御由緒
御祭神・御由緒 神使 『猪』 新年のこよみ


●御祭神   
   天穂日命(あめのほひのみこと)
   天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)
   武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)
     綿向山

●御由緒
   当社の起こりは神武天皇の御代、近江日野の東方に気高く聳える「綿向山」に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始りと伝える。
 その後、平安時代の初期延暦15年(796)に里宮として現在の地に遷し祀られたという。以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の大宮として、何時の時代も当地の産土神として人々の信仰の中心となってきた。殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は氏神として当社を尊び庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の中の日野商人達の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められた。明治9年郷社、同42年県社に列せられ、そして今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
 その始めを嘉応2年(1170)とする春季例大祭(5月2~4日)は日野祭と称し、3人の神稚児や3社の神輿、16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形民俗文化財に指定されている。
 なお、綿向山山頂(標高1110m)に祀る奥之宮(大嵩神社)は古来より 20年毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。

 

御本殿(宝永4年再建)




日野祭の神子(神稚児)行列