる新春の大祭です。祈年祭の「年」は「稔」と意味を同じくし、一年に一度の米を始めとする農作物の稔りのこと。立春が過ぎて暦の中でも新たな年を迎えてまず始めに、一年間の農業や産業の成就を祈ります。
 日本人は古くから米作りを生活の糧としてきました。新春に祈年祭、田植え前に春祭り、田植え後にはサナボリ、害虫除けや疫病除けに夏祭り、稲刈り前に初穂祭など、農業や生活に関する祈りを何度も何度も積み重ねて、収穫の秋に感謝の大祭(新嘗祭)を迎えるのです。

 (令和4年2月22日)


●新年の諸行事を恙なくお仕えしました


 新年明けましておめでとうございます。
 年末から雪の日が多く、積雪の中での年越しとなりました。神社としましては、年末12月31日夜に年越しの大祓・除夜祭、明けて元旦早朝5時より歳旦祭、3日午前に元始祭、7日早旦に七菜祭、14日夜にどんど、15日早旦に十五日正月祭と、恒例の祭儀を滞りなくお仕えしました。
 また、正月4日・5日には境内入口の勧請縄
(かんじょうなわ)を奉製し掛ける作業を行いました。勧請縄とは、年の初めに山の神(農耕の神)をお迎えするため村の入口や神社の参道に掛け渡す大しめ縄のことです。県内湖東地域を中心に多くの集落で伝わっており、一つ一つ違った造形や特徴を持っています。綿向神社の勧請縄は、中央に藤の蔓で作った円を二つ重ねて日と月を表し、十二本の垂れは1月から12月までの日照時間の変化を表すと言われています。上部には御幣が十二本、そして地面にも左右六本ずつの計十二本、一年を通して地域の安全や豊穣を祈念しています。
 (令和4年1月16日)
  
掛け替えられた勧請縄              参道脇の御幣


●新嘗祭(新穀感謝祭)を斎行しました


 11月25日、本年の新嘗祭を斎行しました。
 新春2月に一年間の農業を始めとする諸産業の成就を祈願する祈年祭
(きねんさい)を行いますが、それに対応して秋11月にその成就に感謝するのが新嘗祭(にいなめさい)です。神社において最も重要な祭儀のひとつとされています。
 古事記や日本書紀の神話の中で、天上の天照大神
(あまてらすおおみかみ)より皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)下された神勅(命令)の一つに「斎庭の稲穂の神勅」というものがあります。『大神の与えるこの稲穂によって、地上の国(日本)を富み栄えさせなさい』というものです。日本人が米作りを生活の基礎とすることの起源神話であると同時に、秋の収穫を神前に奉告し、祝い、感謝する「新嘗祭」を行う意義もここにあります。
 本年も氏子内の農家の皆様から献納戴いた初穂米を御神前にうず高く積み上げ、各農業組合長様にも御参列を戴き、厳粛に斎行させて戴きました。
 (令和3年11月29日)


●お火焚祭を斎行しました


 11月3日、恒例のお火焚祭を斎行しました。
 氏子崇敬者の皆様にはあらかじめ「御神木
(ごしんぎ)」の奉納をお願いしていました。御神前で起こし清めた忌火(いみび)によってこれらを焚上げることで、天下全てを清浄に祓い清めるとともに、皆様それぞれの願いが成就するようご祈念致しました。
 毎年11月3日は晴れの特異日とされていますが、今年も良い天候に恵まれました。近隣の方々には老若男女を問わず多数お参りいただき、火焚神事からその後の餅撒きまでお楽しみ戴けたことと思います。例年通り無事に執り納めさせて戴きました。
 (令和3年11月5日)


●秋季例大祭「郷社祭」を斎行しました


 10月1日、恒例の秋季例大祭を斎行しました。春季例大祭「日野祭」に対応する秋の大祭です。
 基本的に春の祭りは農業を始め諸産業の成就を祈願するもの、秋の祭りは実際に成就したことに感謝するものです。感謝のお祭りとしては11月下旬の新嘗祭(収穫感謝祭)の方を思い浮かべる方が多いかと思いますが、早秋の祭りは収穫作業を始める前に農作物がたわわに実ったということに対して感謝を申します。今でこそ既に稲刈り期の半ばですが、かつてはこれから収穫作業を始めるにあたっての節目であったともいえます。事前に刈り取っておいた初穂を御神前にお供えして例年通り斎行させて戴きました。
 また、この祭儀には「郷社祭」との名が付いています。元々当社は氏子区域以外に、旧蒲生郡内で綿向山を見霽かす広い地域より信仰されてきました。明治初期に県社という社格に列し、その地域の一部に当たる四十二の村々の氏神を総ねる神社とされたことから、秋季例大祭に合わせて郷内の各字の御代表をもお招きする「郷社祭」として斎行してきました。社格制度は戦後なくなりましたが、この祭典の名称にその名残が残っています。本年もコロナ禍中に関わらず、例年と変わる事無くお参り戴き無事納めることができました。
 (令和3年10月4日)


●本年の「七五三まいり」受け入れについて


  七五三まいりのお歳を迎えられるお子様・ご家族様、おめでとうございます。当社では10月中旬から11月下旬にかけて『七五三まいり』のご祈祷を受け付けています。
 コロナ禍の収まらない現状から、一度に拝殿にお上がり戴く人数を「2家族様」に限定し、密にならないよう注意しながら受け入れを致します。
 基本的に予約制です。直前でも結構ですのでご一報戴いてからお詣り下さい。
 (令和3年8月1日)


●夏越の大祓式を斎行しました


 6月30日午後8時より、恒例の夏越の大祓
(なごしのおおはらえ)を斎行しました。
 我々が日常生活の中で知らず知らずのうちに犯してきた罪や穢れを半年に一度祓い清める厳重なお祓いの儀式で、平安時代から一千年以上もの間変わる事無く、宮中を始め全国の神社で行われています。特に6月の大祓は「夏越しの大祓
(なごしのおおはらえ)」と呼ばれます。古来より夏に疫病が流行するのは悪霊の仕業と考えられてきました。そこで大祓で罪や穢れをなくすことによって疫病をなす悪霊に付け入る隙を与えない、すなわち元気に夏を越すための大祓という意味です。
 そのような意味合いから、本年も昨年に続き新型コロナウイルス鎮静の祈願を含めて厳重に斎行させて頂きました。斎行のおしるしとして、氏子皆様には町内会を通じて「疫病消除大祓御符」を頒布(無料)させて頂きましたので、玄関先にお祀りいただきコロナ退散の祈りと戒めとして頂けたらと思います。
 加えて、当社の大祓(6月・12月とも)には、拝殿の周囲に氏子各町からの献灯を頂いています。これは江戸時代中期の宝暦6年(1756)に日野市街の大半を焼き尽くした所謂「宝暦の大火」の教訓として、被害に遭われた各町から火伏せの祈りを込めて奉納されていると言われています。
 疫病の流行と火災、どちらもひとたび起これば人の力だけでは簡単に鎮めることの難しい災厄です。これらの災厄から出来るだけ逃れ、平穏な生活を送ることができるようご祈念致しました。
 (令和3年7月6日)


●令和3年の春季例大祭(日野祭)を斎行しました


 本年の春季例大祭(日野祭)は5月2日の宵祭、3日の本祭、4日の後宴祭ともに目出度くお仕え致しました。
 昨年に続いて新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐために、大神様が神社からお出ましにならない「居祭り」の形での斎行となりました。神輿や神子の渡御や曳山巡行など神社境内の外で行う行事を取りやめ、祭典は例年通り厳粛にご奉修申しました。
 ただし本年は、技術や心意気を継承することを目的として有志による奉納行事等も執り行いました。2日の西之宮神社での宵祭りでは、西之宮町の氏子有志により榊に御神霊をお遷しして行列を仕立て西之宮町内を一周されました。また、西之宮神社内で祭囃子を奉納されるなど例年とは異なる賑わいとなりました。3日の本祭では、神輿一基を飾り付け鳥居前に奉安すると共に、周囲で祭り囃子を奏し大神様に奉納としました。また、各町内の曳山蔵周辺でも囃子等行われた町内もありました。4日は伊勢大神楽の奉納が例年通り行われました。
 (令和3年5月8日)
   
(左)飾り付けて奉安された神輿 (右)絵馬殿にて祭囃子を奉納する


●嶽祭り(綿向山頂の大嵩神社例祭)を斎行しました


 毎年4月20日に綿向山頂(標高1,110m)に祀る大嵩神社(おおだけじんじゃ)まで登って執り行う「嶽祭り
(だけまつり)」を例年通り斎行しました。当日は数年に一度の好天に恵まれ、麓の佐久奈度神社にての入山祓えに約40名、山頂の祭典に同約55名の有志の方々にご参列を戴きました。
 (令和3年4月20日)


●令和3年の春季例大祭(日野祭)の斎行について


 未だ新型コロナウイルス感染症が終息せずワクチンも行き渡っていない中で、不特定多数による密集・密接が避けられないことから、昨年に引き続き本年も、神稚児巡幸・神輿渡御・曳山巡行を見合わせる事と決定しました。御神前への各祭典は古式に則り斎行します。また神社境内にて氏子有志による奉納行事が予定されています。
 (令和3年4月3日)


●祭礼渡御絵図の大絵馬保存伝承事業が完工しました

 絵馬殿に掲げられている「祭礼渡御図大絵馬」(県指定民俗文化財)は、奉納されてから200年が経ち彩色の剥落が進んでいました。日野祭斎行850年記念事業として、大絵馬の保存伝承を目的に、大阪千里の国立民族学博物館にて彩色の剥落止め処理を行っておりましたが、このたび2年間に亘る作業が終了し元の場所に掲げられました。
 本事業にご協力下さいました方々、誠に有り難うございました。
 (令和3年3月15日)
   
祭礼渡御図大絵馬(横4.2m×高さ2m、重さ300㎏程あります)